喧嘩は却って友愛の助手のみ 02





 そして月上の剣呑な空気は昼になる頃にもまだ続き、教室中は、「触らぬ神にたたりなし」の言葉通りの態度を決め込み出した。

 クラスの連中は、午前の授業が終わると同時に席を立って教室から出て行った月上のことも、それに声をかけようとして結局かけられなかった俺の事も、見えない振りをしている。それでいてチラチラと見る視線は興味津々。
 いいけどね、慣れてるし。
 ため息をつきたい気持ちで立ち上がる。今日は月上の手作り弁当にありつけそうもないから買い弁だ。
 今日は月上に、新しいCDを貸してやるよと話していて、帰り道に俺の家へ寄る予定だった。ついでに貰い物の菓子を菜々子ちゃんに持って帰らせようと思っていたのに。

「ぁー…」

 思っていた、のに、と過去形になった思考を振り払うべく頭を乱暴に掻く。跳ねてセットさせた毛先があらぬ方向に跳ねたかもしれないが、正直、今は気にしている余裕がない。
 廊下に出て教室の戸を閉めた途端、教室から聞こえる話し声が強くなった。
 壁に遮られて、明確な音として捉えられない会話。自意識過剰かもしれないが、あいつらの話のネタは俺と月上な気がしてならない。くそ、好きに言ってろ!
 教室から早めに離れたくて大またで階段に向かう。ただただ真っ直ぐ歩く速さは、振り返りもしなかった朝の月上と同じテンポ。朝のヤツもこんな気持ちで歩いていたんだろうか。

「ちょっと、花村はやいよ!」

 ぱたぱたと上履きの軽い足音にかぶって、聞き慣れた里中の声が呼び止めた。
 階段の踊り場で振り返ると、追いついた里中は素早く周囲を見回し、人がいないのを確かめてから俺を見た。里中は階段に立っているので、いつも俺より下にあるはずの顔が同じ目線になる。ああ、月上もほとんど身長は一緒だから、ヤツを見る時もこんな感じだ。

「ね、月上くんと喧嘩?」

 里中は、困ったように少し眉尻を下げて言った。

「で、花村、何したの」
「何で原因が俺限定!?」
「だって怒ってんの月上くんだけじゃん」

 迷いない口調で言われて言葉に詰まる。怒ってんの、と口が勝手に里中の言葉を繰り返す。言葉を確かめるように繰り返す。繰り返さないと、なんだかその意味を飲み込めない気がした。

「やっぱ怒ってんのか…?」
「怒ってないの?」
「や、怒ってるかもなぁ…」
「わかんないの??」

 当事者でもわからないのだから、里中の方がもっとわからないだろう。不思議そうに首をかしげている。
 視線をずらして、考えた。怒られているのか。月上は怒っているのか。考えたが、結局答えはひとつしか出ない。

 ――わからない、だ。

 月上の怒りを判断するには、俺には判断情報が少なすぎる。

「あいつに、怒られた事ねーし…」
「うわ、マジで? 何でそんな甘やかされてんの、あんた」
「失礼な! 里中だって月上に、っつか天城にだって怒られた事ねーだろ」

 俺なんか有無を言わせず平手だぜ、と頬の痛みを思い出して顔をしかめると、里中はきょとんと目を瞬かせた。

「だってあたし、雪子に怒られるような事してないし」
「俺だってあいつに怒られるようなこと、……してるから、怒ってんだろうな…」

 後半の声は、きっと随分と沈んでいた。
 それきり言葉が浮かばず黙ってしまうと、やけに心配そうな顔の里中が、心配そうな手つきで背中を叩いて来る。
 大丈夫だって。そう答えてもまだ背中を叩いて来る。ぽんぽん。ぽんぽん。あやすような手つき。

「里中、いまのそれってMAX時の何百分の一の力加減?」
「そんなに靴底つけられたいか!」

 軽口を叩いたら吠えられたが、さっきよりも少し軽くなった気持ちで笑える。
 踊り場でぎゃあぎゃあくだらないレベルの言い合いをしてる俺らを、ちょうど一階から上がって来た一条が見つけて凄い顔をした。里中の手がまだ俺の背中にあるけど、そのままどついて吹っ飛ばされたりしねーから、そんな驚いた顔しなくてもいいのに、あいつ。


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