Honey Come Honey







 何回出したのかはっきりと記憶にない。
 太腿の内側に、肌がひりつくような熱の感触が残っている。ベッドに寝そべりながら、ガチガチだったナァ、と、出来るだけ人ごとのように、荒北は新開の性器を感触を思い出した。まともに考えると頭がおかしくなりそうな時間だった。
 互いの手で触れ合うこれは、相互の自慰のようなものだろう。
 だが、荒北は一人でこんなにしたことなどない。疲れるから、と言う理由で、おざなりに擦って出して終いだ。寮生活で、相部屋。こんな環境で落ち着いて出来る筈もない。
 こんなことは、初めてだったのだ。
 新開とすると、達した後の余韻が長い。快感が深い。そして落ち着く前にまた触れて来る。そんなやり方、自分でもしたことがない。
 男とこういう真似をしたことも、ましてや行為を想像したこともあるはずがない。そんなカルチャーショックも含めて、荒北はぐったりと疲労していた。自覚していたよりも、認めたくはないが緊張していたようだ。自分だけしかいない二人部屋で、荒北は、誰にも聞かれることのない溜息を深く深く吐き出す。


 新開はことが終わった後、ぐったりとベッドに突っ伏した荒北の頭や背中を、丁寧なことに優しく撫でてから、なんか買って来るよ、と言い、脱ぎ散らかしていたジャージを着直して外に出て行った。
 優しく撫でる、その妙に落ち着いた新開の態度が、荒北をほんの少し苛立たせる。物慣れているようで、じり、と胸の奥を鈍い熱で苛立たせる。
 苛立ちはしたが、手で撫でられること事態は、正直、心地良かった。ハンドルを握って皮の厚くなった手は、新開も荒北も同じだ。女子のように柔らかくも華奢でもない新開の手に、荒北は今日、一度目の精を吐き出した。
 そしてその後、手首を掴まれ、転がされ、足の間を女のあれのように使われた。これほどに疲労した出来事が、話としてはそれだけの説明で済むことだ。たかがそれだけのことだと思うと、ぐしゃぐしゃとややこしくなった頭と体が、少しだけ整理される。
 オレの足なんか堅くてヨくもないだろ、と荒北は思うが、見上げた新開の顔は飄々とした普段とは違い、余裕が薄く、苦痛に近いような快感で歪んでいたので、よかったのだろう。滴って来る汗も嫌ではなかったし、荒北も、悪くはなかった。きちんと達したので、おそらく、よかったのだろう。
 皮の厚い新開の手に、立ちあがったものを絞るように愛撫されながら、太腿の間を使われていると、体の奥で快感がどんどん明確な形になって行くようだった。
 あっという間に弾けてしまいそうで、早くイけよ新開、と怒鳴るように言うと、新開は一瞬驚いたような顔をして、それからキスを、……まともに考えると頭がおかしくなりそうだ。
 チ、と鋭く舌打ちをして、荒北は深く呼吸する。腹筋に覆われた腹が動く。
 体液はティッシュで拭ったが、こびりついた残滓が乾いていて、動くと、ぴり、と妙に肌が引きつる感じがした。散々擦り合った下肢も、なんだか、へんな感じがする。




「靖友、寝てるか?」
 呼びかけられて、ふっと意識が浮上する。
 ベッドで寝転んでいる間に、いつの間にか眠っていたようだ。呼びかけた声は新開のもので、視線を巡らせると、コンビニの袋を片手にした新開が、室内の小型冷蔵庫の前で荒北の方を振り返っていた。
 荒北はがしがしと短い髪を指で掻き回して眠りの名残を削ぎ落し、ベッドの上へ体を起こす。
「寝てねーよ」
「そりゃよかった。ボトルと食い物、買って来たぞ。腹減っただろ。食おうぜ」
 そら、と声をかけて新開が右手を揺らすので、何かペットボトルでも寄越すのかと受け取れる姿勢を取ると、予想外に、荒北の手に向かって投げられたのは畳まれたタオルだった。濡らして絞ったようで、湿っている。
「なんだァ、これ」
「体拭くだろ?」
「あァ……」
 更にベッドの上へ着替えのTシャツとジャージまで放られて、荒北は眉間に皺を寄せた。洗い終わって、クローゼット横の洗濯籠の中に入れたままだったものだ。
 世話を焼かれ慣れていない気恥ずかしさと、新開の平然とした様子に対する妙な苛立ちが混ざって、荒北を鼻白ませる。
「ああ、靖友。おまえ、パンツどれ──」
「るっせ! うるせェから……黙ってこっち来てろ!」
 下着まで準備されそうになり、荒北はばしんとベッドの上を手のひらで殴った。その剣幕を、ああ、と軽く流した新開は、笑いながら荒北の方へ寄って来た。
 ケッ、と毒づいて顔を背け、渡された濡れタオルで腹や足の間を乱暴に拭うと、随分さっぱりとして落ち着く。落ち着くと、喉の渇きを思い出した。
 ちょうどいいタイミングで差し出されたコンビニの袋を受け取り、そこから荒北は清涼飲料水のペットボトルを出して口をつける。あとで150円分の代金をきっちり払ってやるつもりだ。
 新開にあれこれ労わられるなど、なんだか、完全にヤられてしまった後のようでいやだった。
「ついでに窓開けろよ、匂いこもるだろォ」
 面倒、と言うより、けだるい、と言った方が良い声の荒北の指示通りに、新開がカーテンを開き、からからと音を立てて窓を開ける。
 外では、初夏に近い日差しに照らされた濃い緑色の葉が、風にさわさわと揺れている。静かな休日の昼間だった。
 周りじゅう、まさか、荒北と新開がこんなことをしているとは思っていないだろう。
 平和で静かな休日の昼間だった。少しずつ、荒北の脳と体に、日常が戻って来る。
「今日はいい天気だな」
 独り言のように新開が呟いた。立ったままで窓の外を見ている彼の横顔は、眩しいのか、微笑む時のように目が細められている。
 柔らかそうな前髪が風に揺れているのを見ながら荒北はペットボトルに蓋をし、前触れもなく新開の手首を掴んだ。
「靖友?」
 油断しきった新開がこちらに顔を向けるのを待つまでもなく、間髪入れず体を捻り、バランスを崩した新開の体をベッドの上へ押し倒す。
 あっと言う間に、少し前とはまったく逆の体勢で、荒北は新開に乗り上げていた。
 やすとも、と呼びたいらしい新開の唇が、声に出さずただ動く。その様子が妙になまめかしく見えて、荒北は、無意識に自分の唇を嘗めて湿らせていた。
 掴んだ手首を、自分の手ごとべッドの上へ、ぎゅう、と押しつける。荒北の手の下で新開の手首は、ぴくっと跳ねるように動いた。それを更に強くベッドにおしつけて動かないようにさせる。下から見上げる新開の目が、動揺を示すようにわずかに揺れた。
「どんな気持ちだァ、新開?」
「それなりに不安、だな」
「わかりゃァいいんだよ、このボケ!」
 そう言うなり、放り出すように手首を離して解放してやる。
 強引にことを進めたことへの怒りだと思ったのだろう、新開はゆっくりと目を瞬かせ、それから、すまない、と言った。したいのだと口にし、きっちり了承を取ったことをさっぱり忘れているのかと荒北は舌打ちしたくなる。
「靖友」
「謝んな、気持ち悪ィ」
 ばしんと新開の肩を叩いて、上から退いてやり、ベッドの端に座り直した。申し訳なさそうな気配を漂わせる新開に、だからさァ、とわざわざ説明するのも面倒だが、誤解させているのも面倒だ。
 この関係は、とにかく面倒なことが多い。
 面倒だが、進まずにはいられない。
「あのなァ、こんな真似しねーでも逃げねーんだよ。無駄なことやってんじゃねーっての! 疲れるだろ」
 これはまるでレースのようだ。荒北は、新開の腕が自分を抱きしめて来ることを許しながらそう思った。