その毒杯を唇から



 仕事場で、誰も来ない場所で休憩をしながらキスをする。例えば今いるような、署の屋上なんかで。
 どこのトレンディドラマだ、少女漫画だ、とこのシチュエーションを内心で罵りながら、足立は煙草の匂いのする唇に軽く吸い付いていた。
「……堂島さん、今日、僕、煙草吸ってないんスよ」
 唇が離れてすぐ、キスの余韻の残る空気にそう囁くと、堂島は怪訝そうに首を捻った。足立は、ちら、と彼の唇の隙間を赤い舌が嘗めるのを見る。味でも確かめているのだろう、素直な仕草だった。
「わからねえ」
「あはは、堂島さんは吸ってましたからねぇ」
 笑う足立の唇に、煙草の匂いのする堂島の唇がまたかぶさってきた。確かめる気だろうかと思いながら足立は口を開いて誘う。
 さっきまでの、ただ乾いてた表面を触れ合わせるようなキスとは違う。嘗めて濡れた唇が張り付くような感触で、興奮する。唇の隙間を先ほど堂島が自分でしていたように、ちら、と小さく嘗めてやると、合わせが深くなって足立は湿ってぬめる舌を絡め合わせることに没頭する。


「煙草くさいです」
 長いキスの後、足立は息が上がるのを出来る限り堂島に悟られないように、ゆっくりと言った。堂島の方は、余裕のある顔で煙草を取り出して咥えている。
「いつも吸ってる癖に」
「お互い吸ってる時は気になんないんスけどねぇ、何なのかなぁこれって」
 どうでも良い事を話すと、堂島さんは一瞬面倒臭そうに眉を寄せてから、それでもちゃんと考え出す。ああ、この人は「よいひと」なんだなぁ、と足立は思う。「僕」は最初興味ありそうな顔をして、ちゃんと考えたりしない。「僕」の逆だから「よいひと」だ。
「俺はそう思った事ねぇからなぁ…」
「堂島さん吸い過ぎなんですよ。菜々子ちゃんにおさけくさーいだけじゃなくて、そのうち煙草くさーいって嫌がられますよ?」
 娘のことを出されると弱い堂島は、眉間に深く深く皺を刻んで――ポケットから出て来た携帯灰皿へ、まだ半分も残っている煙草を突っ込んで潰した。すぐに煙草を断つのは無理だろう、すでに堂島は喫煙が癖になっている。だが、菜々子のことを思うといつかそのまま禁煙してしまうかもしれない。
 今のうちだけだ。
「堂島さん」
 いつか味わえなくなるだろう煙草くさいキスを、足立はもう一度とねだった。



2008/10/13/