夜明けに啼く、小夜啼鳥









 宿に着いて夜になると、雨が降り始めた。

 ぽつ、ぽつと水の落ちて来る音がする。
 「雨か?」と俺が呟くと、ルキーノは「多分な」と頷いて、カーテンと窓を開けた。窓の外は田舎町のメインストリートで、だが、自然観光がメインのこの土地では、デイバン市内よりもずっと静かだった。
 雨のにおいが鼻先をよぎる。ルキーノは雨を確認してから、窓を閉じ、室内に湿った冷たい空気が入り込んで来るのを遮断する。ベッドに寝転がる俺の横に戻って来た赤毛の男は、俺の寝てるベッドの横にもう一つベッドがあるにも関わらず、俺の横に寝転がった。至近距離のルキーノは、寝転がるなり、不可解だ、とでも言いたげに眉をひそめる。

「狭いな」
「当たり前だろ、ただでさえあんたデカイんだよ」

 あっちのベッドで休めよ、とは言えない俺のことを抱き寄せるルキーノの両腕の中で、俺は、「狭いって」とだけ呟いた。
 外から遮断された部屋の中で、ラジオは天気予報をざらついた声で吐き出す。この付近の天気は夜半までは雨、明日の朝には晴れるだろうと、女の声が言っていた。

 デイバンからけっこうな距離を走ったので、ラジオはデイバン市の天気予報までは言い出さない。州ごとのおおまかな天気予報だけだ。古い宿の中、唯一ピカピカの最新型ラジオは、天気予報に続いて、俺のよく知らない土地の話題を吐き出し続けた。こういうものを聴いていると、デイバンから離れていることを自覚する。
 ルキーノが車を止めたこの宿は、鍵もついているか怪しいような安宿……とまでは言わないし、監獄暮らしの多かった俺からすると上等な宿だったが、デイバンホテルなどとはまるで違っていた。ベッドのシーツは真っ白に漂白されていて清潔だったが、ベッドのクッションも弱いし、調度品も古ぼけている。しかし、ルキーノは、狭いベッドから大柄な体躯を余らせながらも、案外慣れたふうに寛いでいた。
 仕事であれば、ルキーノは馬小屋のわらの上でもにこやかに過ごすだろう。だが、プライベートの、我慢する必要のない場所となると、話は別だ。キングサイズのベッドで、気に入りの調度品に囲まれていなければ生活が回らないような、選んだものに囲まれて生きている顔をしているくせに。この男は時々わからない。

「ルキーノ。こういうところ、結構使ったことあんのけ?」
「ああ」

 奥さんと来たのかな、と思いながら、分厚い胸元に埋めてた顔を上げると、見上げた先で、ルキーノはニヤリと笑い、「俺も最初から金があったわけじゃないからな」と言う。

「大学の頃、試合で遠征もしたし、途中でこういう宿に泊まるくらいの長距離、車を走らせたこともある。行ってみたいビーチがあって、知り合いがそこにヨットを持っていて、貸してくれると言ってたら、そのくらいの苦労はするさ」
「へー……」

 返って来た答えは予想をしていなかったもので、俺はあらためて、この男の世界が自分より広い気がした。
 俺の知らねえスーツの着こなし、その時の仕草、自分がどう見えるかの意識に基づいた効果的な立ち振る舞い。俺に似合う服や、素材について、こいつは俺よりも知っている。

「もう少ししたら、メシ、食いに行くか。下のリストランテが、けっこう美味い」
「ん」

 相槌を打って、またルキーノの胸に顔を伏せようとすると、でかい手が俺の顎をたやすく一掴みにする。
 顔を上げさせられ、「なんだよう」と尋ねると、ルキーノはローズピンクの目でじっと俺を見て……俺は、自然とルキーノの唇に、俺の唇を合わせた。ぱち、と目前で濃い睫が瞬く。噛み付きにも、舌を吸いにも来ないルキーノの唇を、俺は、チュ、と音を立てて吸い、

「なんだよ。違ってたか?」
「いや……」

 ルキーノは、見上げる俺の顎に触れたまま、どこか驚いたような表情で俺をじっと見つめ、やがて、観念したように急に表情を緩めて笑った。

「正解だ。特に何も、考えてなかったんだがな……お前の方が正解だ」
「はあ?」
「時々、お前は俺よりも俺のことを知ってる気がするぜ。ジャン」

 わけのわからないことを言うルキーノの言葉の意味を理解しようと、俺は考える。キスされたかったのか? ルキーノ。俺に……甘えたかったとか? 無意識に? まさか。いや、まさかのまさか。





2010.08.18.