Midnight tune







「酒、うっめー。こういう時の酒ってさあ、いつもはイマイチなヤツでもすっげー美味く感じるんだよな。なあなあ、安酒買って来て皆で飲もうぜ、ひっでえ混ぜ物してありそうな安いやつ。今なら果樹園からのそよ風を感じるくらい美味いかもよ」
「ああ、わかったわかった、ジャン、何もかもお前の言う通りだとも。とりあえず服が台無しになる前に脱いで。首が絞まる前にネクタイも外しておくれ」
「ああ、くそ! ジャン、少ししゃんとしてろ! ぐにゃぐにゃしやがって、コートが脱がせられん!」
「いやーん、ベルナルドもルキーノもエッチー」
「はいはい、わかったわかった。ベッドはすぐそこですよ、ボス」
「何言ってんだ、カヴォロ」
 ベルナルドにあしらわれ、ルキーノにツッコミを入れられながら、ジャンは自分の部屋へ戻り、二人を手間取らせながら寝室のドアをくぐっていた。
 足取りはあやうく、背もしゃんとしない。上機嫌で、頬が赤い。どう見てもアルコールが回っている。
 ぐんにゃりと軟体動物のように力の入っていないジャンの体を、ベルナルドとルキーノは二人がかりで支え、高価なコンプレートをどうにか剥ぎ取り、シャツと下着だけの姿にさせた。
「シャツは自分で脱げよ、ジャン」
 ルキーノはそう言い聞かせ、ふう、と息を吐いた。脱がせる動きと暖房の効いた屋内の温度に暑くなったようで、着ていた上着を脱いでシャツとベスト姿になる。
「ジャンの着ていたコートもまとめて洗濯屋行きだな、こりゃ。酒くさいったらありゃしねえ」
「俺の服もお前の服も、だろう。しらふの時に嗅いだら酔いそうな有様だぞ」
 ベルナルドは自分の上着の襟を嗅ぎ、そこにしっかりと染み付いたアルコールと煙草の匂いに肩を竦めた後、ルキーノと同じように上着を脱ぐ。
 二人とも、ジャンほどではないがアルコールを入れているし、酩酊も感じていた。だが、今夜は呑気に酔える状態ではなかった。ジャンが、常にないほど酔っぱらってしまったのだ。
「ん〜……アレ、おっかしーな。このボタン、シャツに書いた絵だったりしねえ? 外れねえよ」
 指先の器用さは折り紙つきのはずなのに、酔いの回った今は上手くシャツのボタンを外せず、ジャンは心底不思議そうに首を傾げる。
 見かねたルキーノがつい手を出して脱がせてしまう程度に、ジャンは酔っていた。上機嫌に酔っていた。酔っ払いは、きちんと全部外れたシャツのボタンを見て、手品でも見たかのように笑う。
「おお、ルキーノ、あんたすっげーな。グラーチェ」
「プレーゴ。ったく、誰だ、こいつにこんなに酒飲ませたバカは」
「たいへん言いにくいんだがね、アレッサンドロ顧問だ」
「…………」
「聞かなかったことにしておくよ、ルキーノ」
「そうしてくれ、クソ」
 目元を片手で覆うルキーノを置いて、ベルナルドはジャンから脱がせた服をまとめ、バスルームへ消えた。洗濯屋に渡すバスケットへ入れに行くのだろう。
 いま羽織っているだけの状態になっている酒とヤニ臭いシャツも一緒に入れておくよう頼めばよかったか、と考えたジャンは、バスルームに向かったベルナルドを追うべく足を踏み出した。そのつもりだった。
「へ?」
 だが、頭で考えるようには動かなかった足がもつれる。咄嗟のバランスを取ろうとするための反射神経も、アルコールにやられて働かない。見慣れた寝室の風景が、見慣れない角度に傾ぐ。ああ、俺、倒れてる? と呑気な考えが脳裏に過ぎり――
「ジャン!」
 声と同時に、咄嗟に引き寄せられたジャンの体は、ルキーノの体にぶつかる。
 ルキーノも酔いがだいぶ回っているのだろう。普段ではぶつかったくらいではびくともしない体が、ぐらりと本格的に傾いでベッドに倒れ込んだ。
 ルキーノの体の上に乗っかった状態で、ジャンはぱちぱちと目を瞬かせる。ちょうど胸の上に顎を乗せ、飼い主の体の上で寛ぐ猫のような体勢だ。
「あれ……悪い、ルキーノ……」
「……お前が足に来るくらい飲んでて、同じピッチで飲んでたアレッサンドロ親父は百メートル走でも出来そうな様子だったぞ。親父の肝臓はどうなってんだ?」
「セカンド童貞二十五年やると魔法が使えるようになるんじゃねーの?」
「ハハ! 魔法が使えるようになる前に、オズを探して願いを叶えさせようとするな、あの人なら」
 ひひ、と悪戯っぽく笑いながら言うと、ジャンの顎の下の、ルキーノの胸が笑いに震えた。
 見上げた先の、ローズピンクの色をした双眸が、面白がって細められている。穏やかなその色合いと、顎を乗せた胸から響く声に、ジャンは嬉しくなって一緒になって笑った。
 ああ、今日は良い夜だ――元々上機嫌だったが、嬉しさが増して、更に気分が良い。
 いい感じにアルコールが回ってだるくなった体は、やはり、ぐんにゃりと力が抜けていて、ルキーノの体に沿う。気づけば、ルキーノの体は、なんだかジャンの体にあつらえたかのようにぴったりと合った。
 密着するその感触が心地よくて、ジャンは全身を擦り付ける。胸に頬を擦りつけ、足を絡めるようにして腿と腿を擦り合わせる。筋肉の量のせいだろうか、ルキーノの体は体温が高く熱い。触れているとじわじわとジャンの方にも熱が移って来る。触れる箇所が増えるほど満たされた心地になり、はあっとアルコールで熱っぽく湿った息を吐いた。ルキーノの首筋に。
「……おいベルナルド、代わってくれ」
「ん? どうした」
 急に固い声になったルキーノの声に、呑気なベルナルドの声がバスルームの方から返って来る。
「あ、ルキーノ。ジャンは起きてるか? 寝ちまってたら、暖房を強めてそのままシーツの中へ――」
「いいから代わってくれ! 頼む!」
 のんびりとしたベルナルドの声を掻き消すようにして、苛立ったようなルキーノの声がしたのと同時に、ジャンはルキーノの上から転げ落ちていた。と言っても、横に転がされ、シーツの上に仰向けになっただけだが。
 起き上がったルキーノの広い背中が見える。その男の肩は、なぜか吐き出された盛大な溜息と同時に大きく下がった。
「ルキーノ? お前も酔ったのか? ……ん、起きてるね。大丈夫かい、ジャン」
 代わりに、バスルームへ服を片づけ終えたベルナルドが戻って、ベッドに仰向けになったジャンを覗きこんで来る。俺の方が大丈夫じゃない、などとぶつぶつ言いながら、ルキーノはシガーケースを取り出し、苛々とした仕草で紙巻き煙草に火を点けた。
 その様子を肩越しに振り返って、どうしたんだお前、と怪訝そうにしているベルナルドの首元に、ジャンは目を留める。
 あまり濃くない肌色が、ネクタイを緩めたベルナルドの襟元でちらちら覗いている。
 今のシャツだけの格好は、少し肌寒かった。だから、目の前にいるベルナルドはジャンにとって、それはそれは素敵な湯たんぽに見えた。
 両腕を伸ばして、ベルナルドの首裏で指を組む。そしてそのまま力をこめれば、
「ジャン? ……っ!」
 ベルナルドの体は不意をつかれてバランスを崩し、ジャンの上に落ちて来た。
 咄嗟にベッドへ手をついてジャンに全体重をかけるのは留まったらしく、密着はして来なかったが、ベルナルドがジャンに覆い被さっているような体勢は想像通り暖かい。それから、予想外に良いことがもうひとつあった。
 良い匂いなのだ。
 コロンや整髪料や、煙草、アルコールの混じった、ベルナルドしか持ち得ない匂いだ。男の匂いなどむさくるしいものと言う印象があるが、ベルナルドのこの匂いはひどく安心する。胸元に鼻先を擦りつけると、薄いシャツの下の体が強張った。
「なんだよ、いやなのかよう……ボスがだね、ちょっとおまいら可愛い部下とのコミュニケーションをだな」
「ジャン、そういう妙に説得力のあるようなないようなことを言うところばかり親父に似て来て……いや、昔からだったか……」
 ぶつぶつ言うベルナルドに、抗議の証としてシャツの襟元を噛む。ひ、とベルナルドの喉奥で悲鳴じみた微かな声が聞こえた気がした。
「……ルキーノ。代わってくれ」
「いやだ」
 視界の端で、ルキーノが灰皿へ煙草をぐりぐりと執拗とねじ消しているのが見えた。
「今のそいつに近づくと俺は何か失う気がする」
「俺ひとりだけ失わせるつもりか!? ルキーノ!」
 ジャンの上で飛び交う言葉は、ジャンにはわけがわからないが、ベルナルドとルキーノには理解出来ているらしい。二人にそれ以上の会話はなく、互いの様子を伺っているような沈黙が落ちる。失う? 考えても、ジャンには何の話だか、やはりわけがわからない。
「なあにあんたたちだけで通じ合ってんだよう……」
「通じ合わざるを得ない状況なんだよ、ハニー」
 やけに神妙な顔でそう言ったベルナルドに、丁重に――そして手早く、引き寄せていた手を解かれる。
 見上げたルキーノの顔も、なんだかやけに神妙な表情をしている。ジャンは二人の顔を交互に見るべく、くたん、と鈍い動作で頭を横にずらすと、シーツに耳が擦れた。
 肌寒いのだが、アルコールのせいで耳や頬は熱い。シーツのさらりとした冷たさで頬を冷ましたくて、ジャンは身を捩る。
 その拍子に羽織っていたシャツが本格的にはだけ、外気に触れる肌の面積が増えた。その寒さにジャンは思わず息を吐き、小さく身震いする。
「ん……」
 吐いた息に乗って、奇妙に鼻から抜けるような声が出た。ジャンは、それをまるで喘ぐような声だと自分でも思ったが、羞恥と感じる意識はすっかり麻痺してしまっていた。
 ふわふわとしていて、心地よい。ただそれだけが頭を支配している。そのため、ジャンを見下ろしている二人の視線が、むず痒いのを堪えるかのようにそわそわして来ていることには少しも気がつかない。
「……ジャン、意識はあるね?」
「ン? そりゃーもう、ダーリンのムカつくくらい男前なツラがよーく見えてますのことよ」
「おい、ジャン。ここがどこだかわかるか?」
「なんだよう、ルキーノ。俺はちゃあんと、デイバンのCR:5の本部にある寝室のベッドの上だろ? そんでもって俺は多分、夢ん中」
 こんなに心地よいのだ。おそらく夢だろうと、思った通りのことを口にすると、ベルナルドとルキーノが顔を見合わせている。
 どしたのけ、と首を傾げたジャンの手首を、右をベルナルド、左をルキーノの手が、がっしりと掴んで来た。
 さっきまで顔を見合わせていた男たちは、今はジャンのことを見ている。ぞっとするほどの満面の笑顔で。
「――せっかくだから、皆で夢のような心地を味わおうか、ハニー」
「一人だけで夢心地を一人占めする気か? ジャン。ちょっと味見させろ」
「お前ら何キレてますのん」





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 ルキーノの言う通り、ワセリンの滑りのせいか痛くはなかった。だが、自分の意思関係なく内側を広げられる圧迫感に、ぐうっと息が詰まる。
 息を詰めて体に力が入るはずなのに、ジャンの体は自分で思ったよりも強張らなかった。アルコールの酩酊がやはり抜けておらず、ルキーノの指の腹が中の粘膜の壁を撫でながら入って来ることを、止められない。
「あ、あ……」
 内側から擦られて、震えた声が出た。強い力の入らない体が、もう一本、と増やされたルキーノの指を、動きを邪魔しないくらいに柔らかく締め付ける。
 二本の太い指に、腹側を探るように何度か押され、ぞくっとジャンの両足に鳥肌が立つ。それは決して嫌悪感によるものではなく――そのことに背筋が冷えた。
「ここか?」
「っあ、う!」
 充血した粘膜を擦られて上がった声に、中をかき回していたルキーノが目を細めた。ライオンに捕食される獲物の気分と言うものがあれば、今の気分と少し似ているのだろう、とジャンは寒気を味わう。
 はぁ、はぁ、といつの間にかジャンの息は荒いでいた。ルキーノは内側に差し入れた指を抜き取り、興奮にしっとりと汗ばむジャンの腿を片手で撫でながら視線を上げ、ベルナルドの方を見た。
 アップルグリーンの目が、ローズピンクの目を見返す。ジャンの上で視線が絡まり――どうやら、無言のうちに二人の間では話がついたらしい。
「俺が先で良いんだな?」
 念を押すような調子でルキーノが言うと、ベルナルドは、ひょいと肩を竦めた。
「しょうがない、譲ってやろう。まあ、こっちだとジャンの可愛い顔が見えるしね」
 ジャンが浅い息を繰り返しながら見上げていたベルナルドの微笑む顔は、不意にぼやけ――ぼやけるほど近くに来たことに気づくと同時に、ジャンの唇は塞がれていて、ぬる、と上唇と下唇の隙間を嘗められていた。
「なっ、……っぅ、ン……」
 思わず声を上げて開いたジャンの口の中へ、ベルナルドの舌が入り込んで来る。真上から覆い被さる体勢で、深く合わさった口の中、震えた舌先をしゃぶられた。