勝者への、







 何キロ登って来たのか、時速何キロ出ているのか。コンピューターの表示を見る余裕もなくペダルを踏む。
 巻島の頭の中には、横の男を追い抜いて先に一番高い場所を過ぎる事しかない。風景はあっという間に通り過ぎ、どんどん余分な思考も、動きも、削ぎ落とされて行く。
 考えることはひとつだ。東堂、東堂、東堂ォ!


 ――しかし今回の練習では、東堂がほんの先に頂点を過ぎた。
 汗だくの顔を俯かせてクソッと敗者の自身を罵り、腹の中に勝利への渇望を燃やした巻島だが、同時に、全力で登って来た後のたとえようもない快感が全身をひたひたと満たすのも感じている。
 東堂が足を止めて地面に片足を着くので、巻島もそれにならって東堂の横で足を止めた。サイクルシューズの硬い底面がアスファルトを踏むのを俯いた視界に入れてから、巻島は顔を上げた。
 ハァ、ハァッと息が上がり、顎が上がりそうになっているのは、横の東堂も同じだった。だが顔はいかにも嬉しそうに笑みを浮かべている。
「ワッハッハ! ゴホ、勝利を讃えるキスはないのかね、巻ちゃん!」
 喉が渇いている状態で大笑いなどするものだから咳き込みつつ、東堂が無駄に元気に言う。じとりとした視線だけで、アホ、と伝えようとすると、まったく堪えない東堂は、ずいと顔を寄せて来た。
 キスをねだられた巻島は眉間に皺を寄せる。それと同時に周囲の車通りのなさを確認している自分を自覚して、更に眉間に皺を寄せた。
 近い距離の顔の間で、荒い呼吸が交わる。酸素を欲しがる体が呼吸を止められない。キラキラと輝いていそうな、期待しきった目の東堂の顔が近い。なんてキスのしづらい時にねだるショ、こいつは! と内心で呆れながら、巻島も顔を寄せ、顔を傾け、東堂の汗の流れている頬に唇を――


 ――つけるフリをして、ヘルメット同士をがちりとぶち当てた。油断しきっていた東堂が思いがけない衝撃に目を白黒させているのを見て、巻島は笑う。
 勝利のキスは表彰台の上でなければ様にならない。表彰台でも探してやるか、と、巻島は帰り道のルートを脳裏に思い描きだした。



2011.05.23.