ロイヤルフラッシュ



 親交を深めようとルキーノが言い出し、木曜の夜にベルナルドが招かれたのは、彼のシマの店だった。
 日頃は女性が出迎えるような店だが、今夜はなぜか人の気配がない。夢の世界へ広がる重厚な扉を開くと、夢の世界は休業日で、中にはただの空間が広がっていた。夢の世界の代わりに幹部二人を迎えたのは、この店で一番古株の男だ。ようこそおいで下さいましたドン・グレゴレッティ、ドン・オルトラーニ、と穏やかな挨拶を携えた彼はルキーノの部下で、ベルナルドも顔を知っている。男はルキーノに親しげに肩を叩かれてから、嫌みでない程度に丁寧にそつなく、奥の部屋、個室へと招く。真っ白な女の太腿の代わりにまっすぐな酒瓶がテーブルの上に。柔らかな女の胸や腕の代わりに、クッションの効いたソファがベルナルドの体を受け止めた。ソファは背が高いベルナルドでも落ち着ける、余裕のある大きさだ。調度品は全てイタリア製か――ベルナルドは室内にちらりと審美の視線を走らせる。
 ルキーノは、王のように悠々と向かいのソファに座った。テーブル越しにベルナルドを見ると体に見合った大きな口に子供のような笑みを浮かべ、悪くないだろ、と笑った。否定する要素はない。ああ、とベルナルドは頷く。


 酒を呑み、小銭を賭けたカードを楽しみながら、それは親睦会とは名ばかりの二人きりの会議のようなものだった。レイズの声の後に、ついでとばかりに領収書がベルナルドの手元に滑って来る。金額を見てから、懐へ。カードを切り直すルキーノにベルナルドは最近の動きが怪しい会社や店などの名をいくつか告げ、ルキーノはカードを配りながら、調べよう、と頷く。

「しかし、なぜ今夜なんだ?」
「イタリア男を金曜の晩に誘う馬鹿がいるか? 干上がっちまう」
「成程、違いない」

 得心してベルナルドは相槌を打った。相槌のついでに落とした視線の先、手元のカードはワンペア。コール、とベルナルドは小銭をルキーノが積んでいた分と同じだけ積み上げる。照明にきらきらと輝くコインを更に積みながら、ルキーノはテーブルから視線を上げ、ベルナルドを見た。

「あんただって金曜の晩はどこかへ行くんだろう」

 ベルナルドの、カードを持った手がその言葉に思わずピクリと動いた。動揺する程の話でもないのになぜか反応してしまった。カードの駆け引きの一種の話運びなのだとしても、プライベートに関する話を殆どした覚えのないルキーノにそんな事を言われるのは意外だった。彼も酒がそれなりに回っているのだろうか。そういえば彼のグラスの中身はすでに何度か空になり、そうっと邪魔にならないように寄って来た店の男によって注ぎ足されていた。

「……まあ、ね」
「なんだ、仕事に行くのと大差ない顔をするな」

 大柄なほろ酔いのライオンは、ベルナルドの返答に首を捻る。ライオンに服の袖に食いつかれて、当人はじゃれているつもりかもしれないが食いつかれている方は少し痛い――そんなイメージがベルナルドの頭によぎる。

「愛してるんだろ?」

 ライオンはまた、ベルナルドの袖口に他意もなく噛み付いた。

「愛してるさ」

 言葉が舌の上を上滑りして行く気がする。

「……愛し合っては、いる。ちょうど良いんだ、お互いに」
「なんだ。じゃじゃ馬より従順なレディが好みか」
「そんなことは…」

 否定しながら頭に浮かんだのは、金髪の、きらきらした笑顔の年下の――男だった。約束と秘密をまとってベルナルドの心に君臨する彼は、もうすぐ二十歳になる。出会ってから三年程過ぎた。頻繁に会う訳ではないから、会う度に少しずつ背が伸び、顔立ちから幼さが抜けて行くのが良く分かる。どんどん大人になって行くのを見守っているようで誇らしく、そして少し寂しい。

「そんなことは、ない。……車は、じゃじゃ馬なイタリア車を可愛がって最高の乗り心地を味わうのが好きだぜ?」

 わざと少しだけ話題をずらして返す。ルキーノは片眉を軽く上げて面白がるような視線を向けて来た。

「そりゃホンモノの車の話か?」
「さあ、その辺りはお前の判断に任せよう」
「その台詞、領収書を持って行った時に聞きたいもんだな」

 言いながら、ルキーノは懐からまた一枚領収書を取り出してベルナルドの方へ置いた。まだ領収書があったのかとベルナルドは眉間に皺を刻む。今夜のルキーノの話に出て来た金の使い道に、この程度の金額を必要とする物はなかった。今後の予算金額だろう。

「おい、ルキーノ。これまで請求されると、今月は予算オーバーだぞ」
「お前は本当に予算予算だな、胃がハゲるぞ」
「馬鹿。俺の胃に何が生えていると思ってんだ、お前は」
「色々省略してやっただけだ。意味は通じるだろ?」
「てめぇ」

 唸るような声と一緒に、ベルナルドはフルハウスの並んだカードを投げ出した。その上に、差し出された領収書を置く。ルキーノの眉根がくっと寄った。

「少し抑えた金額を書き直してくれ」
「必要経費だ」

 領収書の上に、ルキーノの手からツーペアのカードが投げられる。大きなルキーノの手がざっとテーブルの上をさらい、カードをまとめ、領収書に皺を寄せた。彼の手がカードを配り直すのを、ベルナルドは背を丸めながら眺める。

「節約は美徳だよ」
「利になる金を使わないのは馬鹿げてる」
「必要な所に金を使うのは同意するがね、ちょっと多いぞ今月は」

 手元に来たカードを扇状に開きながらちらりとルキーノへ視線を上げると、ふん、と溜息じみた息を零した。ルキーノは感情のはっきりとした、意思の強い男だ。自己抑制は効くが、情に強い。言い方を変えれば、感情の振り幅の激しい男だ。素直な拗ねた溜息に、そういえば彼はベルナルドよりもいくつか年下なのだと、ほんの少しだけ微笑ましい気持ちが胸をよぎる。

「――ちょうど良いってのは、俺にはわからんね。つまらんだろう」

 微笑ましい気持ちになった所に、ライオンはまた袖口にじゃれついて来た。じゃれる歯がかすり傷のような痛みを感じさせるのは、噛まれた場所が脆いからだろうか。

「俺は、これしかないと思う最高の女が良い。――ブロンドなら最高よりもなお良い」
「この金髪好きめ」

 ルキーノのわざと戯けた物言いに、くっと喉を震わせて短い笑い声を立てる。ああ、ジャンの見事なブロンドはたいそう金髪好きな彼の御眼鏡にもかなうだろう――持ち上げた酒のグラスのふちを唇に当てたまま、ベルナルドは一瞬の物思いにふける。察しの良い連れは、その一瞬に気づいて首を捻った。

「どうした。何かつまむなら持って来させるが」
「ジェラードが食いたいな」

 ベルナルドの頭には美しい金髪と、その金髪の持ち主が好む冷菓が連想されていた。

「……おい、あんた、どうした? いつも修行僧みたいな食生活してるだろう」

 ルキーノがたいそう怪訝そうに言った言葉に、酒を飲む修行僧がいるかね、と思わず笑った。
 彼からすれば修行僧のような量なのかもしれない。ルキーノは健啖家であるし、酒も好くし、甘い物も好く。ジャンの好きなジェラードも、ベルナルドが遠慮したい量をぺろりと平らげるだろう。
 ジャン。そういえば暫く会っていない。刑務所への使いとして逮捕されたが、最近出所はした筈だ――脱獄で。
 きっと彼は自分に会いに来てくれるだろう。ベルナルドは夢想する。けろりとした顔で、蜂蜜の溶けたような瞳にベルナルドを映して、ハァイダーリン会いたくて出て来ちゃったとでも笑いかけてくれる瞬間を。

「――フォールド」

 夢想はルキーノの一声で断ち切られた。

「え?」
「お前の勝ちだ、俺は下りる」

 突然の放棄にベルナルドが困惑する。放り出されたルキーノの手札はフラッシュ。この手で下りるなど訳がわからない。困惑したままベルナルドが自分の手札をテーブルへ出すと、ルキーノは、げっ、と短く呻いた。額を押さえ、眉根を寄せ、男前のライオンヘアは沈黙の後、盛大な溜息をついて天井を仰いだ。

「マンマミーヤ。くそっ、お前、ポーカー下手だな。賭けはやらない方がいいぜ」
「そんな事を言われたのは初めてだ。……というかね、負けておいてそれを言うか?」
「途中から他のこと考えてただろう、顔に出てたぜ。――お前が一瞬だけカードを見て笑ったから、よっぽどのいい手が来たのかと思って下りれば、何てことないただのワンペアだ。くそ」
「何の…話だ?」
「何だ?気づいてねえのか?」

 ぽかんとルキーノが目を見開く。意味のわからないベルナルドが瞬かせた目を、彼は興味深げに、うかがうように身を乗り出して覗き込んだ。

「ロイヤルフラッシュでも来たようなツラだった」














 ベルナルド、と呼ぶ声で夢うつつの回想は打ち切られる。目を開けると、そこは房の堅いベッドの上だった。鍵のかかっていない檻の外から、ルキーノが中を覗き込んでいる。
 今まで瞑っていた目を瞬いて、眼鏡をかけ直して立ち上がった。いま、ベッドに寝転がっていたベルナルドは完全に思考が停止していた。逮捕されてから気が休まる暇もなく、また、刑務所と言う場所はベルナルドの心をじりじりと痛みや死への恐怖へ染めて行く。そんな中で思考が停止出来たのは、疲労が溜まっているのか、安堵感からだろうか――後者だとベルナルドは思う。今日、ジャンの顔を見たからだ。
「なんだルキーノ、どうした」
 檻の入り口で尋ねる。何事かと全身に緊張感が走ったが、ルキーノはベルナルドの顔を見るなり、
「いや、何でもなかった」
 と言い放った。なんだそれはとベルナルドが緊張感を解いて肩を落とすと、ルキーノの唇が、からかうような笑みに歪んだ。悪意があるわけではない。ただ、大きな口は何かを面白がるように悪戯っぽく歪む。
「悪い面してなくて何よりだ。あのブロンドのわんわんのお陰か?」
「ジャンがどうかしたのか」
「お前、あのジャンカルロの顔を見た時な」
「だからジャンがどうした?」
「――ロイヤルフラッシュでも来たようなツラだったぜ」
 今度はあんたと同じ陣営だからフォールドはしないと、ルキーノは笑った。







2009.10.08