ドリームメイカー







「いい加減みんな慣れたんじゃないですか」
 手嶋がからかい混じりで言った言葉に、ロッカールームの誰も否定しなかった。ぎゃあぎゃあ途切れ間もなく言い合っている今泉と鳴子の会話をBGMに着替えをしていた面子の反応は、笑うか、頷くかの二種類だ。
「慣れてもうるさいっショ」
 そう言いつつも、巻島も別段今泉と鳴子の言い合いを止めることも、うるさいと怒鳴ることもない。練習後なので練習の妨げになっているわけではないし、自分たちのロッカースペースでやっているので他の部員の着替えを邪魔しているわけでもないし、手が出るわけでもないし、ただ、うるさいだけだ。
 慣れきった部員たちの話題の中心にされ始めたことに気づいた今泉と鳴子は、居心地悪そうな顔で、ようやく言い合う言葉を自分の内側に収める。
 田所はワイシャツの襟首に適当な手つきでネクタイを結びながら、ガハハと面白がる目つきで笑った。
「それでおまえら、チームレースになるとちゃんと引き合うんだから面白いよな」
「そりゃ当然です」
「そらそうですわ。勝負は勝負、試合は試合、っちゅうもんやで」
「……気は合うのに」
「小野田くん、いま何て言うた!?」
「勘違いだ、小野田!」
「ええっ!?」
 今泉と鳴子の横で、思わずと言ったふうに呟いた小野田は、話題にした二人に揃って迫られ、全力で否定され、目を白黒させた。






「おい、スカシ!」
 後ろから鳴子の怒鳴り声が聞こえて、今泉は意識を僅かに後ろへ集中した。走行中なのでほんの僅かにだ。他に意識を向けるべき場所は山ほどある。
 今日は練習走行であり、道路を封鎖したレースではないので、併走は出来ない。追い越すことは可能だが、互いに、ただで追い越される気はなく、競ることになるだろう。横を車も走る一般道でそんな真似をするわけにはいかず、順番に引いていた。走行のラインを少しずらすとすかさず鳴子が前に出て、「おい!」ともう一度言うので、今泉は、今度は前にいる鳴子に意識を向けた。
「なんだよ!」
「スカシ、おまえ、いま走りやすいか!?」
「は──」
 意外な質問に今泉は一瞬、ペダルの回転数が落ちた。ハッとして慌てて脚を回し、回転数を戻す。そして鳴子の後ろを走りながら短い時間考えた。
「──走りやすいな」
「そうかい」
 素直に答えると、鳴子も茶化すことなく素直に相槌を打った。インターハイを終えて間もない。競うのではなく共に仲間として、チームとして闘った日、限界まで神経も頭脳も肉体も振り絞った日から、その前と比べて、鳴子と走ることは格段にスムーズになっていた。今日はずっと平坦道のコースなので、鳴子の得意な場所と言うこともあり、ペースも速い。手嶋と青八木のようにまではいかないが、引き合うタイミングも呼吸も、合わせられる。
「おい、鳴子」
 今度は今泉から声をかけた。なんや、と前を走る鳴子から返事が来る。
「おまえ、田所さん追い越すんだろ」
「当たり前やろ」
「オレは金城さんに勝ちたい」
 鳴子の前へ出ながら、今泉は言う。鳴子が流れるように下って自分の後ろへ付く動きが、見なくてもわかる。
「インハイが終わって思ったよ。個人だけじゃなく、田所さんと金城さんのチームワークにも勝たねェとオレたちは本当に勝ったわけじゃない。小野田は巻島さんに勝つとか負けるとか、そういうことは思ってないだろうが……」
 脳裏に小野田のきらきらした眼差しがすぐに浮かんだ。巻島と小野田の関係は、金城と今泉とも、田所と鳴子ともまた違う。一年三人が皆それぞれがそれぞれに、彼らを尊敬し、対抗心や憧れを持って影響を受けている。今泉の中にあるのは、以前エースの座から実力で引きずり落とさねェとと考えていた頃とはまた少し変わって、尊敬しているからこそ乗り越えたい、だ。全てを乗り越えるためには、個人勝負だけではだめだと、インターハイを過ぎて考えた。
「オレがインターハイにエースとして出たとき、三日目のゴールを狙うときの発射台になってくれるのはおまえだと思ってる。たとえ、おまえがオレの性格を気に食わなくても」
「気に食わんなんて誰が言うた」
 今泉はまた一瞬、ペダルの回転数を落としてしまった。急いでまた回転数を戻す。まだこの場所では、一定のペースで、一定の心拍数で走る予定だった。それなのに回転数を下げてしまったり、心拍数は妙に上がっていたりと、散々なサイクルコンピューターの表示に、今泉はくそっと内心で呟く。
 気に食わんなんて──その言い回しではまるで、今泉のことを嫌っていないようだ。鳴子の口から好意的にも聞こえる言葉が出て来るとは想像していなかった今泉は、目を瞬かせながら、反射的にいつも通りの言い合いになる言葉を口走っていた。
「おまえの態度がそう言ってるだろ」
「態度が口きくかいな!」
「おまえに文系の心得はまったくないのか!」
「な、なんやちょっとくらい意外な才能があるからって」
「ちょっとじゃないだろ、おまえとの点数差」
「なんで知ってんねん、ワイの点数!」
 ぎゃあぎゃあと言い返す鳴子の声は、前へ行ったり、後ろへ行ったりと、前後を変えるたびにぐるぐる移動する。
「スカシ!」
「なんだよ!」
「ワイの速さに、付いて来れんて泣きなや!」
 そう怒鳴った鳴子の腰がサドルから上がった。ぐっと体重を乗せて踏み込む動きに、今泉もダンシングの体勢になる。
 目の前に見えるのはヘルメットから覗く赤い毛先と、総北ジャージをまとった小柄な背中。派手なピナレロの車体。
 ──きっとこの光景を、一年後のインターハイでも見る。
 今泉はそう確信のように思いながら、ぐんっと速くなる鳴子の速度からちぎれないよう、ペダルに体重を乗せた。




2011.12.22.