貴方の恋人になりたいのです。






「好きだ、巻ちゃん」
 そう告げると、彼は目じりの垂れた目を大きく見開いた。
 反応があったので、告げた言葉は正しく伝わったはずだった。しかし、その反応はかんばしいものであるとは限らない。
 巻島は大きく見開いた目をゆっくりと細め、東堂の顔を眺めてから、そっと視線をポテトの残るトレイへ落とした。
「そうかヨ」
「好きだ、巻ちゃん」
「ハイハイ」
「本気だぞ、巻ちゃん。オレと付き合ってくれ、恋人になって欲しい」
「信用がおけねェっショ」
 東堂尽八の告白は、その一言ではねつけられた。
「……巻、ちゃん」
「なんだ、東堂」
 はねつけた方の「巻ちゃん」こと巻島祐介は、東堂と同じ年の男だ。
 背が高く、細くて長い手足をしていて、タマ虫色としか言い様のない緑をベースにした長い髪をしている、他校の高校三年生の男子だ。
 彼の少しうねった長い髪は、どういうカラーを入れているのか、光に当たったり透けたりすると違う色になる。今は横から差し込む赤い夕陽が、巻島の前髪の先を赤みがかった金色に透かしていた。最初は奇妙だと思ったその髪も、巻島の自己流を貫くスタイルに似合っていて、今では好ましい。
 巻島全体のことを言うと、東堂にとって、好ましいどころの騒ぎではない。好きだ。恋をしている。しかし、巻島の気持ちは知らない。好ましい、レベルであるかすら知らない。
 親しいとは思う。
 学校も違い、住む県も違うと言うのに、休日の夕方、こうしてファストフード店で向かい合って夕飯を食べていることを、親しいと言わずして何と言うのか。
 だからこそ東堂は、巻島が動揺もせず恥じらいもせず、迷いのない一言で返したことが疑問だった。
 ──なぜ驚かない。
(巻ちゃん。オレの気持ちを知っていたとでも言うのか。本気だぞと言ったが、それが信用出来ないのか──)
「なぜだ」
 疑問の最後の一言だけを口に出すと、巻島は胡乱な目つきで東堂を見た。
「イヤ、マックで告って来るおまえの方がなんでだ……」
「タイミングを見計らったつもりだがね。ちゃんと何も口に入っていない時を!」
「噴き出す前提かよ!」
 二人の座っている席は、二階の一番奥の席だ。周辺には人がいないので、巻島が少し大きい声でツッコミを入れても、他の人間が見たり振り返ったりしない。
 しかし、東堂とて人のいる場所で告白をするつもりはなかった。むしろ、積極的に告白をするつもりがなかったのだ。巻島と一緒にいて、自転車に乗って、メールをして電話をして、インターハイで共に競って──最後のそれが終わったことで寂しさもあったが、縁は続いており、満たされていた。
 満たされていると思っていた関係に、告白と言う爆弾を送り込む引き金になった出来事の始まりは、なんてことのないドラマの話だったか、お笑いの話だったか、こんな短時間でもう忘れかけるほどささやかな話題だ。その話題について東堂が冗談めいたことを言い、巻島は、ハ、と声を洩らしてちょっと笑った。
 目を細めて、くたりと表情を、緩めた。
 その笑い方が優しく、まるで東堂に深く気を許しているようで、そう感じた瞬間、東堂は、「今だ」と思ったのだ。
 「今しかない」と。
 そう思った途端、今までなんとなく抑えられていた感情が東堂の中から溢れた。この時を逃したら、この言葉はきっと一生言えない。一生巻島に知られることなく、誰にも知られることなく、ただ東堂の中に存在し続けるだけになってしまう。
 おまえが好きだ、好きなんだよ、巻ちゃん。オレはおまえと恋がしたい、恋人ってやつになりたいんだ──その想いを込め、咀嚼中を避けた以外はまったく計画性のない、本人にとっても予定外の告白は、巻島に即はねつけられて今に至る。
 巻島はテーブルに肘をつき、ほくろのある左顎を手のひらに預ける、少し首を傾げるような姿勢で東堂を見ていた。ズズ、とコーラを啜ったストローが、巻島の薄い唇から抜け出る様子が、東堂には少し目の毒だ。目の毒な辺り、これは恋なのだと、東堂は自分の感情を自覚している。
 ひっそりと自覚を深める東堂に、あのなァ、と巻島は、言い含めるように話し出した。
「おめぇ、別に付き合う相手に不自由してないっショ。カチューシャカッコ悪いけど」
「カチューシャは関係ないだろ!」
「東堂サマとか東堂さんとか言ってる女子は、告って来ないのか?」
「東堂さんは泉田でも真波でも、他の後輩でも言うぞ。なんだ巻ちゃん、やきもちか」
「黙れ。っつーか話が逸れてるっショ」
「いや黙らねェ!」
 断固とした態度で、東堂は首を横に振る。少し長い前髪が、ぶん、と揺れる勢いで。
「誤解だ巻ちゃん、オレは、女に関しては信用がおける。美形でトークも切れるオレに女の視線がくぎ付けでも仕方がないし、オレが魅力的なのも仕方がない、女のことはオレに聞けと公言してはばからんがそれはまったくの事実だからわざわざ黙る必要もないと思ってのことであって、つまりだ巻ちゃん、オレは、オレのファンの女子に握手以外で指一本触れたことはない!」









「──そりゃァ、そういうところが信用おけねーんだろォ」
 面倒臭い、とあからさまに表情に出しながら、荒北は言った。
 学食の机を挟んで向かい合って座る二人の間には、それぞれ肉うどんの乗ったトレイがある。東堂の奢りだ。おまえの意見を聞かせてくれるか、と東堂が頼み込んだ、その礼だ。
 荒北は器の中の肉を噛み下し、行儀悪く東堂を箸で指す。
「大体な、オメーらの話がかみ合ってねェって。告って断られました、ハイオシマイの話じゃナァイ?」
「ム、それがな」
 東堂は同じように箸で荒北を指し返し、首を横に振る代わりに箸先を振って荒北の眉を顰めさせた。
「あの巻ちゃんがオレに信用がおけんとは、どうしても思えんのだよ」
「思いこみじゃねーのォ。それに、オレはそのマキチャンを、総北のクライマー巻島って以外に知らねーんだよ。興味もねェ」
 興味がないと言いつつ、肉うどんの一杯で事の顛末を全て洗いざらい聞き、喋るのもめんどうくさい、と言う口堅さで、いちいち返事を返してくれる荒北のサービスの良さ──面倒見の良さは、東堂もありがたく思うところだ。
 そう口にすれば、物凄く鬱陶しそうな目で見られるのは想像にかたくないので、心の中でひそかに思うだけにしておき、東堂は温かいうどんを啜る。
「荒北、東堂」
 うどんをすすりながら、かけられた声に視線を上げると、そこには食事の乗ったトレイを持った福冨と、その後ろに同じくトレイを持った新開もいた。ずる、と、すすりかけていた残りのうどんを口の中に入れて、よう、と東堂は片手を上げる。
「なんだ、福ちゃんも新開も今からメシかよ。ちょっと遅かったな」
「ああ、授業の片づけに手間取った。ここ良いか?」
「いいよォ」
 荒北は福富を招くように隣の椅子を叩いた。東堂は隣の席に座った新開のトレイの上にある丼と麺のセットを見て、本当に燃費悪いな隼人、と友人の懐事情に同情する。
 インターハイが終わり、練習量が減ったとは言え、運動部に所属しない生徒より、自転車競技部の集まったテーブルの上の食事は量が多かった。東堂も荒北も、うどんだけでは足りずに別口でおにぎりを平らげた後だ。
 東堂はうどんの最後の一口をすすって咀嚼すると、いただきますと両手を合わせてから丼を食べ始める福富を、頬杖をついて見つめた。福富の食事をする姿を見ても、まったく何も、性的な衝動は感じないのだから、やはり巻島は東堂にとって特別だった。
「なあ、福よ。巻ちゃんは、どうしてオレに信用おけないのだと思う?」
「巻……総北の巻島か」
 唐突な話題を振られ、福富はあまり表情の変わらない顔なりに、眉間に皺を寄せ困惑を表す。
「すまないが、オレは彼とおまえのように親しい友人付き合いをしていないからわからない。ケンカでもしたのか」
「ム、それがな──」
「オイ、東堂ォ」
 変なこと言って福ちゃんに手間かけさせんな、とアシストの視線がギラギラしていてなんだか痛い。
 もしかすると、荒北がオレのこの件に関して付き合いが良いのは、福に話すことを阻止する意味もあるかもしれんな──と、東堂はようやくうっすら気付いた。
「……ケンカではないな」
 東堂は、射る気かと聞きたくなるような荒北の視線にさらされ、当たり障りのない言葉を選びながら、福富に話し始める。東堂の横では新開が丼の中身をモグモグとリズミカルに、そして結構なスピードで平らげながら、耳だけは向けてくれているようだった。
「巻ちゃんに信用がおけないと言われた」
 事実だけを話す。口にすると気分が急激に落ち込んだ。
「オレは、真剣に話をした。巻ちゃんもからかって信用がおけないなどと言ったふうではなかった。真面目に受け止められて、真面目に、信用がおけないと答えられた」
 ただの事実を説明しようと、つとめて冷静でいようと思っていたのに、話せば話すほど、どんどんと顔が俯いてしまう。
「そのあと、美形でトークも切れるオレに女の視線がくぎ付けでも仕方がないし、オレが魅力的なのも仕方がない、女のことはオレに聞けと公言してはばからんがそれはまったくの事実だからわざわざ黙る必要もないと思ってのことであって、オレは、オレのファンの女子に握手以外で指一本触れたことはない、と言ったのに、わかって貰えなかったのだよ……」
「……なんの話してたんだ、尽八」
「新開」
 東堂は真剣に落ち込んでいて、顔も俯いていたので気付いていなかったが、思わず聞いた新開は、荒北に名前を呼ばれ、深くつっこむな、と真顔で首を横に振られていた。
 結局肘をついて組んだ両手の上に、額を押し付けて顔を隠すほどに東堂が俯いてしまうと、斜め前から伸びた福富の手が頭に触れて来る。
「福──」
 ごしごし、と、何かを拭う時のような勢いに、撫でられている東堂よりも近くを通りがかる生徒が、うわ、と驚いた声を洩らしていく。
 威圧感のある男が、真顔のままで不器用に撫でるそれは、傍目から見ればまるで慰めている姿ではなかったかもしれない。だが、俯くしか出来ない気分になっていた東堂の胸にはじんわりとしみた。
「巻ちゃん……」
「イヤ、そこは福ちゃんの名前呼べよ、おまえはよォ! 福ちゃんもこのチャラ男、あんま甘やかすなよ」
 福富の慰めの手は、荒北のツッコミと手によって退かされる。新開の手が、落ちつけよ、と荒北の手の甲を軽く叩き、るっせ! と払いのけられていた。
 東堂は、三人の手が入り乱れる様子に視線を上げられるまでに回復し、そして、とあることにハッと気付き、目を見開く。
「……もしかして、オレは軽い男に見えるのかッ!?」
「女のことはオレに聞けって言ってるしな」
 払いのけられた手で丼を抱え込み直し、新開は頷いた。東堂は、解せない気持ちで眉を寄せる。
「まったくの事実を、わざわざ黙る必要もないだろう」
「尽八、俺たちはおまえのそういうところを、自惚れてるわけでも、調子に乗って……は、いるかもしれねえが、まあ、そんな感じで知ってるから、遊んでるようには見えねえけどよ」
「東堂、おまえ、後輩連中にどう見られてるか知ってるか?」
 肩を竦める新開に続いた荒北の言葉が、東堂にとっては意外で、即答出来なかった。
 今までどう思われているかなど、疑問に思ったことなどなかった。後輩は自分の走りを見ればいい。チームでの働きを見ればいい。あと女のことはオレに聞けばいい。存分に見て盗め。オレはその先を行ってやる、いつでもかかって来るがいいワッハッハ。そんなところだ。
「……おまえたちはどう見てんだ」
 考えたことがなかったことを問われて、東堂は思わず問い返す。新開と視線が合った。新開はいつも通りの少し笑ったような顔で、視線を荒北へ移す。
「聞きたいそうだぜ、靖友」
「聞きたいなら言ってやンけど、うぜェ」
「寿一は?」
「高校生らしい物言いではない」
 まあ予想通りの返答だ、と東堂は頷く。
「隼人、おまえはどうなんだ」
「ん? オレか?」
 首を捻る新開の目を見つめて、東堂は、「答えてくれ」と真剣に願った。
 東堂は、人に褒められ注目されるのが好きだ。女子から、勝負の際に他の選手から、注目をされ、、自分を見て周囲が盛り上がる、楽しそうな様子が好きだ。
 そういう意味で周囲を気にするタイプだが、客観的に、自分を見た意見が欲しかった。それは自分の脳内で思いつかない、巻島から見た東堂の姿を教えてくれるかもしれない。
「おまえは、オレのことをどう思っている?」
「なんだか尽八に口説かれてるみたいだぜ」
「ワッハッハ、そんなわけあるか」
 新開のボケ具合に東堂は笑顔で即答した。
「話をアホな方にもっていくんじゃねーよ!」
 べしっと頭をはたいてツッコミを入れて来る荒北に、新開は黙らされる。黙って、わずかな時間逡巡した新開は、そうだな、と、荒北や福富の回答よりもだいぶ歯切れの悪い感じに答え始めた。
「まあ、女子にキャーって言われりゃ嬉しいだろうな」
「オメーもかよ、新開」
「いや、尽八みたいにじゃねえけどよ。──けど尽八は、隣に巻島がいると女子は目に入ってないだろ。そう思ってる」
 荒北が新開を見て、うわ、と小さく呟いた。言っちまった、こいつ、と言いたげな雰囲気に、東堂は気付かない。その言葉が含む重みは、東堂にとってごく自然な当たり前のことで、気付けない。
「──そりゃ、そうだろ。女子と話してる間に巻ちゃんがいなくなったらどうすんだ」
 新開の言葉に何の疑問も持っていない顔で、きょとんとして、東堂は言った。
 その瞬間、荒北と新開の顔に満ちたなんとも言えない、なんとも言いづらい気配を、東堂が気付く様子はない。
「ちょっといいか」
 荒北の真顔と、新開の微妙に生ぬるい笑みの中、黙って話を聞いていた福富が声を上げた。
「なんだ、福?」
「巻島は、東堂尽八に信用がおけないと言ったのか」
「え、そこまで全部はっきりとは言っておらんが」
「お前に信用がおけないと言ったわけじゃない可能性はないか」
「なんだそれ、おんなじじゃねーの?」
 聞いていた荒北が不思議そうに首を捻る。福富は上手く説明する言葉を思案したようで、眉間の皺を深くしながら、「微妙に違うな」と応じた。
「本人に原因があるのと、話の内容に原因があるのは少し違うだろ」
「ム……そうか、しかし、その原因がどこにあるかどころか、どういう理由で言われたのか、まったくわからんのだよ」
 ますますわからなくなってきた、と頭を抱え出した東堂に、荒北が食べ終わった食器の乗ったトレイを持って立ちあがりながら、ったくよォ、と、やはりめんどうそうに吐き捨てる。
「巻島がオレ派か福ちゃん派かなんて、ろくに付き合いのねェオレらにわかるわけないだろ。ぐだぐだ悩んでねーで直接巻島に聞きゃいいんじゃナイの」