シーツの海の小さな死




 ぞくぞくと走るのは風邪の悪寒とも紛うような快楽の信号だ。震える背筋をルキーノに支えられて、ジャンは最上階まで上がるエレベーターの中、ひ、と短い声を漏らす。
「っあ、……シニョーレ、そこ触らないでくださる……?」
「カヴォロ! ふざけてる余裕があるならお前から寄りかかれ」
 昂ぶる体を茶化してどうにか誤魔化そうとしたが、逆に肩を引き寄せられて、体がルキーノの方に傾く。震えかける膝には支えが助かったが、自然と胸元に顔が押し付けられるようになったのはいけない。ルキーノの体温も、匂いも、ひどく近いのだ。
 ルキーノから香るムスクのラストノートはもうだいぶ薄くなっていて、体臭の方が僅かに濃い。葉巻や酒の匂いとも混じったそれはルキーノ以外持ち得ない香りで、ジャンの中の記憶から性感を生々しく引き出した。ジャンの皮膚は覚えこんだルキーノの肌を直に感じたがってじくじくと疼き、トラウザーズの下で勝手に勃起した下肢が張り詰めて痛いほどだ。ぎゅうっと目を閉じるとルキーノの匂いばかり意識してしまって震えがひどくなる。
「ルキーノぉ……」
「……っクソ、とんでもない声出すな」
 分厚い胸板へくっついた耳にも響く、吐き捨てるような苛立った声は、おそらく焦っているのだろう。抱いたジャンの肩を、ルキーノは一瞬衝動的に強く掴んで、服越しに食い込む強い指の感触に震えたところで、チン、と音が鳴って軽い浮遊感が来た。最上階に着いたようだった。
 開いた二重ドアから出て最上階への直通エレベーターを降りると、人はいない。降りたらすぐに部屋となる仕様のそこは、人払いをしなくても部屋のどこにも誰もいないのをジャンもルキーノも知っている。だからこそほっと安堵の息を吐いたジャンは、不意に屈んだルキーノに横抱きに掬い上げられて、吐いた息を呑み込む。
 ルキーノはジャンを抱え上げたまま、大股でベッドルームへ向かった。人が来ないのはわかっていてもベッドルームの入口へは鍵をかける用心深さで、ルキーノが寝そべっても充分な広さのあるベッドへジャンを投げる。
 スプリングの利いたベッドに落とされても痛くはない。は、は、と浅くなる息を夢中で吐き、両手を使って熱い体には邪魔なネクタイやシャツを自ら引き剥がしていると、ルキーノもジャンへ圧し掛かりながら革靴を脱ぎ、タイを解き、この男にしては珍しく乱暴に上着とシャツをベッド下に投げ捨てる。
 シャツを中途半端に脱いだジャンが濡れた目で見上げると、真上から見下ろすルキーノの表情は眉間に皺が寄っていて、口元がうっすら笑っている。興奮を押さえ込むような表情に、それだけで、ぁ、とジャンが小さく声を上げると、見上げた先では口元の笑みが深くなった。
「クスリなんぞ胸クソ悪いモン使われたのはお前だけだが、……ハハ、ジャン、何をさておいてもお前を楽にしてやろうと思ったが、俺もヤバイかもしれん」
「っは……ルキーノ、いいから、早く……っ! なあ、早く……!」
 身を捩ってせがむと大きな手に足首が掴まれ、靴を脱がされた。靴下も脱がされ、裸の足首を指先でなぞられると爪先がビクリと強張る。
 浅い自分の息が耳につく。そこに被るルキーノの呼吸は、ゆっくりだが落ち着かせるような意図的な穏やかさに満ちていて、甘いロゼ色の目は血の気を増して凶暴な気配に燃えていた。
 ジャンが必死で伸ばした腕で赤毛を抱え込むと、すぐさま噛み付く勢いでキスが与えられ、厚みのある舌が咥内を犯し始める。
「ん、んんっ、ン、っふ、ぅっ、ルキ、ん、ンー……っ!」
 じゅうっと強く吸い付かれ、待ちわびていた粘膜の接触に、ジャンは舌の根が痺れるような快感を覚えた。乱暴に絡め取られる舌は唾液をあふれ出させ、すぐに濡れた音を立て始めて聴覚まで犯し始める。
 厚く固い手のひらが両脇からわき腹を這い上がり、跳ねる腰は圧し掛かるルキーノの体にぶつかり、ジャンの勃起はぐいぐいとルキーノの腹筋に服越しに圧迫される。爪先から頭のてっぺんまで忙しなく駆け巡る刺激に、求める声がキスの角度を変える合間に零れ、またルキーノの口の中へ飲み込まれた。
「は、あっ、あ、っ……ルキーノ、ルキーノっ」
 自分を組み敷く男へ、疼く腰を恥も外聞もなく擦りつける。尻を上げて自ら刺激を求めるジャンの姿に、ルキーノは獰猛な肉食獣のように喉奥で笑うと、ジャンのトラウザーズの前を手早く寛げた。尻を上げて押し付けるジャンからトラウザーズを脱がせるのはたやすい。尻側から下着ごとぐいと引き下ろされて、びんと反り返るジャンのものはもう濡れていた。ルキーノの手が迷いなくそれを掴み、手のひらに先端のぬめりを擦り付けてから、何度がぐいぐいと扱き上げると、ジャンはそれだけで背をしならせて射精してしまった。
 はあはあと胸が大きく上下して酸素を必死で取り込む。格好悪い、とか、やべえ速い、とか、考える余裕をジャンに与える間も置かずに、ルキーノの指が足の奥、窄みを掻き分けるように第一関節を潜り込ませて来た。滑りがなく、そのまま動かせば肌と肌の摩擦を起こす接触は、ルキーノがベッドヘッドから取り出した小さなボトルからジャンの肌に落とされたオイルの滑りを使って、すぐに滑らかに動き出す。
 中を太い指に暴かれ、二本目、三本目と増えていく太さにも、ジャンの体は馴染んで身悶える。その指はジャンの体をよく知っていて、体を開くさなかに落とされるキスも、胸を撫で回す手のひらも、ジャンを安堵させるものだ。与えてくる快感を健気に拾い上げるジャンの体は、さっき熱を放ったと言うのに、触れられないまままた昂ぶっている。
「ん、んぅ、んっ、ルキ、ぃ、ノぉっ」
「ッハ、舌使えてねえぞ、ジャン」
 回らなくなる舌をからかっているのではない、喜色に満ちた声音で笑われてどうしようもない気持ちになる。ぬるぬるとオイルの滑りを使って出入りするルキーノの指に、腹側のしこりを撫でさすられて、体の芯で快感の線が明確に形を成す。粘膜はルキーノの指をきゅうきゅうと締め付け、はやく、はやくとの焦りがジャンの胸の中で膨れ上がった。
「いれて、くれよ……アンタので、ぜんぶ犯して、中にぶち撒けて……!」
「……すげェ誘い文句だ!」
 ハッと笑うように息を吐いたルキーノが指を引き抜くと、窄みを太いものが抜けていくときの快感だけで達してしまいそうになるのをジャンは必死で堪える。びくつくジャンの腰を抱え上げ、臨戦態勢のものを押し当てたルキーノは、そのまま体重をかけて深くまで、一息に貫いた。待ちわびたものを与えられたジャンの胸に自分の精液が散る。

 ジャンに媚薬を盛った輩は今頃どう処分をするか検討されている頃だろう。だが、その輩もジャンが傍に寄ってきたオンナの体に溺れる予想はしていても、こうしてルキーノに抱かれている予想はしていないはずだ。
 だが体の疼きと持て余す熱を覚えた瞬間、ジャンが思い出したのはルキーノの体温や体臭、肌の感触だけだった。身に染み付いた男のことだけだった。きっと自分は生涯、ベッドでも違う場所でも、性欲とこの男を結びつけて、生きていく。

「ルキーノ、ルキーノ、ぉっ! いく、出るっ、いく……!」
「ああ、出しちまえ、ああ、くそ、オレも……ジャン、ジャン……っ」

 ──愛してる、と。

 いくつく瞬間、真っ白く飛ぶような瞬間、思った言葉が口に出たかはわからない。




2013.07.27.