かわいい





 放課後の屋上で、二人してコンクリに直に座って、間には開かれたポテトチップスの袋。
 二人とも手を伸ばせばすぐ届く範囲にポテトチップスを置いておきたいから、自然と互いの距離は近い。


 近い距離にいる陽介はかわいい。
 ちなみに、距離に関わりなくかわいい。


 相棒相棒と懐いて来る相手はやはりかわいい。
 同じ年の男で友人である陽介に、懐いて来ると言う表現も、かわいいと言う表現も合わないかもしれない。でもかわいい。

 みんなの中で、ふざけて笑う。かわいい。
 俺の前でリラックスして笑う。かわいい。

 かわいい。
 どうしようか。どうしようかと考える。浮き足立って来るのが自分でもわかるほどだ。
 抑え切れなくて、困る。俺はどうにかしてる。
 かわいい。どうにかしたい。
 どんどん暑くなる初夏の熱気に当てられてか、俺の頭は、ちょっとどうにかしているのだろう。





 その距離でそんな物思いにふけっていたのでぼうっとしていたらしい。
 「どうかしたか?」と問う陽介の声に、俺はつい、うん、と普通に頷いていた。

「…月上?」

 しまった。
 きょとんと目を瞬かせた相手の様子に我に返る。しまった、と思った瞬間に陽介が何か言いそうに口を開いたので、黙らせるべく顔面へアイアンクローを食らわせた。反射的だった。手加減はしていたけれど。
 ぐふっと言う潰れた声と一緒に、俺の手のひらに陽介の生暖かい息がかかる。それはちょっと何だか、そういう意味で、やばい。

「……月上サン?」
「あ、悪い」

 押さえつけられてこもった声の陽介に、詫びながら手を離す。俺の手の下になって呆然としていた顔は、困惑したように眉尻が下がっていたけれど、詫びの言葉には、いやいーけどさと片手を振られた。
 振られた手は腕組みの形に直され、思案げなまなざしが向けられる。
 じっと真っ直ぐ見る目は今日は勘弁して欲しい。どうにかしていることを考えているから、思わず逃げ腰になってしまう。
 内心逃げ腰の俺が、フォローしようと口を開く前に陽介は、あのさ、と一足先に口を開いた。

「…月上。もしかして、俺、慰められた?」
「違う」

 何か慰めることでもあったか? と思いながら否定すると、ほっとした顔で笑われた。

「だな。なんだよ、まさか新手の頭の撫で方か!? とか思っただろ」

 そういえば陽介の頭を撫でたことはある。そういうのは大体、慰めるときだ。あとはふざけている時。そして何かの拍子に肩を叩くのと同じくらいの意味を持っている時。
 それ以外、触れる口実は俺にはない。
 触れる口実が欲しいなと思った。思う俺の頭はどうにかしている。
 どうにかしている。

「月上」
「ん」

 呼ぶ声に、返事にしては短い声を喉で出すと、陽介の指が俺の髪をかき混ぜた。
 厚めにカットされた前髪を梳いて、横へ。つむじの関係で自然と左に流れる髪の流れに沿って、こめかみへ。
 陽介の指がちょっと曲がって、髪の毛の先を掴むような動きで止まる。
 その間、俺はじっとしていた。じっとしながら、何か陽介が俺に触る理由なんてあったっけと考えていた。

「お前、髪の毛やーらけー」

 髪の先を掴んだまま笑う陽介の、うっすら日に透ける茶色い目が、やけに甘い色に見える俺の目はどうにかしている。



 どうにかしているものは腹の底にたまって行き、たまって行った一番上で、抑え切れなくなるような不安感がゆらゆらと揺れている。そんな表現が合うような心持で、俺は正直、自分をもてあまし気味で困っていた。
 それでも、どうにかしているものを消したいわけでもなく、不安感はあるけれどむしろそのまま増やして育てたいような気持ちにもなって。
 ああ、本当に俺はどうにかしている。あと陽介はやっぱりかわいい。



「陽介」
「おー」
「俺、慰められた?」
「ん? 別にそういう訳じゃねーけどさ」

 さっき言われた言葉をそのまま、ふざけて向けると、陽介は髪から指を離して、予想外にも笑わずに俺の顔を見た。
 視線が合って、それから、目尻がちょっと垂れている陽介の柔和な目元が和む。

「困ってただろ?」
「うん」

 今度は反射でなく、頭で考えて頷く。
 どうにかしているのを知られたくない気持ちと、陽介に嘘をつきたくない気持ちとが生まれた俺の中の中庸が、それだった。
 困ってないとは答えないが、困った理由は喋らない。
 ……自分でもずるいとは、ちょっと、思った。

「チビッコみてーな顔すんなって、相棒」

 俺はまた困った顔をしたんだろう。
 陽介の手が、今度は両手が俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
 なんか考え事してんなら言えよ、と、気のいい相棒は言ってくれる。信頼に満ちた目で。
 陽介は、俺の頭の中がどうにかしているのなんて気づかずにいてくれる。
 そのことに俺は、なぜか少しだけがっかりした。勝手なことだが。



 ああ、本当に困る。
 どうしようか。



「陽介のせいだ」
「俺!?」
「そう。だから覚悟を決めておけよ」

 驚いて止まった陽介の手を、自分の頭から退かそうとせず、俺は笑う。陽介の丸く見開かれた目は、俺が笑ったのを見て細められた。
 陽介は、かわいい。

「また殴り合いでもすっか?」
「しない」

 ふざけた軽い口調に、即答してやった。
 この前やった河原での殴り合いを陽介は気に入りの思い出にしているらしく、時々ネタに出て来る。

「菜々子に心配されるから」
「マジで! 菜々子ちゃんにも見られてたわけじゃねーよな?」
「見られてなくても傷が隠せないだろ、顔殴ってるんだから」

 自分の顔の、陽介が河原で殴った辺りを指差せば、あ、そうか…と合点が行った呟きを漏らして陽介は肩を狭める。菜々子に心配させてしまったことが少し気まずいのだろう。

「この前の時、菜々子から絆創膏貰ったぞ。可愛いキャラクターの。菜々子の宝物をこれ以上殴り合って減らすわけにはいかないだろ?」
「……、お前、つけたわけ。や、まあ、つけたよな…お前だしな……」
「つけてたら叔父さんに凄い顔で見られて、すまんとか言われた。で、新しい絆創膏貼り直された」
「お前、今度はそれつけて来いって。かわいいやつ。皆の反応が楽しみじゃねー?」

 楽しそうに笑う陽介の顔。ふざけてウインクまでして来る。
 俺もウインクを返したかったけど、生憎、ウインクをする機会に恵まれない習慣の国で生まれ育ったのでそんな器用は真似は出来ず、ただちょっとだけ目を細めた。

「そうだな」



 ああ、いやになるほどかわいい。



2009/01/29/