新宿ソープオペラ







 痴漢が多発しています、と、朝乗った電車のアナウンスが言っていたな。そう蝉は思い出す。
 それは、電車内だけのことだったはずだ。ここは電車外だっての! と怒鳴りそうになるが、怒鳴っては、目の前の桃が、情報を語っている声を遮ってしまう。
 次のターゲットになるかもしれない男についての話。そんなこと、情報料を払っている岩西と言う名のおっさんだけでなく、蝉だって聞きたい情報だった。自分が殺す相手の、殺される理由を知るチャンスだ。だから、おとなしくしていた。
 桃の店で、桃の目の前で、桃と話しながら尻をまさぐられていることと引き換えにでも──

 ──と言うわけにはいかず、蝉は無言で岩西の手をべしっと払いのける。
 やめろ、と意思表示のこもった手をかい潜って、また岩西の手が蝉の尾てい骨あたりをまさぐりだす。
 パーカーの裾付近についた、ウサギの尻尾を模した飾りを掴み、手の平でそれごともみくちゃにするように大きく蝉の尻を撫でる。長い指が、ぎりぎり足の間のほうにまで掠めたりさえして、蝉の体を震わせかける。
 また岩西の手を払いのけ、ギッと人を殺すような視線で蝉が睨んでも、平然とした岩西が桃と話をしているだけだ。
 こっちに気をまったく向けないくせに、尻だけ延々まさぐるとはどういうことだ。カッとした蝉が、おい! と腕を掴んでがなりつくと、岩西は不思議そうに、なんだよ、と言った。蝉の剣幕に戸惑った、と表現しても良いだろう。
 そのすっとぼけた態度に、蝉は更にカッとして、自分の尻を撫でていた岩西の手を掴み、持ち上げる。それは図らずも、この人痴漢です、の図だった。
「なんなんだよ、さっきから人のケツ触りやがって! パーか! パーになったのか、とうとう!!」
「はあ? 蝉、てめえなに言って」んだ、と言いかけた岩西の言葉は、蝉に掴まれた手を見て止まる。
 岩西は眉を歪め、なんだこりゃ、と呟いて蝉の血の気を増させる。そして岩西は、散々まさぐられた蝉の尻の方を見て、ああ、とようやく合点が言ったように声を漏らした。
「そりゃお前のせいだろ」
「何で俺のせいなんだよ!?」
「蝉。お前、最近、尻尾のついてるやつ着てねえだろ。懐かしくなっちまってなあ」
 つい、と言いながら、尻尾を摘んで引っ張る岩西の悪気のなさにキレた蝉は、嫌い、嫌いすぎ! と、とうとう怒鳴って外へ出て行く。

 待てよ蝉、と、すぐに岩西の声が追いついて来る。
 岩西が追いつけないほどの速さで走れるはずの、蝉のフードの端を、岩西があっさりと掴んで引き止める。蝉は待ち構えていたかのように振り返って、叫んだ。
「桃の前でふざけんな、一生ウサギでも撫で回してろ! 大っ嫌い!! ──何笑ってんだよ!?」
「てめえのツラが真っ赤だからだよ」








 ──蝉が店から出て行った後を、なんだあいつ、と怪訝な顔の岩西が、桃に万札をきっちり十枚渡してから、追おうとする。
「なんだ、もういいのかい?」まだ情報の全てを口にしていない桃が、岩西の背に呼びかける。
「ああ、もうわかったからいい。ターゲットは別のヤツだ、確認出来た」そして岩西は、一言付け足す。「ウチのがやかましくして悪いな、桃」
 ウチの、などと、そう表現する相手が岩西に出来るなど、数年前の桃には想像出来なかった。
 岩西は振り返ってひらりと指先を振ると、蝉を追って新宿の街へと出て行く。桃は痴話喧嘩まがいの二人に呆れながらも、唇から、紫煙混じりの笑いを零す。






2011.05.05.