夜明けに啼く、小夜啼鳥









 デイバンへ帰る途中、小さなダイナーで適当に腹を膨らませてから、モーテルに宿を取った。車を停めて簡単な受付を済ませ、宿泊棟のドアが並んだ中で、一番隅のツインの部屋へ入る。先に部屋に入った俺は、室内にあったラジオを真っ先に見つけ、つけてみた。ザザ、とノイズの混じった音の後、軽快な音楽が流れてくる。今は音楽番組か。州によって流行りも少し違うのかと思ったが、その曲はデイバンでも流行っている曲だった。
 聞き覚えのあるメロディをラジオに合わせて口ずさんでいると、俺の背後を人の気配が覆い、次に、腕一本で抱き締められる。ルキーノの持っていた、着替えの入ったボストンバッグがどすんと床に落とされる音がした。同時にもう片方の手が俺の前に回る。うなじに息がかかって、べろん、と大きく嘗められた。「うひゃ」と変な声が上がってしまい、「何て声出してんだ」と笑うルキーノが、シャツ越しに俺の胸を弄って来る。

「ちょ……っと、おい、は、早いだろ!?」
「何言ってる。あんなところで誘っておいて、ここまで我慢したのを褒められてもいいくらいだぜ」
「あんなところって……まさか、」
「ファックするんだろ?」
「まともに取んな!」

 控えた声のボリュームで喚く俺を、ルキーノは軽々と腕の中でひっくり返し、噛み付くようにキスをして来た。唇を甘噛みされ、びく、と震えた体に走るのは、皮膚を食い破られるのではないかと言う恐怖よりも、快感だ。背から尻へとまさぐる指の強さも、服越しに尻を揉まれても、快感しか来ない。ルキーノに散々こういうことを覚え込まされた自覚はあって、それは、羞恥を煽る。もつれ込むようにベッドに押し倒される寸前、とろけかけた頭の隅で、はっと冷静な思考が蘇った。

「シーツ、っ、シーツ汚れるってばよう……!」
「あぁ? ……ああ、そうか、」

 ファック、と呟くルキーノの性急さに、俺がゼエハア息切れを起こしていると、その間にルキーノは荷物からブランケットを引きずり出して、シーツの上にそれを敷いた。ベッドメイキングを済ませたルキーノが、また俺を抱き締めてくる。使い物にならなくなるだろうブランケットに俺は心の中で、アーメン、と祈りを捧げた。そしてすぐにそんな悠長な祈りを捧げている余裕がなくなり、シャツもトラウザーズもきれいに剥がれた俺は、ルキーノに抱かれた。






 準備されていたローションと、俺たちから零れた体液は、シーツに落ちる前にはブランケットが受け止める。引きつれた摩擦感もなくずるりと入り込んで来る太さに、背の産毛が総毛立つようだった。

「ひ……ぁ、っ、……ア」

 呼吸しようとすると、どうしようもなく高い声が洩れる。向かい合ったルキーノの膝の上に座るようにして挿入された俺は、汗で濡れた背の皮膚を、つ、と指先でなぞられ、思わず仰け反った。全身に細かい震えが走った俺の、肩甲骨の間から腰の裏まで、その指は滑って行く。
 その指が、いつもはひどく高そうなプレゲを外し、シガーケースから煙草を取り出しているのだ。その指の動きで、顎を撫でる仕草を教えてくれる。そんな見慣れた男の指だと思うと、俺の体の内側はざわめくように震えた。

「っう……ぁ……」
「どうした、ジャン。よくないか?」

 からかうような、それでいて甘やかすような声が降って来る。耳からも俺を責めたてる男の声にかぶって、ラジオがざらざらとした声で地方のニュースを喋ってる――州の明日の天気は、晴れ。夜まで快晴が続き――

「よく、な……」
「うん?」
「よくなく、なんか、ねえ……よっ……」
「なんだそりゃ」

 「ややっこしいな」と嬉しそうに笑ったルキーノの両腕が、背に回った。まるで――甘えるように、俺の首筋に頬ずりして来る。癖のある赤毛に首筋を撫でられてぞくぞくする。腰を使われ、内側の性感を擦り立てられる。あ、あ、と突き上げられるたびに声が溢れて恥ずかしい。
 行き着いてしまいそうな感覚を逃したくて身悶えても、腰に跨った体勢で、ベッドについた足にも上手く力が入らないのでは、深くまではめられた状態から少しも逃げることが出来ない。屈みこむように俺の胸へ顔を寄せたルキーノが舌でそこを嘗める。「ふぁ」と高い声が上がる俺に気をよくしたように、笑う息が胸にかかった。舌先を丸め、胸の尖りを巻き込むようにしながら吸われ、俺はびくびく痙攣する足に力を入れようとしたが、シーツを爪先が掻くだけで、ちっとも踏ん張れない。
 じたばたしてると、わき腹を両側から掴まれ、持ち上げられた。はまってたものが抜けて行くと、体の奥が奇妙な空白を覚えて、「やだ」と勝手に口が言っていた。
 くそ、もう知らねえ。煮えた頭で恥ずかしさや理性を手放して、「ルキーノ」、と俺は男の肩にすがる。

「っも、だめ、」
「そりゃいい。俺も、そろそろお前の中にぶちまけたい……っ」

 ぐら、と視界が揺らいで、背がブランケットに当たる。安いライトのついた天井が見え、すぐにルキーノの体に遮られて見えなくなる。ルキーノに押し倒され、水音と肌のぶつかる音に頭がぐらぐらした。たまらなくて仰け反ると、「背中丸めろ」と覚えのある台詞でねだられて、その通りに俺は動く。粘膜と粘膜を擦り合わせるのは、どうしてこんな気持ちイイんだろう――そりゃ、こいつだから、気持ちイイんだろう。揺さぶられながら、たやすく答えの出る自問自答をした。ルキーノの、押し殺した艶のある声が俺の鼓膜を震わせる。煮える。溢れる。弾ける。あとどう言ったらいいんだか。とにかくもうわけがわからないくらい、ルキーノで頭も心も体も目いっぱいに塗り潰される瞬間が来て、さざなみのように引いて行った。


 残されたのは、はぁはぁと荒らいだ息と、ラジオの音だけがこもった室内。――時刻は十一時五十九分五十秒をお知らせ致します――


 日付が変わる。ラジオが零時までの数秒をカウントして、日時を知らせる。
 今日は、七月の、二十九日――だ。

「ル、キーノ……」

 まだ少し乱れた息の混ざった声で、呼ぶ。
 あんたが俺を連れて来た意味を、俺はそろそろ訊いてもいいのかな。
 誕生日から逃げてたあんたが、今年は、ただ俺とだけ過ごしたかったって思っていいのか? いや、あんたの手や、視線や、言葉以外で伝えてくるもので、俺は身に染みてわかってるはずだ。あんたは俺のことが好きなんだよな。誰も俺たちのことを知らない土地で、ただひたすら二人きりで誕生日を迎えることを望むくらい。

「ルキーノ」

 俺はもう一度名を呼んで、手探りで頬を辿り、髪に手を差し伸べ、キスをする。どこまでも抱き締めたかったが、俺の腕はルキーノの頭を抱え込むだけで精一杯だ。
 ルキーノ、と名を呼び、頬を寄せる。ムスクの薄くなったルキーノのにおいと、体温。あたたかい。

「すきだ」

 目前でローズピンクの目が見開いた。

「――ジャン」

 俺には、ルキーノにくれてやるものがなにもない。
 カポの座も関係ない、財布も何もかもない状態になって、よくわかった。俺にはなにもない。俺しか、ない。

「あんたを、あいしてる」

 この気持ちひとつしかない。
 ルキーノは、言葉もなく俺を見つめている。頬が強張っていて、わずかに唇が震えたのを、俺は見た。それがどんな表情か、俺は知っている。ルキーノの瞳が少しだけ水分を多くしているから。
 笑っちまう。このドン・ジョヴァンニが、本当は愛してると言う言葉ひとつを持て余す、真摯で、ひどく照れ屋な少年じみたところがあるなどと。ふっと口元の筋肉が緩んで笑っちまった俺に、ルキーノの目が瞬いた。

「ハ、はは……このへたれ」
「うるせえよ」

 からかう口調で囁くと、ルキーノは、やっと声を出した。頬を歪めて笑い、顰めた眉が、まるで泣きそうだ。

「って言うか、それ、やめろ。あの夜のこと、思い出して勃っちまう」

 そりゃ、泣きそうになりながら言う台詞か! 思わず言葉に詰まって、「このエロライオン」としか返せない俺に、ルキーノが笑いながら額を合わせてくる。近い距離で一瞬視界がぼやけ、慌てて至近距離のルキーノの目に焦点を合わせると、優しい眼差しがあった。この旅行に出てから、ずっとルキーノはこんな目をしている。

「なあルキーノ、あんた今、しあわ……」
「待て、言うなよ。俺が……言わなきゃならん」

 優しい――幸せそうな目で、ルキーノは俺のことを、見ていた。

「お前がいて、幸せだ。ジャン」

 そう呟いたルキーノは、「それを心底味わいたくて連れてきたんだ」と小さな声で付け足す。この旅のネタばらしに、俺は、息を吐くように笑う。呼吸するように自然に、笑う。

「俺も。……俺も、あんたがいて幸せだよ」

 顔を見合わせたルキーノと俺は、どちらからともなく笑い声を立てて――キスもせず、この瞬間は、ただ、それだけで良かった。多分、幸せってのは、思いがけないほどに簡単なもので出来ている。
 女の子がスパイスとかお砂糖で出来てる、って歌うマザーグースと、同じくらいに簡単な。そんなもので、俺の幸せは出来ている。あんたがいて、俺がいて、幸せなんだと思えるなら、それが最高だ。

「誕生日おめでとう、ルキーノ」
「ああ」

 器用で、どこかがむちゃくちゃ不器用な男は、迷うような素振りを見せて、……目を伏せた。逃げるんじゃない。祈るときのように。

「……ありがとう。ジャンカルロ」

 感謝している、と、ごく小さく呟いたルキーノの唇に、俺は、そうっとキスを落とした。




 ああ、もしかしてさ、誓うのって、こんな感じなのかね?
 一生あんたを守ってやるよ、って。





2010.08.25.