飛ぶ夢をしばらく見ない







 楽しい夢かと問われれば、ちっとも楽しくない夢だった。
 飢えたように求めているものを、夢であると自覚して見る夢ほど楽しくないものはない。荒北は夢だとわかっている夢の中から目覚めようと思ったが、この夢の中には、飢えたように求めていた状況があるのだ。甘受したい気持ちもある。なにしろこの夢はカラーで、声も匂いも感触もある、非常に生々しいものだった。そのぶん現実ではないことへの切なさが増す。
 あたたかい。相手と荒北の体は密着して抱きしめられている。下側から、もろい場所で相手を受け止めて、揺らされる。ふわふわとした感覚だった。ゆるやかな甘ったるい動きの中、不規則に静電気が走ったときのようにぴりっと快感が走る。どうせなら夢だとわからなくなるほど欲しいのに、夢は甘くもどかしく、いっそ悲しさばかりが募るままならなさだ。抱きしめられて求められているのに、もどかしい。欲しいのはレース中のような息遣いと汗のにおいと高い体温と鼓動なのに、うっすら香る体臭混じりのシャンプーの匂いと、ただただ優しく甘い、中途半端な情熱だけだ。もどかしいのに、跳ねつけられない。
 目が覚めたらこれは夢だ。
 わかりきっていることを自分に思い知らせるように考えると、喉の奥から嗚咽がもれた。




「夢見てた」
 目が覚めて、荒北は呟いた。寝ていたのは福富の部屋のベッドだった。共に勉強していたはずが、途中でウトウトと舟をこぐ荒北を見かねた福富が、仮眠しろとベッドを提供してくれたのだった。
 福富は机の上のノートから視線を上げて、ベッドの荒北を見た。目元が濡れている荒北は目が合わせられなくて寝返りを打つ。
 枕に頬を摺り寄せると福富の匂いがする。この匂いが夢の原因かヨ、と、理由を知る。
「……泣くような夢か」
 福富の低い呟きに荒北の心臓が跳ねる。ばれてるなら隠しても仕方がない。荒北は服の袖口で目元を拭い、寝返りを打ちなおして、福富の方へ向く。ずっと色を抜いている金髪がやけに眩しい。王冠のようだ。福富が王であるのならば、荒北はそれを守る騎士だった。
「んだ、見てたのかヨ、福ちゃん」
「急にしゃくり上げるからびっくりしたんだ。泣くような夢だったのか?」
 福富の眉間の皺が深くなる。心配されてる、と気づき、荒北は口端を吊り上げて笑った。心配させまいと軽く笑い飛ばして、いつも通りに──。
「泣くような夢だよ」
 だが荒北の口をついて出たのは考えとは逆の、心配を深めさせる言葉だった。
 自分見つめる真っ直ぐな福富の目に、嘘をつくのはつらい。つらい。つらかった。ずっとそうだ。嘘をつかず、思いのすべてを何も偽らず吐き出せたらと夢想して、そんなことは出来ないと何度も自分の感情にけりをつけた。けりをつけたつもりで、思いはまた荒北の中に蘇ってきた。夢に見るほどの欲望が育って行った。つらかった。じわりと荒北の熱が上がり、未だ夢の名残が残っている涙腺が緩み、あ、やべ、と思った頃にはぽろりと零れた涙が福富の枕に吸い込まれた。
「荒北──」
 福富が名を呼んでこちらへ来るので、なんでもない、寝起きだからだっての、と誤魔化そうとした荒北の口が、少しかさついたくちびるに吸われる。
 一瞬唖然として涙もとまる。事態を把握したときには、目元をたゆたっていた熱がカッと頬に集中したようだった。
 キスをして来た福富が顔を離すと、荒北は、ああ金髪にしてるけどまつ毛はしっかり黒い、と当たり前のことを考えていた。今の状態について、まともに考える余裕がないからの思考だ。考える余裕なく、わけがわからず、荒北は何も言えずぱくぱくと口を開いては閉じる。福富はベッドの横に膝をついて荒北を近い距離で見下ろしながら、
「びっくりしたか」
 と言った。
「びっくりした」
 おうむ返しに近い返答を荒北はする。一度言葉を出すと、びっくりしていないとでも思っているのかと理不尽な怒りが福富にわいた。人の気も知らねーで! と苛立ちながら福富を睨みあげる。
「そりゃびっくりするだろ、福ちゃん!」
「泣きやんだな」
「へ? そ……そのためェ……?」
 怒りは、福富の予想外の言葉にあっと言う間に霧散した。福富はそこまで天然ボケだっただろうか。泣きやませるためにキスをするくらいに? そういう男だったか? 荒北の混乱は、福富の低く、少しだけ怒りを含んだ声に治められた。
「そんなわけないだろう」
 その時の表情が、頬にうすく朱がのぼり、仏頂面の鉄仮面ながらも照れたとわかる様子だったので、荒北の心臓は一気に早くなる。全身に急に血がめぐったのか、冷えていた指先からつま先まで、一息に目覚めた。夢の名残が洗い流される。切なさ、寂しさ、もどかしさ、そんなものが流されて消えた。残ったのは福富への素直な感情だけだった。荒北は素直な感情のあふれるままに、ふくちゃん、と呼ぶ。
「福ちゃんとセックスしたい」
 今度は福富が驚く番だった。びく、と肩が揺れてそのまま硬直している。嫌悪ではない。安心して、荒北はにやっと笑う。
「びっくりした?」
「びっくりするだろ」
「今やったらすげー気持ちいいと思うんだけどさ、福ちゃん、どう」
 上手く誘う言葉とはどういうものだろうか。わからずに必死に口にしながら、差し伸べて肩に触れさせた指先は、また、緊張に冷えていた。その指は、福富の手に包み込まれる──福富の手も冷えて、それでいて少し、汗ばんでいた。
 福富がベッドに乗り上げて、三年間使い続けたベッドのスプリングがぎしりと軋む。真上を見上げると見える福富の、意を決した、と言うのが丸わかりの眉間の深い皺が、おかしかった。
「夢にするなよ」
「ハハッ」
 福富が落としてくる言葉に、荒北は笑う。福富の中にもあるらしい不安を、幸福に受け取って笑う。この世界にはそんなものが存在していたのか。
「夢みたいなこと言うなよ、福ちゃん」
 夢の中のように、夢の中とは違う気持ちで、荒北はまた泣きそうだった。




2012.04.16.