※イヴァン×ジャンで、ルキーノとイヴァンがベタベタしています。
カポの執務室に入った瞬間、ルキーノが感じたのは、春先には似つかわしくない蒸し暑いほどの熱気だった。最新のセントラルヒーティングが完備されているCR:5本部とは言え、よその部屋よりも気温が5度ほど高く感じる。
窓から差し込む日差しに暖められた室内の空気は、暖かすぎて酔いそうだとルキーノはスーツの上着を脱ぐ。白のカッターシャツのボタンを上から一つ外し、ルキーノの今日のスーツにはあまり似合わない色柄のネクタイを緩めた。
今締めているネクタイは、ジャンのネクタイだ。今朝、出かける前のジャンを見かけたときに、今日のジャンの出向く先は年若い面子とリストランテでのランチなのに、彼のネクタイには華やかさが足りない気がして、自分のタイと交換させた。ルキーノは今日、本部で溜まっている書類を整理しなくてはならないし、面会の予定もないので、一日くらい趣味に合わないタイでも構わない。
十五時には戻るからその頃に俺の部屋でコーヒーでも飲もうぜ、と休憩の誘いをして出かけたジャンの言葉通りに、十五時に執務室へ来たのだが、ジャンはまだ戻っていないようだった。月末近いので道が混んでいるのかもしれない。
脱いだ上着をかける場所を探して部屋を見回すと、頑丈なソファーの上に、ルキーノは見知った顔を見つけた。
「イヴァン?」
返事はない。見知った顔は、窓から差し込まれる日差しの注がれたソファーに仰向けに寝そべり、苦しげに眉を寄せている。目は開いていないし、緩慢に喉奥で小さく唸っているイヴァンは、どうやら眠っているようだった。そして、うなされている。
悪夢を見てうなされることなど、誰しも一度くらい経験はあるだろう。
悪夢を見る原因も、自覚出来るだけでも色々ある。わかりやすいものでは、強い印象を悪夢として見ること。それから、寝心地が悪いこと。
イヴァンのうなされる理由は、おそらく後者だろう。日当たりの良い場所だ。日当たりが良過ぎて、寝入りばなは良いとしても、寝苦しくなって来たのかもしれない。しかもソファーは太陽の角度の関係で、イヴァンの爪先しか日陰に入っていなかった。顔にも日が当たって、眩しくて余計に寝苦しいだろう。
放っておけばそのうち寝苦しさに耐えかねて起きるだろうが、うなされている眉間の皺を見てしまっては仕方がない。脱いだ上着をソファーの背にかけ、ルキーノは自分の体が作る日陰にイヴァンを入れながら、おい、と声をかける。
「イヴァン。おい、起きろ」
肩を揺すって起こそうとしてみたが、イヴァンからはまったく反応がなかった。よほど深く眠っているらしく、目が開く気配はない。
仕方がないのでせめて顔だけでも日陰に寄せてやろうと正面からイヴァンの脇に手を入れ、引きずり上げた。うう、と呻いたイヴァンの声に、起きたかと顔を見たが、まだ目はしっかりと閉じられている。
ソファーの端に少しだけある日陰の部分へ頭があるような位置まで引き上げて、手を離そうとすると、急に動いたイヴァンの手に、がしっとタイを掴まれた。ぐっと首に重みがかかり、ルキーノの頭は前へ落ちる。
「くっ……おい、イヴァン……!」
寝ぼけた行動にルキーノの眉が寄った。首が絞められかねないイヴァンの力加減に引き落とされたルキーノの体がイヴァンを潰しそうになり、ルキーノは身を捩り、ソファの背もたれ側へ体をずらす。
もそもそと身じろいだイヴァンは、脇へずれたルキーノの胸元へ、ネクタイを掴んだまま鼻先をすり寄せて来る。意外な行動にルキーノが反応に迷う間に、イヴァンはルキーノの首元に頭を落ち着かせ、ネクタイを、子供が気に入りの毛布や人形を掴んで眠る時のように離さずくうくうと寝息を立て出した。
ネクタイを掴んで、緩んだノットの部分に鼻先を寄せたイヴァンはもううなされることはなく、ひどく安心した表情がそこにはある。
ベッドか枕にでも顔を埋めているつもりなのだろう。呆れながらも、幼児のように無警戒な仕草に、ルキーノはふっと唇を綻ばせた。
子供のような匂いはしない。柔らかい感触もしない。微かな整髪料の匂い。
だが、懐かしいような暖かい体温がそこにはある。
眠る人肌に何の欲もなく寄り添われるのは、随分久しぶりだと思った。
しかし。
「俺は、男をいつまでも抱っこしてやる趣味はない」
宣言をし、ルキーノはイヴァンの耳を引っ張った。首元に顔を埋めているイヴァンの耳は、ルキーノの口のすぐ傍だ。
「起きろ、イヴァン!」
怒鳴ると、文字通りイヴァンは飛び起きた。
しっかり掴まれたままのネクタイを引かれ、ルキーノは、ぐ、と呼吸が詰まる。締められないようイヴァンの手首を掴み、ネクタイを取り戻すと、イヴァンはまだ起きていない体を無理に動かして逃げようとし、バランスを崩してソファーから転げ落ちた。
「いってえええ! ファック!!」
「カーヴォロ! もっと平和に起きられんのか、お前は…!」
ぎゅうっと締められたネクタイのノットを緩め、ルキーノは体勢を整えてソファーに座る。絨毯の上に落ちて喚いていたイヴァンは、はっと目を見開いてルキーノを見上げた。ルキーノを見上げながら、イヴァンはじわじわと状況が把握出来て行っているようで、苛立ちに満ちた顔に驚愕の色が広がって行く。ネクタイを離すまいとしっかり掴んでいたイヴァンの手が、自ら掴んでいたことを思い出したのか何度か開閉した。
「おいイヴァン、人のネクタイを急に掴むだけ掴みやがって。随分ご挨拶だな?」
「シット! くそ、……くそ、なんで」
「そりゃ俺が聞きたい」
慌てようが面白くて笑いそうになるのを堪え、ルキーノはしれっと言ってやった。イヴァンは混乱しながら自分の頭を乱暴に指で掻き、視線をふらふらさまよわせ、上目にルキーノを見た。見ると言うよりも、睨みあげた。
「……おい、ルキーノ……」
「うなされてるお前にネクタイを急に掴まれて首絞められた俺に、何か?」
「シット。……その、クソ、すまねえ」
「カーヴォロ、一言どころか二言余計だ」
「うるせえ! すまねえ!」
「今度は一言余計だな」
「す、ま、ね、え、な、コノヤロウ!」
唸るように詫びて、イヴァンの口は、がちっと奥歯の上下がぶつかる音を立てる。毛を逆立てた猫のような反応に、ふん、と鼻先でルキーノが笑ってしまうと、今にも噛み付きそうにイヴァンは眦を吊り上げた。
「イヴァン、ルキーノ、いるかー? スマン、道が混んでてさあ」
イヴァンの鋭い視線は、次の瞬間、扉を開けて部屋に入って来たジャンに向けられる。呑気な声をしたジャンに、イヴァンは絨毯から跳ね起き、駆け寄って胸ぐらを掴む。
「ジャンーーーーーー!!!」
「うわっ、なんだ、どしたイヴァン」
まるでキスでも迫るような距離で怒鳴られ、ジャンは肩を竦めて目を瞬かせている。
「オメーが待ってろなんて言うからああああ!」
「何でいきなりキレてんだよ、イヴァン! ちゃんと帰り道にお前が要るっつってた書類受け取って来たって!」
「うるせえ! ファック! これかよ書類は! 寄越せ!」
イヴァンはジャンの手にあった紙面をひったくると、絨毯をどかどかと蹴るように踏み、挨拶もなく部屋を出て行った。
「……る、ルキーノ?」
イヴァンの剣幕の理由がわからないジャンが、ルキーノに歩み寄りながら、説明を請う視線を向けて来る。
「なに、うなされてたから起こしてやっただけだ」
「あれ? あいつ、寝てたのけ?」
「ああ、ここのソファーでぐっすりだ。うなされてるくせに起きやしねえ」
へえ、と相槌を打つジャンの目が、やけに甘い色に蕩けていることに、ルキーノは気づかない振りをしてやった。
「ルキーノ、面倒見いいのネ」
「面倒見たのは俺じゃないぞ。お前だ、ジャン」
「へ?」
怪訝そうに首を傾ぐジャンに、ルキーノは呆れた溜息をつきながら、自分の首にかかっているネクタイを解いて差し出す。先ほど、イヴァンにがっしりと掴まれたジャンのものであるネクタイは、皺になってしまっている。
「まったく……犬か、あいつは。お前のネクタイだからって擦り寄って幸せそうに寝こけやがって、どういう鼻してるんだ?」
「…………。ん? え? はあっ!?」
CR:5の若きカポは、ポーカーフェイスが苦手だとルキーノは思っている。そして実際、そうなのだ。
2009.12.21