There's no place like home!



 俺は待っている。
 尻の下にはベンチの堅さ。人がいねーのを良いことに、足開いて幅取って座って、待っている。
 さて誰を?
 首を捻ってみても思い出せない。

「んー?」

 上見て下見て右見て左見て。
 真っ白いミルク色の霧に包まれた世界。何も見えない。
 ま、誰か迎えに来るんだろ。そう思って俺は寛ぎ続ける。きっとCR:5の誰か――赤毛のライオン辺り。ライオンが忙しければ、ロボットか、カカシか。わんわんがいなきゃ、オズの魔法使いやるには役者が足りない。ドロシーがいないのは、いつものことだ。何せ俺ら、男ばっかりだもの。

 そんな想像をしていたのに、しばらくして俺の目の前に現れたのはいつもいないドロシーだった。
 カンザスのイモねーちゃんと親父が言ってた雰囲気とはだいぶ違う、ドロシー。小さな少女。
 綺麗に磨かれた靴の踵をきちんと揃えて俺の前に立つ、ちびすけ。
 体に合ったコートの生地は、高い店で見る生地のように滑らかだ。うちのライオンのお眼鏡にもかないそうな、いいコートなんだろうなと思う。

「隣に座っても?」

 訊かれて、幅を取ってた姿勢を慌てて直す。空いた右隣をドーゾと勧めると、ありがとう、と行儀良く礼を言われた。
 その子は、金色の髪をしていた。
 俺と同じような金髪。大きな青い目を長い睫毛が縁取る。幼いが、将来はさぞ美人になるのだろうと人に思わせる顔立ちをしていた。
 顔立ちは華やかだが、気が強くは見えない。学校で靴に画鋲を入れられて泣いていそうな、物静かそうな雰囲気の美少女だ。
 でも、良く見りゃでかい目はきらきらしてて悪戯っぽい。
 少しだけ癖のある髪にはどこかで見たような生の花が飾られていて、とても可愛い。――そこまで観察して、気づいた。その花は、俺が贈ったものだと。

「なあ――、」

 喉が妙に渇いた。俺の中にぴんと張り詰めた緊張。
 ごくりと唾液を嚥下すると、ちょっとだけ潤う。

「マンマは? 一人か?」
「一人よ。わたしのマンマに会いたかった?」
「ん、ちょっと、な。すっげぇいい女、あ、いや、スバラシイヒトだったって聞いててさ」

 子供に、お前のマンマいい女だって聞いてたとか言うのはさすがに言いはばかった。俺を見上げてぱちりと瞬きするちびすけに、俺は片方の肩を狭めておどける。
「人を幸せにしてくれるすっげえヒトだったってな」
「そうよ! わたし、マンマが大好き」

 ちびすけは、母親への褒め言葉を素直に喜んだ。
 屈託がない。大事に育てられたんだろう。
 この年頃でも、存分に捻くれたちびを俺は何人も知っている。

「マンマを褒めてくれてありがとう、お礼にキスしてもいいかしら?」
「そりゃ光栄だ」

 うちの幹部筆頭の真似をして気取ってみせると、くすくすと笑った少女はそっと俺の肩を引き、頬にキスをしてくれた。

「……なあ、その、キミのいるところは寂しくないか?」
「マンマがいるもの。それに、昔はパパの危ないときはうちでじっとしてなきゃいけなかったけど、今は、パパが危ないときはパパの傍にだっていられるの。誇らしいのよ、寂しくないわ」

 守護天使――その言葉がぱっと頭の中に浮かんで消えた。

「でもパパはわたしとママがいなくて寂しかったみたい」

 過去形で、ちびすけは言った。
 寂しかった、と。――じゃあ、今は?
 今、アイツはどうなんだろう。
 何の気もなく言ってるのかと思ってちらっと様子を伺うと、青い目がじっと俺を見ている。
 その眼差しに好意以外のものが見つけられず、俺は、何となくどぎまぎした。
 好意を一直線にぶつけられるのはジュリオで少し慣れた気がしてたけど、実はそんな事なかったみたいよ、俺。

「わたしたちじゃ、もうパパは笑ってくれないの。パパは寂しかったのよ、きっと、今まで。ありがとう、ジャンカルロ」
「俺、礼なんか言われるような事したっけ?」
「たくさんよ」

 ゆっくりと、かみ締めるようにちびすけは言った。

「あなたのおかげで幸せになってくれたから、もうマンマもわたしも悲しくないの」

 ベンチから立ち上がる姿を、俺は馬鹿みたいにぼうっと見つめていた。幸せ。幸せなんだろうか、ルキーノは。悲しさを抱えてうずくまってはいないと思うが、幸せなんだろうか。
 答えを返せない情けない俺に、ちびすけは振り返り、来た時と同じように踵を揃えて俺の前に立った。

「わたしたちを愛してくれるのは嬉しいけど、笑えないなんて、幸せにならないなんてパパが損だし、ばかだわ」
「イタリアの女はちっこくても強ぇなあ…」
「でもそんなばかなパパも愛してるの。あなたは?」
「ああ――俺もだ!」

 愛情深くて懐も深くて、どこか臆病で寂しがりの、ライオンが。

「幸せになりてーんだ、俺のライオンと」
「なれるわ。あなたがついているもの、ラッキードッグ。パパの幸せの素」
「……そだな。チョー可愛い守護天使と、ラッキードッグがついてんだ。それで不幸になったら、なーんか間違ってるよなぁ」

 守護天使、のところで、俺はちびすけを指差した。きょとん、と目を瞬かせる青い目へ向かってウインクもつける。
 ちょっと気障だ。やり慣れてねえから上手く出来たかはわからない。
 近くでピッカピカの粋な伊達男を見慣れてるだろうちびすけからしたら、格好悪いかもしれねー、と思うと気恥ずかしくなったが、今更やり直すわけにも行かず。
 落ち着かなさに俺がちょっと尻をもぞつかせてると、ジャンカルロ、とちびすけに呼ばれた。

「ねえジャンカルロ。わたしたちは、パパやあなたの悲しい素じゃないの?」
「当たり前だろ」

 だって、

「――ルキーノは、ちびすけのパパだろ? 可愛い娘が悲しい素なわけ、ねえじゃんか!」

 俺がそう言うとちびすけはブルーの目を大きく見開いてから、笑顔になって、嬉しさが爆発したって感じに勢い良く俺の首にしがみつく。その笑顔は最高に可愛かった。

 ああマジだぜルキーノ、こりゃ天使だ。
 アンタがメロメロな天使は、本当に天使になっちまったんだ。

 俺はちびすけの頭を、ちょっとおっかなびっくり撫でてやった。手のひらに収まりそうな小さな頭を抱くなんて、今までの人生でやったことなんかねえし。
 慣れてない不器用な手つきでも、俺は小さな頭を撫でた。大事に、大事に。ルキーノが墓石を撫でる手つきを出来るだけ真似て。












「ジャン!」

 近くででかい声が聞こえる。
 ルキーノだ。余裕のない声で俺を呼ぶ。
 なに必死になってんだ、アンタ。何かあったのか?

「ジャン!ジャン、ジャンカルロ!くそっ、医者はまだか!」
「おい動かすな、ルキーノ!」
「わかってるよ!」

 ベルナルドが、珍しく叱責に近い声でルキーノを怒鳴っている。応じるルキーノは、やっぱり余裕のない声だった。

「…な、んだ、ぁ、どし、た、……っ」

 ルキーノと、それからベルナルドのあまりの狼狽っぷりに慌てて目を開けようとした俺は、ずきりと肩に走る痛みにうめき声を上げた。

「っぐ、ぁ…!」
「ジャン!」
「ルキーノ、いててて……なんだこれ…」
「動くな、馬鹿!」
「痛ぇのにアンタに馬鹿まで言われて、なにこれ、踏んだり蹴ったり…?」

 俺を上から覗き込んでいたルキーノに叱られ、情けない声でぼやきながらそろりと目を開ける。
 肩も背中もずきずきと鈍く痛んで仕方ない。
 投げ出された右の指先をのろのろ動かすと、地面と俺との間に、ルキーノが着ているコートと同じ手触りの布があるのがわかった――そういや目の前のルキーノは、コートを着ていない。シャツだけだ。

「あれ? アンタのコート……いいのかよ、寒いだろ?」
「っジャン……は、お前、随分と呑気なことを…」

 俺の質問にルキーノは笑った。
 笑おうとして、何か失敗したようで、頬が引きつるように歪む。そしてすぐに笑うのを諦めた。
 上手に笑うのを諦めたルキーノの、いつもやたら色っぽい唇が、感謝の祈りを短く呟くのを見た。眉間の皺が深い。
 そこまで観察して、俺は自分の左手がルキーノのでかい手の中に握り込まれてるのにやっと気づく。それから、ルキーノの手が強張って、小さく震え続けていることにも。

「……ルキーノ」
 呼ぶと、なんだ、といつもの少し笑いを含んだような声で返事が返って来る。だが、俺の左手を包んだ手は冷えていた。血の気が引いている。

「…なあ、寒いのか? ルキーノ…」
「馬鹿、俺のことは良いんだ」
「良くねえだろ、顔色も悪いぜ?」
「お前が大人しくして医者が来ればルキーノの顔色も良くなるさ、それから俺の胃痛もね」

 頭の上の方からベルナルドの声がした。
 視線だけ上げて見ると、ちょうど俺を覗き込んだようで長い髪が揺れる。
 ベルナルドはルキーノみたいに笑うのを失敗していない。いつものように微笑んでいるが、でも、眉間の皺はこっちも深い。

「ベルナルド…?」
「おはよう、早いお目覚めで嬉しいよハニー。わかっていないようだから教えてあげよう。お前のいた場所に、ガラス突き破って車が突っ込んだんだよ」
「おはよ、ダーリン…ってそれでかよ…」

 さらりと教えてくれた惨状に、げえ、と思わず呟いてしまう。記憶がないってことは、気づかないようなスピードで突っ込んで来たってことだろうか。そりゃひでえ。

「でも、俺、生きてるじゃん?」
「そうだよ。生きててくれよ、頼むから」

 ベルナルドの声に溜息が混ざった。
 黙っているルキーノに握られた俺の左手に、力がこめられる。ちょっと痛いくらいに。
 でも握られた手より、その手が震えてることに、俺の胸はつきりと痛む。
 ルキーノのいる方をちらっと見たベルナルドは、大丈夫だ、と俺にでなくルキーノに囁いてから、また俺に視線を寄越す。

「テーブルがちょうど盾になってくれたみたいでね、深い傷もなさそうだ。スーツは、まあ、破れてる場所もあるし埃まみれだし、あとでウェスにでもした方が良いかもしれないが」
「まじかよ、高かったのに……。で、俺はどのくらい寝てたのかしら……あー、肩とかチョーいってえ……」

 ずきずきと鼓動に合わせてクる痛みのリズムにぼやきながら尋ねると、視線の先のベルナルドが人差し指を一本立てて、シィ、と俺を制止した。

「痛くても動くな。気を失ってたのは三十秒程度だが、脳震盪を起こしたかもしれない。動かしてショックを与えてくれるなよ。頭は? 痛むか?」
「そっちは全然…」

 言われたばっかりなのに、つい頭を振って否定しようとすると、

「動くな、馬鹿!」

 鋭くルキーノに叱咤されて思わず体がびくっと震える。ベルナルドが、ルキーノの剣幕にか、俺のうっかりにか、苦笑した。

「……ごめん」

 詫びるとルキーノの唇から深い溜息が漏れる。そんな溜息つく時なんか、あきれ果ててるか、後悔している時か、安心した時かくらいじゃないのか?
 そのうちにどれだか考えようとしても、傷の痛みで気が散って仕方がない。

「あー、いてぇ…ラッキードッグの勘が鈍ったかぁ…?」
「お前だからこんなもので済んだんだよ、ジャン。我らがカポ。こっちは生きた心地がしなかったぞ。何かに感謝せずにはいられない気持ちって言うのは、今のことだな」

 今度神に祈りに行こう、と冗談でもない声でベルナルドが言う。
 そうね、と痛みを和らげるためにそっと息を肺から外に逃がしながら、俺は同意する。
 神。神様。天使。あ、そうだ。

「――あ、ルキーノ、ごめん」
「は?」
「夢ん中で浮気したわ」
「はぁ!?」
「若いオンナと」

 その時の、ぽかんとしたルキーノの顔は見ものだった。
 あっけに取られてちょっと間抜け。色男も台無し。そういうアンタも愛してるけどさ。きっとアンタの守護天使だって、そういうアンタも愛してる。

「すっげーカワイーの、ありゃ天使だな天使。金髪で。ブルーの目はマンマ譲りかな、癖っ毛なのはアンタと似てた」
「マンマ? 俺? ……何のことだ、ジャン?」

 目を瞬かせながら俺の名前を呼んでる、ルキーノ。男前の、ピッカピカの男。
 あのちびすけと、目元が良く似てるんだな。

「美人なのはアンタ譲りか? ちびすけのくせにいい女なのは、マンマ譲りだな」

 夢の話をほいほい喋っちまって、変なこと言ってる自覚はある。それでも自慢したかった。アンタの自慢の天使に、俺だって好かれてるみたいよ?
 変な話をして機嫌よく笑った俺をベルナルドは意識が朦朧としてんじゃないかって心配したが、ルキーノはしばらく黙ってから、そうか、と笑った。

「な、ルキーノ」
「うん? なんだ、ジャン」
「俺、お前のこと愛してんだけどさ」

 ルキーノが言葉に詰まり、ベルナルドからは、Oh、と言いたかったのか何なのか言葉になり損ねた変な声を漏らしたのが聞こえた。ごめんなー今だけは勘弁な。

「多分――明日も明後日も。だからさ、医者来て、病院行ったりしたら、一緒に帰ろうぜ。明日も明後日も、おんなじ家に、CR:5っておんなじ家に帰ろうぜ。俺は、アンタとそんなのが続くの、けっこう幸せだと、その、思うんだけど」

 なんてプロポーズだ――さすがにこっ恥ずかしくなって、俺は声の調子をふざけたものに変えて、続けた。

「愛してるぜ、ルキーノ?」
「…俺もだ。心配させやがって、ちくしょう、俺の犬っころめ」


 不意に視界が暗くなったと思うと、ルキーノが覆いかぶさっていた。チュッと音を立てて口にキスが落ちて来る。ルキーノの唇から、震えた溜息が吐き出される感触を、俺の口に感じる。
 唇の動きだけであいしてると囁かれたから、俺も、と返す。大丈夫だ、とも。
 俺の左手を握っていたルキーノの手からは、震えが止まっていた。








「――それで、キミら俺がいる事を忘れてないかね?」

 ルキーノからもう一度少し深いキスが来たところで、ベルナルドのストップがかかる。そろそろ医者が来るのかもしれない。ルキーノは拗ねたように鼻先で笑って、俺の上からベルナルドを見上げた。

「見ない振りくらい出来るだろ」
「ひどいこと言うなあ」

 ベルナルドは大仰に肩を竦めて、それから、宥めるような手つきでルキーノの赤毛をくしゃっと撫でる。
 どう反応して良いものか困ったように苦い顔をするルキーノと、ぶっと吹き出した俺とを置いて、医者を表まで迎えに行って来るよとベルナルドは歩いて行った。







2009.09.29