レイン、スノー、レイン









 空から落ちて来るものはまだ雨しか知らなかった娘の目が、大きく見開いて雪を見上げる。
 レイン、と言う娘に、これはスノーだと教えてやる。
 スノー、スノー、と呪文のように繰り返す小さな口は、しばらくするとまた、レイン、と呟く。スノーだとまた教える。娘は、大きな父親の腕と胸に埋もれるように抱かれ、寒さから庇われ、雪を見上げている。

「アリーチェ。マンマにホットチョコレートを貰いに帰るか」

 一心に雪を見つめる娘の睫毛に雪の粒が舞い降り、驚いてぱちぱちと瞬くのを合図に、ルキーノは庭先から家の中へと踵を返した。










 ────思い出すとまだ少し気が塞ぐ。
 悲しみは苛立ちとなり、ルキーノの神経をちりちりと炙る。降って来る雪ではなく、積もった雪を踏みしめる足元を見つめながら歩いた。
 落ちて来る雪が睫毛について、ルキーノは片目を瞑り、顔をしかめる。体温ですぐ溶けた雪は、まるで涙のようにルキーノの頬から顎へ、冷たい水の線を引いた。
 ファック。グローブで乱暴に雪を拭いながらの呟きが、冷えた空気を白く濁らせる。その瞬間、ルキーノの頭に、コン、と軽い小さなものが何かぶつかった。
 ピク、と驚きに背をわずかに強張らせ、自分にぶつかって跳ね、雪に落ちたものを見下ろす。
 カラフルなセロファンに包まれた小さなかたまり。包み紙に覚えがあった。これは──ジャンの、カポの部屋にあったチョコレートボンボンだ。ハッとして見上げた先、二階の窓からは金色の光が見下ろしていて、ルキーノの目を眩しく細めさせる。

「ハロゥ。顔が怖いぜ、伊達男」
「な……ジャン、おまえ、か──今の」

 ジャンカルロのけろりとした顔を見た途端、急にルキーノの中で苛立ちが霧散した。雪の上に落ちたチョコレートを拾う。拾い上げたオモチャのような色のセロファンの包みを見ながら、笑い混じりの溜息を吐く。俺たちのボスともあろうヤツが、ガキのような真似しやがって。いや、これだからこそジャンカルロ、俺たちのボスなのだが──

「お疲れちゃんなルキーノにボスからサービス」

 再度見上げた先、ひらりと振られたジャンの手と、悪戯っぽい笑顔。外と室内、地上と二階、離れた距離で、ルキーノとジャンはいつもより少し大きい声で話す。まるで子供のような真似、と思いながらもルキーノはジャンに向かって声を上げた。

「チョコレートで俺の機嫌を取ろうなんざ思うのは、おまえくらいだぞ、ジャン」
「アラ、機嫌取られてくれるのけ?」

 ニヤニヤと笑うラッキードッグに、ルキーノは答えず、苦笑して肩を竦める。

「チョコレートをぶつけようと思うカポもおまえくらいだな。空から落ちて来るものは雨か雪かだけだと思っていたが?」
「隊長、空からレディが! ってこともあるかもしれねえだろ」
「あるか、カヴォロ。おい、あんまり身を乗り出すなよ。空から落ちて来るものの中にラッキードッグを入れる気じゃなけりゃ」
「どうすっかな、書類にとらわれのカポやってんのも疲れて来たから休憩したいけど、雪に男ひとり受け止める甲斐性はねえからなあ」
「部下より雪なんか頼るつもりか? 落ちたら、俺が受け止めてやるさ」

 その言葉にジャンは笑ったが、ルキーノは笑わなかった。両腕を開き、ジャンを見上げる。
 言葉は、本気だった。ジャンにも伝わっただろう。もしも本当にジャンが落ちたら、自分の腕がどうなろうと受け止める気だと。

「……猫じゃねえんだからさ」

 気恥ずかしいのか、ぐんにゃりと窓枠に沈みながら、ジャンは笑った。手首の動きだけでもう一つ、チョコレートが投げつけられる。
 レイン、スノー、チョコレート。
 今度はルキーノも笑って、チョコレートをじょうずに受け止めた。ルキーノはこのままジャンの部屋へ行って、手の中のふたつのチョコレートを、ジャンと分けあって食べるつもりだ。






2011.01.17.