ドッグファイト!







 布団を敷いてやったはずだった。

 しかし客用布団を敷かれたはずの東堂は、巻島のベッドの上に寝そべって、週刊雑誌のグラビアページをめくっている。巻島が風呂に入っている間にどういうことだ。
 東堂はこの週末、輪行と走行を経て箱根からはるばる巻島の家に来ていた。来てからちゃんと風呂に入って汗を流し、ジャージに着替えているので、寛ぎきってごろごろしていても文句を言う要因はない。読んでいる雑誌も、来る途中で東堂が買ったものだ。しかし、どういうことだ。
「おめェ、布団敷いてやったっショ」
 巻島は長い足をベッドの上へ持ち上げると、かかとで東堂の体をベッドの端へ引き寄せ、床に落とそうと試みる。ハッハッハ、と笑い声を立てながら東堂は雑誌を手放してもがき、もぞもぞと床に落ちないよう壁際に這いずった。
「おい、東堂ォ。布団敷いてやったっショ、何でオレのベッドの上にいるんだ」
 更に床に落とそうとする巻島の足を留めるために、東堂が巻島の足首を掴んで、ぐぐぐ、とお互い力の攻防が始まる。東堂は巻島が転ばない程度の力加減で押し返していた。
「マーキングのようなものだ、気にしないでくれ巻ちゃん」
 仰向けの姿勢で東堂は巻島の足に落とされないよう押し返し、双方じゃれあいのような力加減の中、溌剌とした笑顔で言いのけた。巻島はその物言いに呆れて首を横に振る。
「イヤ、余計気になるショ。犬か、おまえ」
「ワッハッハ、そんなにオレが賢く凛々しく見えるならば鳴いてやろうではないか! なあ巻ちゃん!」
 東堂は、ワン、などとぬかして、不意に巻島の足から手を離した。東堂に向かってバランスを崩した巻島を、待ちかまえたとばかりに東堂が両腕で抱きとめる。
「犬か、おめェは!」
「ハッハッハ! ワン!」
 驚いて身を引く巻島に、してやったりと気を良くした東堂は、更にじゃれつくようにして抱きついて来た。
 そのままベッドの上に引き落とされる。スプリングのきいたベッドに転んでも痛くも何ともなく、巻島はただ、東堂の子供じみた行動に呆れるだけだ。──いや、まだ子供だ、自分たちは。
 ベッドでふざけてじゃれ合うと言う気恥ずかしさを、ふぅっと吐いた息で落ち着かせ、巻島は東堂の腕を自分の体に絡ませたまま寝がえりを打った。仰向けになった巻島の上に、寝返りに巻き込まれた東堂の体が乗り上げる。
 マウントの体勢で見上げた東堂は、少し目を細め、巻島を見ていた。
 絡んだ足が妙に熱いなと思いながら巻島は、ぽんぽんっと犬にするように東堂の頭を叩いてやる。巻島を見る目が、ますます笑みに細められた。
「巻ちゃんの犬にやる撫で方だな」
「ハ、ウチの犬はもっと行儀が良いぜ」
「うむ、オレにも吠えずにいてくれるな。あいつは賢い」
 東堂の指先が動いて、巻島が東堂へやったように、巻島の頭をぽんぽんっと撫でた。撫でられている奇妙なくすぐったさに巻島は身をよじったが、さっきのマーキングの話だが、と東堂に言われ、動きを止める。
「巻ちゃんは毎日この部屋に帰るんだろう」
「そりゃ、総北に寮はねぇからなぁ」
「部屋に帰って、寝る前に、ベッドでこうしていたオレのことを思い出してくれ。オレは、そのことを思い出している巻ちゃんを思おう」
 視線を繋げたまま東堂の言葉を聞いた巻島は、じっと東堂を見つめ、そして、わずかに首を捻る。
「……なんだそりゃ、オカズの相談の話か?」
 リアリストだと自認する巻島の頭には、理解が出来なかった。本気で疑問に思って尋ねると、爆発したような勢いで東堂が笑いだす。
「は? なに──とお、ど……」
「巻ちゃん、下世話すぎるだろう! ワッハッハ! それでもオレはまったく構わんがね! オカズにしないとは約束出来ねーからな!」
 人の体の上で大笑いしている東堂をぽかんと見つめた巻島は、ようやく、今がいわゆるロマンチックな雰囲気であったことに気付く。
 空気を読めなかった己と、そんな雰囲気になってしまっていたことの両方にカッと頬に血がのぼった。
「そりゃ、おめぇがそんなロマンチストだとは思わなかっただけっショ!」
「いやいや、スリーピングビューティーと自称するあたりで気付いてもいいだろう」
「自分で言うな」
 ぎりぎりと奥歯を噛みながら睨んでやると、すまない、と東堂は笑いをおさめて大人しくなる。
 そして、巻島の体の上からは一向に退く気配がない。
 巻島の横についた腕で自分の体重を支えているらしく、重くはないのでその点は構わないのだが、触れ合っている胸や足が妙に熱くて気になる。
 こいつは気になってないのかと窺うように東堂を見ると、東堂は指先に巻島の髪の先をくるくると巻き取って遊びながら──それが何やらくすぐったくて巻島は少し身をよじり──大笑いしていた時とは対照的に、静かに言った。
「オレは色々なもので巻ちゃんを思い出すからな。少しでも巻ちゃんに、同じように思って貰えたらいいなと思っただけだ」
 くるくる、くるくる、東堂の指先は巻島の毛先を弄る。その優しい手つきも、静かな声も、まるで愛撫だ。とろりと巻島の意識を鈍らせ、熱を巡らせ、体の力を抜かせる。
「雨が降っていたら千葉の予報が気になる。巻ちゃんが傘を忘れていないか気になる。夕陽が綺麗だったら、巻ちゃんも見ているかもしれんなと思うよ」
「何言ってるっショ、おまえ。そんなもん、当たり前のことじゃ──」


 ──どう考えても失言だった。きらっと目を輝かせた東堂に、全体重をかける勢いで、全身でぎゅうぎゅうと抱きしめられた時、巻島は若干の後悔をした。


2011.05.25.