ただの冗談です。




 文化祭に使用されていない教室の後ろに椅子を置いて、微妙にたるんで来るハイソックスを、スカートの生地を退かしながら引き上げる。
 向かい合うように置かれた椅子の方から視線を感じて顔を上げた。黒いハイソックスの爪先から、腿までたくし上げられたスカートの裾の方向へ。舐めるような視線が上へ上がって来る。
 エロオヤジ、と突っ込むと、突っ込まれた爽やかイケメンは何か言いたそうな目でこっちの目を見て、口をわずかに尖らせながら、また視線を足に落とした。下から上へ上へと上がった視線の先、椅子に座っていて折り曲げられた膝は、がっしりとした骨格の男のものにしか見えないだろう。
 俺の、傷の多い膝こぞうを眺めながら、陽介はため息をついた。
「男のロマンがねーよなぁ…」
「陽介、足開いてるとパンツ見えるぞ」
「…もうそのへん、どーでもいい…女子って何でずっと足閉じてられんのかマジでわからねぇ」
 せめてステージ上がるまでグロッキーでいさせてくれよ、とすでに疲れた様子の陽介が言う。
 俺はここまで来ると逆に開き直って、面白がった者勝ちとでも言うか、ふざけた高校生活の思い出作りをする気満々なので別に疲れてもいない。俺の顔に化粧をほどこす天城の楽しそうな顔が見れるのも仲間として喜ばしいものであったし、近い距離のせいか何か良い匂いがした。色恋云々が絡まなくても、女子のまとうどういう訳だか甘い匂いは気持ちが和む。
 女子特有の甘い匂いをまとわない女装中の陽介は、…ああ、ちなみに甘い匂いはしないけれど俺の安心する匂いはする。せっけんかシャンプーあたりをいつも同じものを使っているのかもしれない。で、その陽介はいつもより長い睫を付けられてスカートの短い制服を着せられ、ついでに長めの髪の毛は可愛らしくくくられている。可愛いので――髪型が――、今度菜々子にも同じようにやってやろう。
 いくら可愛らしくされても、俺も陽介も、体の出来上がった叔父さんと比べてみれば華奢と言えなくもないだろうが、骨格も肌もどうしても女子とは違うので女の子と見まがうと言う訳にはいかない。
 言う訳にはいかないので。
「…………」
「言っとっけどお前も大して俺と変わんねぇかんな!」
 笑っているのがバレた。
「うん、大丈夫大丈夫、陽介可愛い可愛い」
「ぜってー嘘だろ」
「……はは、可愛い可愛い」
 化粧をしていない方がもっと可愛いのに、と、化粧でどぎつくなった顔を眺める。足は細いし、遠目で目を細めたら可愛いかもしれない。シルエットが。
 遠目で見た場合を想像しながら、「今度ジュネスで陽介のつけてるゴムみたいなのが欲しい」と話を振ると、何かおびえた目をされたので、
「違う、菜々子に」
 早々に説明を付け足す。あからさまに胸を撫で下ろされた。陽介は何か俺に対して微妙な誤解をしているようだ。
 ジュネスのどの売り場にこういう系統のものがあるとの情報提供を受け、うん、と頷きながら記憶する。週末にでも一緒に選びに来たら菜々子ちゃん喜ぶぜ、と片目をつむっての陽介の提案に、うん、とまた頷くと、陽介の膝の白さが目についた。普段見慣れない場所の肌の色はやけに目に眩しい。
 まったく見た事がない訳ではないが、裾丈の短いものを履く機会のない陽介の膝を校内で見るのは珍しかった。ちなみに女装の方がもっとずっと相当珍しい、というか初。
 膝から視線を上げると相変わらずいつも通り膝を開いて座っているせいで、ボクサーパンツの裾がプリーツの間から見えている。
 見えてるぞ、と口で言っても、また足を閉じて座る面倒さに流されそうだなと思いながら、上履きから爪先を抜いて、ハイソックスに包まれた足の裏で陽介のむき出しの膝を撫でた。
 布地越しの骨ばった感触。普段露出されない肌の色はいつも見ている場所よりもずっと薄い。結構毛薄いな、などと思いながら更に腿上を撫でて行き、足を開いて座るせいでスカートから見えていたボクサーパンツの裾に爪先が辿り着く。
 素足ではないので指先で掴んだりは出来ない。足の付け根の方に更に足先を移動させて短いスカートをめくってやろうかとすると、ずっと黙っていた陽介が、動こうとした俺のつま先を上からスカートの布地ごと手のひらで押さえ込んだ。
 動作を邪魔された俺が顔を上げると、化粧で赤く色づかせている頬を少し引きつらせた陽介が視線を逸らしていた。化粧を施されていない耳元まで少し赤い。
「ん?」
「……や、割とのっぴきならない状況っていうかさ…」
「ああ、」
 合点が行ったので、通じた、との意思表示に微笑みかける。ちらりとこっちを見た陽介は、何かをこらえるように口元まで少し引きつらせた。
「陽介、パンツ見えてるぞ、って言いたかったんだ」
「口で言えよなぁ!」
「さっき言ったけど陽介が聞かなかっただろう」
 首を傾げるとみつあみ二つにされた長いカツラの毛が首の横へ揺れた。ぐっと詰まった陽介が、慌てて背筋まで伸ばして膝を揃える。俺のつま先は戻していないから、膝を揃えた陽介の短いスカートを俺のつま先がめくり上げて下着を露出させている状態になる。
 何か変なプレイみたいだ。
 高校生らしからぬ光景にも見える事に気づいて足の位置を戻そうと太ももの筋肉に力を入れたのとほぼ同時に、ガラッと音を立てて教室の扉が開いた。
「チーッス、って、うわ!」
「うわ! おま!!」
 中にいた俺たちを見るなり完二の上げた声に、ほんの数瞬遅れて陽介の同じようなトーンの声がかぶる。扉の所には、ええと、それマリリンモンロー?
「完二、おまっ、何してんだその悪い意味で犯罪な胸んとこ!!!」
「何してんだって…そりゃこっちのセリフだろ! 何してんスか先輩ら!!」
 一個下の後輩は、一刻も早く外部からこの空間を遮断したいとでも言った様子で後ろ手に扉を閉める。動作につられて完二の毛先の巻かれた髪の毛が揺れた。凄いな、りせ、その完二のくるくるの髪の毛どうやったんだ。
 後輩の露出度の高い肩や胸元を見て衝撃を受けている陽介と二人で驚きまくっている完二は、俺たちを、いや、こっちを見ているくせに視線が合わないから、おそらく陽介のスカートをめくり上げている俺の足先を見ているのだろう。耳どころか広めの額まで真っ赤になっている。
「スカートめくり」
 真顔で事実を言ってやると、完二は呆然と硬直したあと、何か言いたげにぱくぱくと口を何回か動かした。
「完二もやる?」
 冗談だけど、と付け足すと、完二はその場に崩れ落ちるようにしゃがみこみ、陽介には、お前の冗談わっかりにくいんだよ! と胸へ裏拳を食らった。冗談なのに。




2008/10/10/させるわけがない。