3650日のイブ







 宛先に、荒北靖友と書くのは年に一度だけだ。他の知り合いに送る年賀状は、靖友には送らない。
 代わりに、オレのクリスマスと言うイベント日は、彼のためにある。
 彼一人にだけ贈るカードと、小さなプレゼント。高校を卒業した年から毎年送っているそれは、高校時代から続く恋の延長料のようなものだ。
 送らなくなれば――ただの一度だけ送らないそれだけで、延長は効かなくなるような気がして、オレは毎年クリスマスにプレゼントを選ぶ。
 新しい手袋。マフラー。ペンケース。携帯のストラップ。
 靖友を思って選び続けた贈り物の数々は、どれもわざわざ送り返すほどの金額ではないが、誰にでも渡す粗品のような気配はかけらもしない。それをオレは十年繰り返した。
 十二月に入り、街中がクリスマスシーズンを迎える準備もいよいよ本番と言う雰囲気になると、オレは毎日、靖友へ送るプレゼントについて考える。
 靖友とまったく会っていないわけではない。高校時代のチームメイトでの呑み会も定期的に開催されているし、インハイに出た三年で集まることも、同窓会もある。ただ、二人きりの――オレと荒北靖友だけが知っている交流は、このクリスマスのプレゼントだけだ。
 靖友はなぜか何も言わない。送り返して来るわけでもない。オレの恋心は毎年クリスマスにもう一年、もう一年と、毎年止められずに延長される。
 オレは高校時代、靖友が好きだった。そして今も、好きだ。






 今年もそろそろプレゼントを選びに街に出るか、と思いながら目覚めた十二月の頭の週末。外はひどく冷え込み、一晩かけてあっためたベッドのぬくもりはオレから起き上がる気力を奪った。
 毛布の中で丸くなったまま、枕元の携帯電話に手を伸ばす。液晶表示を寝過ぎて開きづらい目で見ると、十二時前だった。カーテンで陽光が遮られていて気付かなかったがすでに昼だ。眠ったのは夜中の零時頃だったと記憶しているから、十二時間近く眠ってしまっていたらしい。寝過ぎてぼんやりとしていたが、体に残っていた疲労は消えていて、休息日としての役割はきちんと果たしたようだ。
 冷えた空気の中、手を彷徨わせて今度は暖房のリモコンを取る。部屋が暖まってから起きようと、オレが毛布の中に潜り直して、殆ど二度寝の状態になったとき、不意に携帯電話が震えた。暖かな眠りへ戻ろうと閉じた目を、こじ開けるように開いて、着信の表示を見る――どうにも開かなかった目が一気に開いた。
「靖友!?」
『うわ、おまえ何だその声。寝起きかよ』
 寝起き一発目のがさついた声で電話に出ると、電話の向こうで驚いたような靖友の声がする。電話をかけて来るなど珍しい。毛布の中で落ち着かず、うつ伏せに寝がえりを打って上半身を起こした。
『新開、おまえ、寝起きなら家にいんの?』
「そうだけどよ、どうした?」
『一人か?』
「ああ」
『客の来る予定とかはァ?』
「今日は一日オフだよ。……どうした、靖友?」
 ふうん、と妙に気のない相槌が電話の向こうから聴こえる。どうしたのかと首を捻っていると、靖友は少し間を置いて、こんなことを言った。
『んじゃすぐにおまえんち行くから玄関開けろ』
 オレは予想外すぎる言葉に思わず飛び起きて、毛布のぬくもりのない寒さに一度震えた。


 靖友は、本当にすぐに来た。あの電話をして来たとき、すでに駅のあたりにでもいたのかもしれない。
 オレが目を覚まそうと顔を洗い、寝起きのがさついた喉をミルク入りのコーヒーで潤し出した頃に、もうインターホンが鳴った。オレは慌ててゴクリとコーヒーを飲み干し、玄関までの短い距離を少し急いて歩く。ドアを開くと、ぐるりと巻いたマフラーに顎先を覆われた靖友がいた。
「よ」
 寒そうに短い言葉で、靖友は挨拶をする。
「さむそうだな」
「寒ィよ」
 玄関の中に招き入れると、靖友が安堵したような息混じりに頷いた。やはり外は寒い。外から来た靖友の頬に触れたら冷たいんだろうなと思う。
「奥の部屋、暖房入れてあるから入れよ……どうしたんだ? 大荷物だな」
「ああ。コレ、オメーへの用事」
 スニーカーを脱ぐ間、邪魔だろうと、靖友の右手にあった大きな紙袋をあずかるべく手を出すと、靖友は喋りながら紙袋をひょいと持ち上げた。
「――返そうと思ったんだヨ。十年分だ」
 と、ぐいと手に突きつけられた袋を、オレは反射的に受け取る。
 靖友の口ぶりから、オレは中を覗く前から、その中身が何だかわかった。ああ、そうか、と。
 十年分の延長が終わるときが来たのだと、わかった。
 押し付け続けた往生際の悪い恋心の詰まった紙袋は、十年分とは言え、案外軽い。そうか、とオレは反射のように応じて、俯いてしまう視線で、袋の中身を見る。視界の端では、靖友が几帳面にスニーカーを揃えていた。
 大きな袋の中身は、赤や緑や金で綺麗にラッピングされた、リボンも解かれないままのオレの贈った十年分の、
「ん?」
 十年分の、……プレゼントでは、なかった。
「……なんだ、これ」
 予想外の中身に思わず呟く。オレにはまったく見覚えのない、しかし、しっかりとクリスマスのラッピングがされた包み紙の数々を見たオレの問いに、靖友は片眉を不機嫌そうに跳ね上げる。
「包みでわかンだろォ、クリスマスプレゼント」
「オレがやったやつじゃないだろ」
「はァ? オレが貰ったもん、なんでオメーにやンだよ」
 ……話が噛み合わない。靖友もそう思っているだろう顔をして、怪訝そうにオレを見ている。だとすれば、もしかして、と言う予感に胸の奥がざわりと騒いだ。
「もしかして、おまえが、オレに?」
「それ以外の何があるのか聞きてーよ」
 呆れた声が応じる。それにしても量が多い。十年分と靖友が言っていたなと思い出したが、その言葉とこのプレゼントの意味が、オレの頭の中では上手く噛み合わない。――動揺していた。
 要領を得ないオレに、靖友は自分の短い髪に指を突っ込んで苛立ったように掻き回すと、だからァ、と丁寧な説明をしてくれた。
「クリスマスプレゼントだヨ、受け取れ」
「これ、量多くねーか」
「おめーが送りつけて来た年の分だけだよ! マフラーも手袋も靴下も携帯ストラップも冬用のグローブもキーケースもウォレットチェーンもブレスも鞄も買って、もうやるモン思いつかねーから来た」
 オレは目を瞬かせる。二回、ゆっくりと。
 夢ならば目が覚めているだろう。だが目の前の靖友は確かに存在して、オレに、クリスマスプレゼントをくれると言っている。二人の間で、この十年間、クリスマスプレゼントについて言及したのは始めてで、どう言うエピソードとして扱っていいのか、正直戸惑ったオレは口ごもると、靖友は不意に気が抜けたように唇の端を歪めて、笑った。
「今年の分のプレゼントさァ。おまえ、何が欲しいんだよ。やるから、言え」
 最後はどこか甘やかすような、――他人が聞いたらただのえらそうな言葉だったかもしれないが、オレの甘えと過大な期待がそう聴こえさせたのかもしれないが、甘やかすような、声音だった。その声に誘われるようにオレは唇を開いた。
「靖友」
「なんだよ」
「おまえが欲しい」
 靖友はほんの一瞬怯んだように目を見開き、顎を引いてマフラーに口元まで埋めると、ごにゃごにゃ何か言ったようだった。コノヤロ、だとか、このバカ、だとか、そんな感じの罵倒だったようだが、弱い声で、罵倒には聞こえない。都合の良いオレの耳は照れ隠しに聴こえる。
 俯いた靖友の頬が赤く、それは寒さのせいではない。さっきまで、そこは赤くなかった。
「ナニ赤くしてんだよ」
「え?」
 靖友がオレをじろりと見上げながらの言葉に、オレは自分もつられたように赤くなっているのを知る。手の甲で自分の頬を擦ると、確かに少し熱い気がする。でも靖友も充分赤く、人のことは言えない。
 オレはそう言うために靖友に手を伸ばして――来たときは冷たそうに見えた、いまは赤くなっている肉の薄い頬に、指先を触れさせる。それだけで心臓がひとつ跳ねたようだった。それ以上動けないオレに、靖友は人をからかうときの顔で目を細める。頬を赤くしたままで。
「……で、オレをやったら、オメーのお返しはァ?」
「オレをやるよ」
「バーカ」
 皮肉げに笑う声に誘われて、オレは、頬に触れさせていた手で靖友を抱いた。




2011.12.09.