その気にさせたい




「なぁなぁ、お前って自分で抜く時ってどんなネタ使ってんの?」
「…これが里中から噂に聞いた夜中の変態電話か…」
 手を洗いながら心の中で呟いたつもりが、うっかりと口に出ていた。
 正面にある鏡には月上自身と、隣から覗き込むように頭を寄せて来ている陽介が映っている。
 鏡の中で目が合った陽介は、月上の言葉に慌てた様子で目を瞬かせた。
「ばっ、ちげーって!つか里中にここまでのネタ言わねーよ!もっとライトでシャレになる下ネタでございますわよ!? なんつーか、小学生レベルの」
 陽介が洗ったばかりの手を尻ポケットに突っ込んで皺になったハンカチで拭きながら、無駄に自信満々な顔で言うものだから、つい月上は笑ってしまった。


 二年二組が自習になったこの時間、二人して暇潰しに渡り廊下を渡って、はるばる実習棟のトイレにまで来てみた。この時間帯はちょうど実習棟二階の教室は使われていない様子で、一階の方や校庭からは声が聞こえるものの、廊下も教室も勿論このトイレも静かなものだ。人の気配がない。
 トイレに来る途中に陽介が、みんないるはずなのに誰もいねーみてーだな、と呟いていた。月上もそう思う。みんないるはずなのに、学校内に陽介と二人きりのようだ。
 そんな状況のせいだろうか。陽介が普段クラス内ではしないような話を振ってきたのは。


「陽介と同じようなネタだと思うけど、あんまりしない。うち、しにくいし。菜々子もいるから」
「あー……うちみたく、母親に本見つかって見ないフリして貰えないのもアレだけど、お前んちの方が買いにくいな」
 真面目な声で腕を組み、嬉しそうにノって来る。月上の家に遊びに来た際、エロ本探しに布団の下を探られ、そこにはなかったのだがその近くに隠していた露出度が高めの本を探しあてられた事もあった。
 女子の話をする時も、月上や完二よりもそういう話に興味があるようで誰より楽しそうにしているし、気軽にこういう会話をしてふざける事が出来る相手が出来たのが嬉しいのかもしれない。だが、きっと本人は誰かと付き合う気はないのだろうと月上は知っているが。
 亡くなった、一度だけ顔を見た先輩の顔が月上の脳裏によぎる。陽介はあの人を想って自分のを触った事もあったのかな、と思わず考えて、下世話さにすぐに思考を切り替えた。
 そんな月上の頭の中など知るはずもない陽介は、ふざけた笑いをにんまり浮かべながらわざと声をひそめて身を寄せて来る。
「で、どうよ。お前どこ派? ちょっとお兄さんに教えてみなさいって。先こっちいじんの? こんな感じ?」
「もうちょっとこう…」
「あ、お前左利き?」
 いや、と首を横へ振り、左手を持ち上げて、普段のポジションを思い出して指を曲げて見せる。
「中途半端に両利き」
「マジで!? うぉ、かっけー」
 自慰の仕方の話で格好良いも何もあるのだろうかと思いながら、月上は楽しげな陽介の手へ視線を落とした。
「でも陽介だって両手でスパナ使ってるぞ」
「ん? まーな、でもやる事が違うだろ」
 両の手のひらを上に向けて、肩を竦めるようなポーズで片目を瞑って見せる陽介の動きにつられて、月上の視線も上がる。そのまま視線を向けた先の陽介の顔が、月上の曲げられた指の形をふと凝視し、それから眉が寄せられて歪んだ。
「…つかデケーよ。見栄張ってね? そりゃねーか…」
「別に…そうでもない。陽介は?」
 陽介と一緒になって自分の手を見てから話を向けると、え、と陽介の頬が少し引きつった。えへん、と空咳をしている。
「いや俺は平均ですけどね!それに剥け」
「へえ」
「最後まで言わせろよ!え、いや、ちょっと待って覗かないで!」
 腹の方を覗き込むと、笑いながら身を捩って下半身をガードされる。片手を伸ばして腹の辺りを探ってくすぐってやると、肩を震わせて笑う陽介に、俺も笑う。
 制服の下に着込んでいるTシャツ越しの体温をあったかいなと思いながら、くすぐる指でへその上のあたりをかすめると、急に陽介の笑いが止まって腰が震えた。
「陽介?」
 急に違うリアクションにと手を止めて彼の顔を見ようとするが、顔はそらされていて見えるのは頭だけだ。
「……陽介?」
「…あ、いや、笑い過ぎて腹筋、筋肉痛になりそ」
 いつもと同じ軽口が、微妙にトーンが違って聞こえる。おとなしい。見えない顔を、見なくては、と思ったのか、見たい、と思ったのか自分でもあまり認識しないまま、月上は咄嗟に鏡の方を見ていた。
 鏡に映って見えた陽介の顔は、あからさまにしまったと言う苦い――いや、恥じ入るような、そんな色が見て取れて、月上の喉がなぜか鳴る。
 喉が鳴ったのを意識した頃には、指が陽介のバックルを外して、ウェストのボタンどころかファスナーまで下ろしていた。
「うわっ、な、」
 なにすんだと続くだろう陽介の声を、耳元で聞く。
 戸惑う陽介の手は、効果的に月上の手を退かせられない。容易にファスナーを下ろした指はくつろげられた前へと素早く入り込んだ。下着の中は陽介の体温で温まり、肌は熱い。下腹を辿って、逆手に目的のものを握り込む。人のものを握るのは初めてだった。多少の興奮を示す感触がする。
 ひ、と陽介の喉が引きつって、おかしな呼吸音が出た。
「月上、っ、」
「陽介」
「お、おまっ、お前、なにして」
「ほら、そんなに変わらない」
 握り込んだサイズを示して、陽介のサイズに合わせてほんの少し手のひらを締めると、陽介の肩が揺れて月上の肩へぶつかった。そんなもん試したんかよ馬鹿、とこんな時も突っ込みを忘れない陽介のかすれた声と同時に、手の中に反応がある。
 …萎えないのか、と思うと、自然と手が揺れた。乾いた手のひらと、陽介の湿ってやわい肌とを軽く擦り合わせる。ア、と呟いて前のめりになる陽介につられて、背後からかぶさるように彼の背と月上の胸が合わさった。
 陽介のワックスのついた毛先が頬に触れる。シャンプーの香りが鼻先を掠め、思わず深く呼吸していた。
 シャンプーの香りと、陽介の淡い体臭と、混ざり合う自分の匂いに、月上はめまいのような感覚を覚える。
「ちょ、月上…ぁ、あっ、」
 感じためまいに背を押されるようにして何度か握ったものを擦ると、声のトーンが変わった。聞いた覚えのない陽介の声に、力のこもりかけた指が筋をなぞって擦る。
 鏡に映る陽介の目と、月上の目が合った。
 茶色い垂れ気味の目は戸惑うように揺れるが拒絶の色はなく、眉間には浅い隆起が影を作る。他人からの刺激に薄く開いて物言いたげに震える唇。制服の襟に見え隠れするうっすら赤い首筋。噛み付きたい。
 ぞっとするほどの欲求を意識し、月上の手がビクリと震えて止まった。
 鏡に映る陽介の目が、ねだるように見て来たのを、月上は自分のおかしなよこしまな感情の見せる錯覚だと、考えた。









「…………ちょっと、俺、便所…」
「……悪かった」
「謝んなよ気まずいだろ!!」
 ぎゃー、と前かがみに頭を抱えてオーバーリアクション気味に陽介が反応する。
 その姿に警戒心や嫌悪感は感じられない。いつも通りの様子に、月上はぞっと寒気の走っていた体が落ち着いて行くのを感じてひっそりと息をついた。
「…聞き耳立てて笑うなよ」
 釘を刺してから個室へ向き直る陽介の、首元にあるヘッドフォンを見て、月上は背後からそれに指をかけて引っ張る。く、と首に軽く抵抗を感じて止まる陽介の頭へ、引き抜いたヘッドフォンをかぶせる。しっかり耳を覆うタイプのそれは、外の音と陽介の耳をほぼ遮断した。
 急にヘッドフォンを装着された彼が振り返る。その顔を見ながら無音でぱくぱくと口を動かし、い・っ・て・こ・い、と個室を指差した。頬を赤らめた陽介が、どっちの意味でだよ、と低く唸ってから個室に入って行く。かしん、と即座に閉まる鍵の音を確認してから、月上も、隣の個室に入った。
 陽介に今、ヘッドフォンを外す余裕はないだろう。
 隣の個室で陽介が行き着き、ヘッドフォンを外す余裕が出るまで何分だろうかと頭の中で算段する。算段しながら、慌しくベルトを寛げる。ヘッドフォンを外される前にきつくてどうしようもない衝動をどうにかしなくてはならない。
 下着から血液の集まったかたさを取り出しながら月上は、自分にだけ陽介のひそめた息遣いが聴こえるのはフェアじゃないと思った。長瀬、一条、ごめん、運動部に入っておきながら俺はスポーツマンシップにのっとっていないかもしれない、とも思った。それでも。
 漏れる声や息を、それと、達する時に呼んでしまいそうな名を、聴かれてはいけない。



2008/10/19/まずい事になった。