六月の花嫁




 へえ、と蒼葉がメールを見て声を上げている。俺がその背後から肩に両腕を乗せて凭れかかると、蒼葉は、重いって、と苦笑しながらもそのままにさせていた。俺は遠慮なくつやつやとした髪に頬を寄せ、蒼葉の耳元にこめかみをくっつける。
 風呂上がりの俺と、その前に入った蒼葉とでは、俺の方がだいぶ体温が高かった。薄い布地の寝間着越しにじわじわと俺の体温が蒼葉に染み込んで行く感じがいい。
「何見てんの」
「紅雀からのメール。客が最近立て続けに結婚式で、気合入れて仕事したーって話と、お客さんの花嫁姿の写真。6月だしなぁ」
「なんで6月だし?」
「へ? ああ、ほら、結婚式シーズンだろ? じゅーんぶらいどー、って言って」
 つかお前髪ちゃんと拭けよ、こっちまで濡れるんだよ、と蒼葉が腕の中で振り返って、俺の肩にかかっていたタオルを取った。ばさりとかぶせられたタオルを使って、蒼葉は風呂上りでびしょ濡れのままだった俺の髪を拭う。しょーがねーなぁ、と言いながら。ガキ扱いは気に食わねーけど、蒼葉がなんとなく嬉しそうにしてっからそのまま拭かれた。
 放っておけば乾くような短い髪は、あっという間に水分をあらかたタオルに吸われる。肌を伝って喉の方に落ちてた水滴は、蒼葉の指に拭われた。
「6月の花嫁は幸せになるんだってさ、よく知らねーけど」
「ふーん」
 さっきの説明の続きを聞いた俺は、かぶせられたタオルはそのままに、写真見せてよ、とねだって、メールに添付されていた写真を見るため蒼葉のコイルを覗き込んだ。差し出された写真映像の女は、整えられた髪の上に白いベールをかぶり、白いドレスを着て、幸せそうに微笑んでいる。
「へぇ、幸せそう」
 そのまんまの感想を口にして、ふと視線を感じたと思うと、蒼葉がこっちを見ていた。目が笑ってるのに、口元が笑うのをこらえて引き結ばれてる。からかうでもなく、ただ、嬉しいのをこらえるような顔だ。
「なに?」
「いや、お前さ……花嫁さんみたいだなって」
「は? アンタ眠いの? 寝ぼけてる? つかさ、男だから。花嫁にならねーし」
「そうじゃなくて、タオル! ほら、かぶってるとベールぽくないか?」
「あー……、まぁ」
 かぶっている布として大きくくくれば、タオルもベールも同じだ。曖昧に頷く俺の頭をタオル越しに蒼葉が撫でてくる。
 またガキ扱いだ。俺が蒼葉の腰を抱いて引き寄せると、撫でていた手が止まった。目を覗き込むと動揺に瞬きが少し増える素直な蒼葉の目が好きで、俺は目の縁にキスをする。ちょんとぶつかった唇に、瞬いていた目が見開かれる。
「ノ、ノイズ?」
「つかさ、アンタ」
「なに」
「アンタの花嫁に言う言葉、ないの」
 胸をぴったり合わせて。俺は問う。促す。ほら、と目を細めて、つい笑ってしまう唇はそのままに。
 わかるだろ。言えよ。期待をこめて視線を合わせていると、蒼葉はぽかんとしてから、じわじわと真剣な顔になり、眉間に皺が寄り、むずかしい顔になって、もしかして万が一の可能性で嫌なんじゃねーかと俺が思い出した頃、ようやく、大きく息を吸って、真っ直ぐに俺を見て。言った。
「Will you marry me」
 ……出て来た言葉は蒼葉と俺のどっちの母国語でもない言葉。そして、俺が一生縁なんかねーと思ってたもの。
 結婚式だとか花嫁だとかベールだとか、好きだとか、愛してるとか、家族だとか、いのちだとか、生きている感じとか、わかちあうとか、そういうもの。考えることすらしなくなっていた、誰かと繋がる願い。
 蒼葉は、俺がけっして触れられないと思っていたものにたやすく触れさせてくれる。
 そのことを思い知った瞬間だった。俺の中にあった、凍りついた「寂しい」の気持ちは、蒼葉の熱で水蒸気のようにあっと言う間に消えて行く。Auf Wiedersehen!
 じんと胸に響いて来る何かに、俺は、声を立てて笑った。おかしい。たのしい。
「ドイツ語じゃねーんだ!」
「ばっ、ばか! そんなドイツ語とか習ってねーよ! ばーか!」
 蒼葉が顔を赤くして怒っている。なに笑ってんだよとか言いながら俺の頬を優しくつねる。怒りながら照れながら、それでも俺の腕を振りほどくことなくぴったりと身を寄せている蒼葉が、好きだ。
「アンタ、ちょっとだけ黙って」
「言えっつったり黙れっつったり、ノイズ、おまえなぁ」
「いいから」
 俺は蒼葉がベールだと言ったタオルをかぶったまま、ぎゅっと抱きしめて、耳元にささやく。俺の母国語と、蒼葉の母国語と、二つ重ねて。チュッ、と音を立てて頬へのキスもおまけにつけて。
 そうしたら蒼葉は真っ赤になって目を丸くして黙った。先に言ったのはアンタのくせにと俺はまた笑ってしまう。

「……するよ!」
「当然」

 そして蒼葉から返って来た、照れて荒い声での色よい返事を、俺は、お互いの唇に封じ込めるためキスをした。





2012.05.25.恋文の日に。