プリーズ!




「しょーちゃん、おやつですよーん」

 ノックに「おふくろ、帰ってたのか?」と返事を返しながらドアを開けると、変な口調で自室を覗いて来たのは滝だった。
帰宅して制服のシャツから部屋着のパーカーに着替えた南部と同じく、滝も私服姿だ。確かに一度自宅に帰ってから南部の家へ来る話になっていた。だが、南部の家はいま南部一人きりのはずで、インターホンも鳴っていないし、玄関には鍵がかかっている。

「いつ来たんだよ!?」
「ついさっき。いやー、来る途中で南部にメールしようとしたら駅前のスーパーんとこの前で買い物帰りのアキコちゃんと会ってさ、荷物持ちがてら一緒に南部んちまで来たわけ。どうぞ上がってー買ってきたポテチをおやつにショーヘイと食べてねーって言ってくれたアキコちゃんは、今度はドラッグストアにお買い物に行ってくるってよ」
「また人の親をアキコって……」

 話しながら滝を部屋に招き入れ、ポテトチップスの袋を受け取る。あまりないような母親の呼ばれ方への違和感に、呆れ半分で言った南部に、滝は不思議そうに首を傾げた。

「だーって、太一くんって呼んでくれるんだぜ?」
「普通だろ」

 南部がそう返す間に滝は寛いだ様子で床のラグマットの上に座り、南部も、封の開いていないポテトチップスを間にして滝の正面に座る。

「だったら俺だって、アキコちゃんって」
「だから普通だろ、太一くん」
「……、アキコちゃん」

 微妙な間のあと、滝はまた南部の母の名を口にした。南部は苦笑しながら滝の肩をぽんぽんっと叩く。

「わかったわかった、好きに呼んでくれよ。あんましウチのおふくろ調子に乗せんなよ。おまえが帰った後でうるせーんだから……」
「ちがう」
「は?」
「それじゃなくてさ、今のもう一個前のやつ。もっかい言って? 行くぜー。だったら俺だってアキコちゃんってー」
「は? だから普通だろ、太一くん」

 さきほど聞いたばかりの台詞に、言ったばかりの台詞で返すと、それだ、と指を鳴らされる。

「さっきからなんなんだよ、滝……」
「わーお。新鮮。南部に名前で呼ばれんの」
「ばっ……」

 滝はわざとらしくきょときょとと目を瞬かせた。だがその頬は赤みを帯びていて、純粋に照れをあらわしているものだから、南部は、ふざけた態度に対するツッコミを一瞬入れそこねる。

「ば、バカ言ってんじゃねえよ」

 タイミングがあきらかにズレた。ぜってーに動揺したのがバレてる、と感じた南部の思いは正しいようで、滝はむずむずとニヤつくのをこらえた表情をしながら、両腕を延ばし、正面から南部にべったり抱き着いて来た。

「なあなあ南部ー」
「おい、滝。重てーって」
「ヤってる間だけでいいから太一って呼んでみない?」

 へばりつく滝を押しのけようとした南部の手はその言葉に動揺して、滝の顔の横、なにもない空間に突き出される。その勢いで上半身の揺らいだ南部の頭を、滝はここぞとばかりに両腕で胸元に抱え込む。

「なあなあ南部ー、なあ」
「ばっかやろ、そっちの方が恥ずかしいだろ!?」
「しょーへー」

 不意に口にされた呼ばれ慣れない呼び方に、じたばたと抵抗していた南部はギクリと身を強張らせた。滝は大人しくなった南部の頬へ顔を近づけたと思うと、だーってさー、とスリスリ頬擦りし出すので、南部は慌てて滝の胸を押し退けた。バランスを崩したまま抱えられていた南部は、滝の腕の中から滝を見上げるような体勢になる。

「アキコちゃんや南部の従弟には呼ばれてたのにー」

 ふざけた口調の言葉に南部はハッとした。正しく言うと、ふざけた口調で喋る滝の表情に、だ。僅かに眉が寄せられ、だが口元は笑い、どこか拗ねたようだが目はじっと南部を見つめている。
まさかこいつは、

「しょーちゃん」

 そんなことにヤキモチなんぞを妬いて――

「しょーへい」
「うるせーよ、バカ太一!」

 咄嗟に出た言葉に滝が目をまんまるに見開く。それから、みるみるうちに満面の笑みを浮かべた。

「超愛してる! 南部!」
「声でけーっつーの!」

 尻尾があったら振りまくっていそうな滝にぎゅうぎゅうと抱きつかれ、力任せに押し倒された南部は、頭をぶつけないよう後頭部に回された滝の手に免じて、跳ね退けずに抱き返すことにする。

「……ちいせー声で喋れよな、太一」
「な、南部!?」

 耳朶に息が触れる距離で囁くと、滝が驚いて身を震わせるのがはっきりとわかって、南部は、仕返しとばかりに滝を力任せに羽交い締めてやった。









2010.09.27.