夏の恋は魔物







「夏だな!」
 休みを利用して巻島の家へ遊びに来た東堂は、庭の芝生の上へ仁王立ちし、直射日光の下でそう意気揚々と声を上げる。
「夏だな……」
 巻島は腰を下ろしたシートの上で、日差しの眩しさに目を眇めながら東堂の背を眺め、復唱して相槌に変えた。投げ出して木陰からはみ出ている両足の爪先が、真夏かつ真っ昼間の日差しにじりじりと焼けて行くのがわかるような暑さだ。
 木陰に敷いたピクニックシートは、小学生の頃、運動会のときに使っていたものを倉庫から探して来た。シートの端にマジックで書かれた「巻島」の文字は、小学校の頃を思い出す。数年前のその時期には出会っていなかった男と、このシートを自分の家の庭先に広げて寛いでいるのだと思うと、何だか不思議な気持ちになった。
 あの頃は勿論、東堂と初めて出会った時も、二度目に会ったときでさえ、東堂とこうしている夏が来るなど思いも寄らなかった。恋人として、こうしているなど。
「……暑いな」
 巻島は自分の思考に自分で気恥ずかしくなり、誤魔化すように呟いて、手に持っていたスイカを齧る。しゃく、と音の立つみずみずしさと、冷蔵庫で充分冷やされた涼しげな舌触りと、熟した甘さに意識を奪われ、気恥ずかしさはすぐに消えた。
「うまいか、土産のスイカ」
 東堂が、巻島家の庭で夏を謳歌するのには気が済んだらしく、シートの上に戻ってきた。隣に腰を下ろし、スイカを食べている巻島の顔を覗き込む。巻島は、しゃく、と口の中のスイカを噛み砕き、喉を潤す甘さを味わいながら、素直に頷いた。
「うまい。甘い」
「もっと食え、巻ちゃん。たんと食え」
 シャリ、と音を立てて自分も真っ赤なスイカを齧った東堂は、巻島が一切れ食べ終わったと見ると、次から次へと勧めて来る。
 東堂が切ったこのスイカは八等分にカットされていた。巻島の家ではいつも半月形のそこから更にカットして三角形になる。普段見慣れないスイカの形は楽しいが、何せ一切れが大きいので、次から次へと進められてもそう早々と食べ終えることはできない。
「そんないっぺんに食えねぇよ。おめぇ最近、母親通り越して田舎のばあちゃんになってるショ」
「ム。巻ちゃんちにはスイカ、メガネくんへの土産を箱根まんじゅうにしたのは、ばあちゃんぽかったか?」
「土産の話じゃねぇショ。あと、箱根まんじゅうもうまい」
 残りのスイカは明日家族でいただくと巻島が言うと、東堂は、うん、と嬉しそうに頷いた。
「今回は、ご家族の帰りが遅いのは残念だった」
「会いたかったのかよ」
「そりゃ、巻ちゃんの家族だぞ。巻ちゃんと二人きりなのは、正直嬉しいがね」
「……そう、かよ」
 返事の言葉が、微妙に途切れてしまった。そこから黙ったせいで、蝉の鳴く声が耳につく。
 今日、朝から夜遅くまで外出している家族は、日帰り予定の東堂と顔を合わせることが出来なかった。家族からその日はいないのだと予定を聞いたとき、巻島も、ああ東堂と二人きりかと思い、嬉しくなかったわけではない。東堂のようにあけすけではないだけで。
 家にいるのが巻島だけで、特に凝った食事など出せない分、せめてのもてなしとして買っておいたアイスは、この気候ではあっという間に溶けてしまうので、保冷バッグの中に入れて庭に持ち出した。巻島はバッグを開き、そこから洩れ出るひやりとした空気を逃がさないよう、すばやくバーアイスを二本取り出す。
「食うか?」
「ああ、すまんね! いただこう。しかし、庭でピクニックが出来るとは、すげえな巻ちゃんちは!」
「フツーはしねーけどな」
「特別か」
 早速アイスをほおばり、何やら嬉しそうに言ってくる東堂に、ハ、と巻島は思わず笑ってしまった。些細なことで喜ぶ東堂に――些細ではないのかもしれないが――巻島の気持ちは解れる。
「おまえがやりたがったからっショ、このあちーのに」
「すまんね、夏を巻ちゃんと堪能したくてね!」
「クハ、暑いのはインターハイでイヤってほど味わったっショ……やべぇアイス溶ける」
 やはりこの暑さではすぐにアイスは溶け出す。先に食べ始めていた東堂は良いが、手に持ったまま喋って放っていた巻島の指には、すでに溶け出したバニラアイスが棒を伝って指にまで垂れてくる。
 手首にまで伝って来たバニラアイス味の白い液体に舌を突き出して顔を寄せ、ベロリと犬のように嘗め取っていると、ふと、東堂がこちらを凝視していることに気づいた。
「なに、どぉした、とうど……」
「巻ちゃん」
 顔が近い。
 身を乗り出して来た東堂の目が、食い入るように巻島の顔を見ている。顔……いや、唇、だろうか。ごくり、と東堂の首で、喉仏が上下するのを、巻島は見て――
「なんとなくわかったから気にすんな返事すんなこっち来るなっショ近いんだよおめぇは!」
「巻ちゃん! 巻ちゃんが垂れたアイスをエロく嘗めるのを目の当たりにした上に、汗がしたたって暑いから巻ちゃんの頬はほてってるし、オレはどうしたらいいと思う巻ちゃん!」
「落ち着け! エロくねぇショ! っつうか場所考えろ!」
「場所を考えればいいのか!?」
 必死に食いついてくる東堂に、巻島は頭を抱えた。そして、自分にも頭を抱える。抱えた頭の中は、夏の暑さにやられているのか、それとも、恋に溺れているのか、自分でも判断がつかない。
 巻ちゃん? と声をかけて来る東堂の腕を掴むと、巻島は立ち上がり、家の中へ――人目につかない場所へ、駆け込んだ。
 何せ、東堂の言う通りだったものだから。



2011.08.23.無料配布ペーパーへ寄稿