花降る聖夜









 その日のロザーリアを、ジャンは初めて見た時のようにまるで花束だと思った。
 小さく作られたブーケの中でも、特別な日用に、ちゃんと綺麗な紙で包んでリボンをかけたものだ。リボンは整った艶のあるシルク。淡いピンクのドレスをまとい、まとめた髪には花まで飾り、首元には年頃に似合う控えめだが上等なネックレスが夜会用にダイヤモンドをそっと光らせている。
 イヴァンは彼女をまだガキと称するし、ジャンも彼女を幼い友人だとばかり思っていたが、こうして改めて見ると、少しばかり息を飲む。

「子供がでっかくなるのは早いって感じるようになったら、ベルナルドのこと、とやかく言えねえよな……」

 ジャンは小さく独り言を呟き、疲労で乾いた眼球を瞬きで湿らせて、優しい光のような彼女を優しく眺めた。
 残念ながら今夜、彼女のその姿をジャンが見続けることは出来ない。ロザーリアは今夜カヴァッリが行うパーティーの前に本部へ挨拶に来てくれただけで、ジャンと、それからイヴァンも、カポとカポ・レジームとしての予定がある。
 ハァ、とジャンの口から溜息が洩れる。数日前からの立ち回りで疲労がたまっていた。昨日から今にかけてなど寝る暇もない。せめて今夜、ロザーリアの可愛らしい姿を見ながらカヴァッリや幹部たちと軽口を叩けたらどんなに良いか。

「おい、ジャン。何で立ち止まってんだよ?」
「あ、スマン」

 ジャンが思わず立ち止まっていると、後ろからイヴァンに背を突っつかれた。応接室に咲いた花のようなロザーリアを、見とれた分と溜息をついた分だけの時間待たせて、ジャンは部屋へ足を踏み入れる。その後に、イヴァンも続いた。

 部屋の奥にあるゆったりとしたソファでロザーリアに向かい合って応対していたベルナルドが、先にジャンたちに気づいて顔を上げた。ロザーリアも続いて顔を上げ、ジャンたちを見つけると、ぱっと花がほころぶように笑う。
 横のイヴァンが一瞬ビクッとするのが、ジャンは面白かった。ジャンですら驚いたロザーリアの正装姿だ。もっと幼い頃から見ていたイヴァンの方が、普段気付かない成長振りを知った驚きは大きいだろう。

「ロザーリアお嬢。ご機嫌うるわしゅー……待たせてゴメン」

 ジャンが、ベルナルドの横のソファに座りながらだいぶ気やすい挨拶をする。ロザーリアは、近くで正面から見ても、やはり小さいがとても上等なブーケのようだった。

「こんばんは。イヴァン、ジャンカルロ。お二人やシニョーレ・オルトラーニと、今夜は御一緒出来なくて残念だわ」
「おう……」

 空いていたロザーリアの隣に座ったイヴァンは、疲労に声のトーンが落ちている。見知った顔だけに囲まれて緊張が溶けているのかもしれない、とジャンは思った。ぐったりとソファに背をもたれさせている。

「……今日だけは俺もお嬢のとこの夜会に行きてえ……」
「今日だけは?」
「あ」

 イヴァンの失言を聞きとめたロザーリアに首を傾げられ、イヴァンはあからさまにしまったと口をつぐんだ。ロザーリアはほんの少しだけ拗ねたように上目で見たが、またすぐに笑う。

「いいのよ。イヴァンは渋るけれど、来てくれた食事の席でいやな顔はしないもの。ありがとう」
「うちの末っ子は躾が良いもので。……イヴァン、レディの前だぞ、もう少しだけで良いから背中を伸ばせ」
「まあ」

 ベルナルドのふざけた台詞と小言にロザーリアは可笑しげに笑い、ジャンも喉奥で笑いを堪えたが、イヴァンは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。それでも多少、居住まいを正す。

「俺も残念だよ、……いやマジで残念」

 ひとしきり笑ってから、つい大きな溜息混じりにジャンが言うと、ああ、としみじみとした様子でベルナルドが頷く。

「カヴァッリ顧問のパーティー会場の入り口にヘヴンと書かれていても、俺は自分の眼鏡の度を疑わないよ」
「俺も、眠気のあまりウサギの案内で不思議の国に迷い込んじまったんだワーなんて思わねえや……ベルナルド、昨日寝た?」
「いいや。お前たちの方は……」
「うるせぇ、聞くな、余計疲れる」

 ベルナルドの問い返しをイヴァンが遮断した。疲労に満ちた男たちの会話に、水を充分に吸って生き生きとしたブーケのようなロザーリアが首を傾げる。

「イヴァン、あなた、徹夜って……」
「あー……忙しくてな。俺だけじゃねえ、ジャンも、そっちのメガネヤロウも……」
「イヴァン、ベルナルドの名前呼べてねえの気づいてっかー?」
「あぁ?」
「今日はいいよ、イヴァンも疲れてるだろう」

 消耗した三人の男たちの会話を、ロザーリアは――目を見開いて聞いていた。呆れられたかなとジャンが何か言うべく口を開きかけ、だが、その口はすぐに閉ざされる。

「眠っていないの!?」

 詰め寄る勢いでロザーリアがイヴァンに近づく。近づかれた分だけ身を引いたイヴァンは、ソファの肘掛に逃げ場を遮られてすぐに動けなくなる。

「なっ、なんだ、どうした、お嬢……」
「まだ二十三日から眠っていないのね?」
「え? あ、ああ、おう……」

 逃げ腰のイヴァンの答えに、ロザーリアは大きな瞳をきらきらと輝かせ、嬉しさに頬をベビーピンクに染めながら胸の前で両手指を祈る形に組んだ。眠っていないのがなぜそんなに嬉しいのか、男三人がわけもわからずただ目を瞬かせる中で、ロザーリアはイヴァンの顔を見つめながらはしゃぐように笑う。

「眠らないとサンタクロースは来ないのよ! だから、クリスマスイヴには、二十四日には、まだなってないわ!」

 サンタクロース、と大人びた正装姿のロザーリアの口から出た子供らしい言葉に、ジャンとベルナルドは疲労で凝った体から力が抜けるのを感じた。ついつい笑いそうに口元の緩む二人と違って、詰め寄られているイヴァンは、何の話なのか理解出来ずにモスグリーンの目を何度も瞬かせている。
 嬉しそうに目をきらきらさせたロザーリアは、イヴァンに、子供のように――いや、年相応に――はしゃぎながら、おめでとう、と言った。

「おじいさまに頼んで、本部にお誕生日プレゼントだけは送って貰っていたのよ。わたしのお小遣いで買ったから、大したものは贈れなかったんだけれど……お菓子だから、ジャンカルロと食べてね。イヴァン。本当は二十三日にお祝いしたかったの。お誕生日おめでとう」

 イヴァンの頬で、チュ、と控えめな音が鳴る。

「ワオ」

 思わずジャンは声を洩らす。イヴァンは言葉もなく目を見開いていたし、ベルナルドも、驚きにひっそり息を飲んでいた。

「ああ、よかった! それでは、わたし、失礼しますわ」
「あっ、ああ、ええ」

 イヴァンがロザーリアに頬にキスをされたと言う驚きから一番最初に復活したのはベルナルドだった。コホ、と咳払いをして立ち上がる。

「そうですね、迎えの車を回すので私が玄関までお送りしましょう」
「ありがとう、シニョーレ・オルトラーニ」

 先程のはしゃぎようからは想像もつかないおしとやかさでソファから立ち上がるロザーリアに、慌ててジャンとイヴァンも立ち上がる。イヴァンは今だに目を白黒させていたが。
 立つと、男ばかりの中でロザーリアの小柄さは際立つ。ジャンはロザーリアと目線の合う位置まで少し屈んで、目を合わせた。

「来てくれてサンキュー、お嬢。メリークリスマス」
「メリークリスマス、ジャンカルロ。シニョーレ・オルトラーニ。良いクリスマスを」
「ロザーリアお嬢も、良いクリスマス……をっ……!?」

 ジャンは、自分の頬で鳴ったキスの音に目をしばたたかせる。イヴァンは硬直してしまったが、ベルナルドは先程のイヴァンの件で慣れたようで、今度は微笑ましげに眼鏡越しの目を細めた。
 小さくて柔らかい唇の軽く触れた頬を押さえているジャンの横で、ベルナルドはロザーリアへ恭しく右手を差し出す。ロザーリアは意図に気づいて、意外にも慣れた仕草で右手を差し出した。
 ベルナルドはその小さな白い手を取り、甲にキスを落とす。

「お嬢様も、おじい様や皆さまがたとどうぞ良いクリスマスを。ほら、お前ら、廊下までミス・カヴァッリのお見送りをするよ」

 廊下まで、と言うことは、ジャンとイヴァンにホールや車まで送る時間はないと言うことだ。ジャンは予定されたスケジュールが迫って来ていることに溜息をつきたくなりながらも、目の前の小さな友人に、心休まる気持ちだった。
 イヴァンは見送りながらまだ動揺していた。








「メリークリスマス」
「あぁ?」

 夜用に準備されたタキシードに着替えながら、ジャンが呟く。横でサッシュベルトを留めていたイヴァンが、上品な服に似合わないドスの聞いた声で問い返して来るのが可笑しくて、ジャンは笑いに肩を震わせた。

「ロザーリアがさあ、チュッ、だってさ」
「おう」
「カヴァッリじいさまに知られたらことだわ」
「だな……。……おい、おめーも同罪だかんな」
「同罪ってなんだよ、人聞き悪い。……なあ、チュッ、だって」
「いちいち言うな!」

 上着を羽織って、タイを留めながらイヴァンががなった。イヴァンは眦を吊り上げながらも、笑っていて着る準備の遅れているジャンを見かねてシャツのボタンを留めてくれる。真剣な表情で伏し目がちにボタンを留めているイヴァンの顔は、普段着ないような正装も相まってなかなかに端整だなとジャンは視線を奪われる。

「あ、サンキュー。……いや、喜んじゃいけねえ気もすんだけどね……でも、ロザーリアが、さ。お前と俺に。仲の良い家族かダチみたくさあ……」

 口元が勝手に笑ってしまう。

「お嬢のことだから、亡くなっちまったパパやママや、カヴァッリ爺様や……他に近い親戚がいたら、それくらいにしかしてないぜ。すげえな、俺たち」

 ファミーリア、と言う言葉がジャンの頭に浮かんでいた。
 家族と言えばファミーリア、CR:5を指すようなジャンとイヴァンに、ロザーリアはごく普通の家族のような情の伝え方をしてくれた。


 ロザーリアがイヴァンを好いているのは、周知の事実だ。それは幼い子供のひたすらな好意だけでなく、婚約者だと言い切ってしまう強さを持っていると、ジャンは思っていた。
 しかし、先程ジャンに与えられた親愛のキスは、イヴァンに向けられたものとまったく平等だった。友人として、親しい相手として、イヴァンとジャンを平等に扱ってしまう辺り、まだ幼いのだろう。
 いつかロザーリアからその幼さが消えてしまったとしても。イヴァンを譲れないとジャンが改めて考える日が来てしまったとしても。ジャンは、あの小さなコーサ・ノストラの彼女は自分とイヴァンにとって、ずっと愛しい仲間なのだろうと思った。
 それは口元が緩んでしまうほどに幸せな、ひとつの絆。
 ジャンにとっても。きっと、イヴァンにとっても。


「俺たちの元に天使が降りたねえ、イヴァンちゃん」

 ぴしっとタイまで首に巻いて貰いながら、ジャンはまだ笑っている。上着くらい自分で着ろよ、と言うイヴァンの言葉に頷いたジャンの頬に、ふと、イヴァンの唇が触れて音を立てた。
 顔が離れて、視線がまともに絡み合う。ぱちりと瞬いたジャンの目を、イヴァンは、どこか拗ねたような眇めた目で見ている。

「ワオ。……なんだよ、イヴァン。仲の良い家族かダチみたく?」
「わ、悪いかよ、お嬢がやって俺がやっちゃいけねえのかよ」

 じとりと睨むイヴァンに、ジャンはニヤっと目を細める。

「っつうか、イヴァン、”仲の良い家族かダチみたく”?」
「だ、駄目なのかよ……」
「駄目っつうか……あー、わかったわかった、言えねえわけね。イヴァンちゃん照れ屋だものねー」
「うっ、うるせえ!」

 次は唇にキスが来て、ジャンはイヴァンの唇を啄み返しながら、まあそれで正解にしてやるかと言う気持ちをあらわすべく、彼の頭を撫でた。


 イヴァンの乱れた後ろ髪を見て、ベルナルドが一分だけなら待てるからセットし直せと溜息を吐くのは、この十分後のことになる。







2009.12.24