good and happy








 爽やかな笑顔のこいつをブン殴ってやれたらどんなに気が晴れるのだろうか。いや、気が余計に重くなるかもしれん。とにかく俺はそれを出来ない。オメルタの誓いがある以上、俺の拳は問題になる。こいつがプライベートな小競り合いを誰にも言わんとしても、拳を振り上げる気はなかった。しかし、振り上げたくなるくらい、俺は、自分に許そう。
 そのブン殴りたい野郎――ベルナルドは、朝イチに俺の執務室に訪ねて来たかと思うと、三十本の薔薇の花束を俺のデスクに置いて笑った。

「祝いながらも多少の嫌がらせを、と思ってね。……お前が先週、ジャンにあんな金額の領収書を持って来させなければ、俺も、こんなこと思いつかずに済んだんだが……」

 残念だ、とニコニコ笑顔で言われても信用なんぞおけるか、ケバッレ。














 三十本の薔薇の花束、色は俺たちのボスを思わせる黄色。
 まったく、たいそうな嫌がらせっぷりだ。嫌がらせに使っている頭があるくらいなら、もっと休暇を取るべきだろうワーカホリックの筆頭幹部に寄越された薔薇の花束を持って、俺は本部の廊下を大股で通る。こんなモンを部屋に一日置いて行く気はしない。花に罪はなく、仲間がくれたまがりなりにも「誕生日祝い」の花束を捨てる気はないが、書類とこの花に囲まれて一日過ごす気になんてなれるか。ジャンの執務室にでも飾って来ちまおう。帰りに、どうせジャンを誘って夕飯にでも行くつもりだった。その時に回収すりゃいい。

「ルキーノ」

 ずかずかと大股に歩く俺に声はかけづらいだろうが、呼び止める声があった。足を止めると、ジュリオが立っている。今日はジャンも本部で書類と一日中デートのはずだから、護衛に外へは出ていなかったらしい。

「ジュリオ。チャオ、どうした?」
「チャオ。あんたにこれを」

 と、差し出されたものは、一輪の花だった。絵本の王子のようなツラでジュリオが差し出す、花弁が多く華やかな花――ダリアか? ――は、少し濃いピンク色をしていた。いい色だ。華やかで俺の好きな色だ。
 それを受け取るために俺が手を伸ばすと、ジュリオは、……おい。

「ジュリオ……お前、俺に何か怒ってんのか?」
「いや、何も」

 真顔で答えるジュリオに、俺はなぜか、左耳の上にダリアの花を挿されていた。何だ、こりゃ。
 俺が思い切り怪訝そうにすると、ジュリオは少し首を傾げて、

「あんたの赤毛にその花は、似合うだろ。ジャンさんは、きっと喜ぶ」

 ……なるほど。
 そういうわけか、と俺は深い溜息を吐いた。ジュリオはジャンが面白がりそうなことを思いついたんで、俺に仕掛けてみたと、そういうわけだろう。

「机を叩いて大笑いするのが『喜んでる』って言うなら、そうだろうな」
「誕生日祝いだ」

 おめでとう、と淡々と祝われて、グラッツェ、と返しながらも、俺はどうにも腑に落ちない気持ちだった。髪に花を挿されて腑に落ちる理由なぞ、何があるのかもわからんが。

「ジュリオ、誕生日祝いなら髪に挿す必要ねえだろう」
「そうすると、ジャンさんは笑うだろう」
「ああ、そうだろうな、馬鹿笑いするのが想像出来るぜ」
「ジャンさんが笑うと、うれしいだろ、あんたも。……ルキーノ」
「な……」

 俺が言い返せないうちにジュリオは立ち去ってしまった。













「ぶはははははははははは! なんじゃあ、そりゃあ!!」

 ジャンより先に大笑いしたのはイヴァンだった。

「うるせえ、ヴァッファンクーロ! 何しに来た、イヴァン!」

 部下たちもいない部屋で、俺は遠慮なく言い返す。
 つい髪に挿されたダリアのことを忘れたままジャンの執務室に行くと、そこにいたのはイヴァンで、ジャンの机の上に広げたホットドッグを、立ったままガツガツと食っていた。
 イヴァンのケチャップがついた口元を見て、俺はつい眉間に力が入るが、俺はこいつのマンマじゃない。ケチャップを舌で嘗め拭ったイヴァンは、ようやく笑いの収まった口に、ポテトフライを放り込んでいる。

「何しにって、オメーと同じで、ジャンのやろうに仕事の話に決まってんだろ」
「で? 何でボスのいねえ部屋に仕事の話に来て、メシ食ってんだ?」
「朝メシまだ食ってねえんだよ、これくらい食わせろ。そんでよ、あいつ、急な面会が来て留守にしちまってなぁ……おい、手のそれも何だそりゃ。花屋にシノギ変えんのか?」

 手に持った薔薇の花束を指差しながら問われて、手にあった花束のことも思い出した。ベルナルドのにこやかな笑顔も、同時に。

「ベルナルドに貰った。誕生日祝いだとさ、あの野郎」
「ハ、そりゃあ……」

 俺の嫌そうなツラで何となく理解したらしいイヴァンは、ニヤニヤと笑いながらも、同情する素振りで俺のスーツの肩を叩いた。おい、その手、油なんぞついてねえだろうな。

「マ、そーゆーことならちょうどいい、後でそっちにも寄るつもりだったんだ。ほらよ、くれてやらぁ」

 そう言いながら、イヴァンのヤツは足元に置いていた紙袋から、緑色の塊を取り出し――

「なんだ、こりゃ?」
「サボテン」
「……お前、カリフォルニアかアリゾナにでも出張に行ってたか?」
「行ってねぇよ、こいつならろくに世話しねーでも枯れねえだろ」

 イヴァンに顎先で示された、棘だらけのグリーン。その中に、花の蕾らしきものがちらほらと点在している。

「真っ白な花が咲くらしいぜ。出入りの花屋から、俺の戦乙女ばりの白いのが咲くって聞いてよう」

 こいつが何よりも愛しているデカいドイツ娘を比喩に出して、イヴァンは、ほらよ、と俺の方にサボテンの鉢を差し出した。
 なるほど。確かにこまめな世話の必要な花よりも、この方が俺も楽だ。出張もあるし、定期的な水遣りが出来る生活ではない。そう思うと、都合のいいグリーンだ。
 こいつが俺の都合や、「喜ぶもの」を考えたのかと思うと、複雑な――おかしなことに、仲間らしい情の結びつきがこいつとの間にあるような気がして、むず痒い。
 しかし――まあ、それは――悪く、ない。

「グラッツェ」

 俺は礼を言いながら薔薇の花束をジャンのデスクに置くと、サボテンの鉢植えを受け取った。ずしりと重い。

「こんなデカいサボテン、デイバンじゃ珍しいな。メキシコじゃステーキにするんだったか?」
「おいおい、腹が減ったからって花が咲く前に食うなよ、大食らい」
「お前は俺を何だと思ってやがる」



 そうして俺はまた、ジュリオにダリアの花を髪に挿されたことを忘れていた。
 ……カヴォロ。ジャン、笑うなら息止めずに好きに笑え! この野郎。












 涙目で見上げられるのはセックスのときだけで充分だ。
 大笑いしているジャンの首根っこを掴み上げ、カポの椅子に無理やり座らせる。笑いすぎて涙のにじんだジャンと、ニヤニヤ笑うイヴァンが二人で交わす仕事の話を黙って聞いているのは忍耐のいる仕事だった。

 俺の忍耐は一日分、ここで使い果たされた。

「っ……ふ、ぅ、ンう……!」
「……は……ジャン、」

 イヴァンがいなくなってジャンが二人きりになった途端、ジャンの小さい口に俺の舌をいっぱいに含ませるようなキスをしても、仕方ないだろ。俺だってお前があれだけ大笑いしなかったら、もう少し忍耐のストックもあったんだが。

「ン、んん……! ル、キーノ……っ」

 飲み込みきれない唾液がジャンの口から零れた。顎からシャツの襟を汚す前に、俺はそれを指で拭う。
 カポの椅子から引きずり上げた細い腰を、片腕で抱え込んで、ベストとシャツの上から強く掴んだままの体勢は、体が密着する。腰もお互いにくっついて、ジャンが逃れようと身をよじるたび、きつく抱き直した。
 蜂蜜色の目は涙で薄くけぶり、とろんとしている。

「そんな目してると犯すぞ」
「誰がさせたんだっつうの……」
「俺がさせたんじゃなかったらもう犯してるところだ」

 見つめながら囁くと、ジャンの肩がぴくりと震えた。怯えなのか、想像して興奮したか。後者であると、物欲しげなジャンの目が訴えていて、俺の口は勝手に笑みの形になった。
 頬を撫でると手のひらに擦り寄って来る姿は可愛くてクラクラ来るが、そうも言っていられない。今日中に処理しなければならない書類は、確実に存在する。

「夜は、俺の部屋でメシ食うか……」

 ジャンの額と俺の額を合わせて、今度は俺から擦り寄りながら囁いた。外でメシを食っている時間ほども我慢出来そうにない。
 ん、と吐息と紛うような声で頷いたジャンの口に、チュッと音を立ててキスをし、椅子の上に体を下ろした。濡れた吐息を零し、ぐったりとカポの椅子に座るジャンの姿は正直そそるが、そうも言っていられない。
 一日中、ジャンの顔を見ていられたら幸せだろうが。
 仕方がないと思いながらも俺の手は、ジャンの髪を名残惜しく撫でた。
 指先につむじの辺りの髪を絡め、屈んでそこにキスをすると、ジャンはくすぐったそうに首を竦める。

「あ、あのさ、ルキーノ、今日必要な書類とか、全部こっち持って来れば?」
「――こっち?」
「今日はルキーノもここでオシゴトしようぜ?」

 デスクも空きがあるし、な? と上目にこちらを見て、ジャンは言う。少しだけためらい、少しだけ期待した、目。
 思いがけない申し出に俺が思わず黙っていると、

「……幹部がカポの部屋で仕事しちゃいけねえのかよう」

 ジャンは拗ねたように睨んで来た。俺が黙っているので、恥ずかしくなったんだろう――と思い当たると、俺は、思わず噴き出してしまった。笑われたジャンはキョトンとすると、ますます俺を睨んで来る。

「な、なんだよう」
「いや? 可愛いおねだりだな、ジャン?」
「ばっ……」
「冗談だ」

 くしゃりと金髪を撫でた。可愛い可愛い、最高の、俺の犬っころ。
 俺を幸福に浮き足立たせるなんざ、お前以外の誰が出来る?

「ちょっと待ってろ、支度して来る――ありがとうな、ジャン」
「ぶっ」

 今度はジャンが噴き出した。

「は!? おい、どうした、ジャン」
「あ、あんた、そういやその髪のやつ、さあ……!」

 指差された先には――ジュリオの挿したダリアの花が。
 ……ジュリオのやつめ。存在を忘れていたのは何度目だ。俺は今度こそ花を自分の髪の間から引っこ抜き、ジャンの机の上に置いた。これのために、水の入ったグラスか何かも持って来なければ。
 笑いをこらえて引きつった顔で俺を見るジャンの髪を、俺は、ぐしゃぐしゃと乱暴に掻き回してやった。

「一回笑うごとに、一回サービスして貰おうか。もちろん、仕事が終わってから部屋で、な。――覚えてろよ、ジャン?」

 すばやく鼻先を甘噛みすると、ジャンの頬の薄い皮膚は、さあっと血の気を透かして赤く染まる。
 ぐしゃぐしゃに乱れた髪のジャンを置いて、俺は部屋を出た。







 三十本の薔薇の花束と、俺の髪を飾ったダリアの花と、デカいサボテン。
 コメンディアのアイテムにしか思えないが、すべて、俺の誕生日を――生まれたことを、今日生きていることを祝う、仲間たちからの品だ。どうしようもなくて、笑い出してしまいそうな贈り物。

「笑って過ごせる誕生日、か」

 廊下を歩きながら、俺は呟く。

「――今日はいい日だ」

 ジャンと、笑って過ごせるのだから。






2010.07.29.