この世の限り



※本編イヴァジャンベストエンドルート、「ライクアサン」の続き、それからのイヴァン。死にネタ注意。






「なあ、イヴァン。イヴァンってば」
 ジャンのヤロウが、まるでガキに言い聞かせるような優しい声で話していやがる。
「イヴァーン。お前が目をつむってたって、どんだけ暗い部屋の中にいたってさ。外じゃあ太陽は出るし月は昇るし? どうしたって時間は過ぎて行くんだよなあ。時間よ止まれーっていくら思っても止まらねえもんだけどさ、それって俺とお前の大好きな太陽と月が何度でも俺らの世界に現れるってことなんだぜ。なあ、イヴァン」
 だから、時間が過ぎるのも悪くねえだろ。と笑うジャンの、太陽のようにきらきらとした金髪が眩しい。
 俺は眩しさに目を眇め、もっときちんと顔が見たいと思い──……




 充分すぎる休息を得た体が、残酷に目覚めた。
「……クソったれ……」
 寝すぎて渇いた喉がかすれた声を出す。
 嫌なほどすっきりしているが体を動かそうと言う気にならねえ。体っつーもんは疲労が回復すりゃ動くもんだと思ってたが、まったく違うってことを、俺は知った。
 あれから何日が過ぎただろうか。
 ジャンの葬式が終わり、ベルナルドのヤツが繰り上がりで──厭々、と言う態度を俺ら幹部四人だけの時にだけは見せながら──カポになり、ルキーノは筆頭幹部になり、ジュリオのヤツと俺も地位を一つずつ上げ、弔いと祝いを交互に重ね合わせたような一ヶ月が過ぎた。
 一ヶ月が過ぎて幹部会にツラを出すと、俺の顔を見るなりベルナルドは「休め」と首を横に振り、ばかやろうとルキーノのヤロウは渋面で言い、ジュリオに荷物のように片腕で担がれてベッドに押し込められた。本部の中のジャンの部屋だった。俺も散々、あいつと、コッソリと使ったことのある部屋だ。使う主がいなくなっても部屋はきちんと整えられ、ベッドのシーツは新しく清潔で、……少しだけジャンの匂いがした、と思った瞬間、俺は、沈没するように眠っていた。そういえば前いつベッドに入ったのか記憶がなかった。
 
 そこからはひたすら眠って。眠って。
 
 何度か目を覚まして、部屋のテーブルに置かれた食い物を食って、シャワーを浴びて寝汗を流し、また眠った。目が覚めるとテーブルの上にあったはずの食い残しは片づけられ、新しい食い物と、新しい水やなんかがいつも置いてあった。今だってスープとパンとリンゴが置いてある。冷えてねえコーラの瓶まで。部屋に誰かの出入りがあっても目覚めねえくらい俺が腑抜けちまったのか、それとも、目覚めねえくらい慣れた幹部の奴らの誰かがこいつらを持って来てるのか……俺が傍に寄られても目覚めねえようなヤツが。
「ジャン」
 唯一有り得ねえ男の名を、俺の口は呟く。のっそりと起き上がってテーブルへ歩み寄り、冷めたスープをスプーンで口に運ぶと、当たり前に、ジャンが作ったものじゃない味がする。
 当たり前のものが当たり前じゃない違和感を覚えたことに、カッと頭に血が上った。
「……ファック!」
 俺はスプーンを床に叩き付けていた。クソ、死ね、ファック。喚く言葉は完全な八つ当たりだ。俺は、ジャンが作ったものの味がすると、どこかで期待していた。俺が看取った。病室のベッドで。脈がなくなり、呼吸がなくなり、葬式をして、一ヶ月が過ぎても、それでもなお、なにしてんだよイヴァン、とあいつが笑ってけちょんとしたツラで出てくるのを期待している──クソ。
 散々喚くと、寝すぎた体がバランスを崩して眩暈がした。ベッドに仰向けに倒れこむ。クソ、ファック、くそったれ。
 俺はこんなに弱かったか? あいつがいないだけで、あいつがいなくなったことを認められねえくらい、弱かったか?
 ヴァルキリーに一ヶ月以上触れてもいねえ。もうあいつを乗せることのない、俺たちの戦乙女。デイバンをGDやシカゴの連中にくれてやるわけにはいかねえって、ジャンと乗って走り回った、俺たちの白いメルセデス。
 二人で駆けた道は、ジャンがいなくなっても変わらず、デイバンに存在する。
 あいつがいなくなっただけだ。この世界に、あいつの笑った声が響かなくなっただけだ。
 あいつと過ごしたデイバンの街も、この本部の部屋も、ベッドも、CR:5も、シノギも、みんな残ってる。あいつだけがいない。
 ジャンとの思い出だけが世界に残されて──
 そこまで考えて、俺はハッとした。思い出だけ? 本当にそうだったか?
 ……さっき食ったスープの味はジャンが作ったものじゃなかったが、知ってる味だった。あれは、缶詰だ。俺が提案して、あいつがノって、二人の名義で立ち上げた、ちょっとこじゃれた金持ちどもから搾取するためのこじゃれた缶のスープ。
 二人で考えた会社名の、小せえ会社だ。あれも、俺が手を引けばすぐに潰れるだろう。飛びぬけて儲けてるシノギでもねえからベルナルドが手を出して存続させるとも思えねえ。
 あいつが気にしてた港や下町の連中の、働き口も商売も、ウチの組がやる気を失って手を引けば、ぐんと失業率は上がる。俺らの投資と管理がねえと、まだ独り立ちできる商売の段階じゃねえ。世界は安定を欠いていて、デイバンだってまだ整いきっていない。俺がひたすら腐って寝てる間にも世界は容赦なく動いて、……ジャンが気にしてたモンが、この世界で、動き続けている。
 あいつらだって動き続けている。くたくたになるまで働くワーカーホリックのベルナルド、カッとなる癖のあるルキーノ、ジャンがいねえと目に見えて落ち込むジュリオ、……クソ。
 ジャンが残していった計画、会社、仲間、俺らのやり方で守ろうとしたデイバン。
 何もかも、投げ捨てられるものではなかった。
「ったく、あいつはどこまでも面倒かけやがる……」
 死んでまで。死んでも。
 俺はきっと死ぬまであいつの、……あいつの残してったモンの世話を焼いて、生きて行くだろう。



「ジャン」




 お前がいないだけで、当たり前に太陽は昇り、月が出て、世界はいくら回転してもすり減らねえ歯車のように毎日が繰り返される。何度でも何度でも繰り返されるその変化はまさに永遠だ。
 お前が作ったモンじゃねえでも俺は食える。お前がいなくても俺は眠れるようになった。
 
 そんな毎日が何回も何回も繰り返され、五年くらい経った頃、俺は、どうしてもあいつがどこかで出て来るんじゃねえかっつう期待をしてしまう自分を許すことにした。
 
 日々は繰り返される。何回も、何回も。
 俺はまだ、目覚めたときにあいつがいるんじゃねえかって期待をして、毎晩眠りにつく。毎朝目覚める。
 太陽が昇り月が昇り、日々は繰り返す。俺は毎晩眠り、毎晩目覚める。日々少しずつ老いて行く。さまざまなものを失いながら、世界に散らばるあいつの名残を守りながら老いて行く。
 何十年経とうが、俺はあいつにまた出会える日が来るんじゃねえかって期待してきた。

 眩しいほどの金髪を朝の太陽に透かして。
 イヴァン、イヴァンってば──と、笑って俺を呼ぶあいつに、出会える日を。











2012.05.21.金環日食の日