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 冷えた風が頬や耳の体温を奪って行く。
 人通りのない静かな夜道と言うのが、また寒い。イヴァンと住む部屋の裏手の通りを二人で歩きながら、首を竦め、マフラーに顎先を埋めて、ジャンはぶるっと震えた。

「ちょーさみー…」

 溜息をつくと鼻先で息が白くこごる。あまりの白さに、ジャンは立ち止まって、おー、と呟いた。

「ふあー、見ろよイヴァン、息真っ白」
「寒いんだから喋らせんな、とっとと帰んぞ」
「返事しなきゃいーだろ」
「だったら話しかけんな、このボケっ!」

 同じようにマフラーをぐるぐる巻いたイヴァンが、噛み付くように犬歯をむき出してジャンの方を向くと、目前にジャンの顔があった。次の瞬間、ちゅうっと音を立てて下唇を吸われる。
 ぽかんと固まったイヴァンのマフラーの端を引いたジャンは、ん、と声を洩らしてもう一度下唇に口付ける。更にもう一度、顔を傾けて唇の端へ。辿るようにして上唇も。冷えた唇同志が擦れて多少の熱を持つ頃になって、イヴァンはようやく状況を理解し、はっと目を見開いた。

「な、な、ジャン、おま、おま、おまえ、何して」
「喋らせんなって言ったのお前じゃねえか」

 寒さのせいかジャンの頬はうっすら赤い。イヴァンの目は、喋るために動いたジャンの唇を思わず凝視してしまった。凝視しながら喉がゴクリと鳴ってしまい、イヴァンは誤魔化すように乱暴に頭を掻く。

「そういう意味じゃねえだろ!だから…!っだああもう!!」
「あ、バカ、夜中だぞ!」

 苛立って吠えたイヴァンの声に慌てて、ジャンが腕をぐいと自分の方へ引っ張って止めさせようとした。腕を引かれたイヴァンが、逆にジャンの肩を抱いて引き寄せる。
 互いの顔が急激に近づき、そして、歯が当たった。

「いっ!」
「ってえ!」

 二人で口元を抑えながら短い声を上げる。じんわりとした痛みに二人して暫く黙り込んだ。

「…下手くそ」

 ジャンが笑い混じりに囁く。イヴァンは口元から手を外して、うるせえ、と吐き捨てた。唇を歪めた瞬間ぴりっとした痛みが走ったなとイヴァンが思うと同時に、あ、とジャンが声を上げる。

「お前、唇切れてる。血出てるぞ、嘗めとけば?」
「…お前が嘗めろよ」
「嘗めてください、だろ」

 返って来た言葉に、むっとイヴァンは眉をひそめる。

「誰が言うかボケ」
「命令すんなボケ」
「いいから嘗めろよ、この野郎…!何っつうか、こう、…色々読めよ、空気とかよう!」
「なーんのことっかしらー」

 しれっとすっとぼけた声とは裏腹に、ジャンは唇を開き、舌を軽く出した状態で、イヴァンに顔を近づけさせた。舌先がイヴァンの唇に触れ、頭をゆっくり動かすジャンの舌が、滲んだ血を嘗め取る。

「ジャ、ン…」

 思わず名を呼ぶために開いたイヴァンの唇の隙間に、ジャンの舌は潜り込む。ジャンはイヴァンの腕を掴んだままで反対の手を伸ばし、後頭部を抱き寄せながら唇の合わせを深くした。
 ジャンの肩にあったイヴァンの手もコートの生地を手のひらでなぞりながら移動し、ジャンのマフラーごと首を抱き寄せる。
 身を寄せ合いながら交わす、ゆっくりと味わうようなキスにしばし冬の寒さを忘れた二人は、触れているのが唇だけで足りなくなる寸前で、どうにか顔を引き離した。てらりと濡れた唇を二人して手の甲で拭う。抱き寄せた腕だけは、二人揃って離せない。

「…くそっ、からかいやがって」

 舌打ち交じりに呟いたイヴァンに、ジャンは喉奥でひそやかな笑いを洩らした。笑われたことにイヴァンが憤る前に、バーカ、と甘い声音で囁きかける。

「慌てなくても、部屋ん戻ったら下も嘗めてやるからさ。口ん中で撫でてやる。……その後は、ナカで、撫でてやるよ」

 声を潜めて、二人だけに聞こえる吐息のようにささやかな声で、ジャンはイヴァンの唇へ囁いた。

「……ってオイ。イーヴァンくん。俺がこんだけサービスしてやってるっつうのに、なーに呆けてんだこのボケ」
「ボ、ボケって言うなこのボケっ」

 道に響かない程度のボリュームで、顔を赤くしたイヴァンが苛立った声を上げた。互いの頭を片腕で抱き寄せ合う体勢のままでは、どう見ても犬も食わないなんとやらにしか見えないなあとジャンは思ったが、イヴァンもそう思ったようだった。くそっ、しまらねぇ、と唸ってから、じとりとした目でジャンを睨む。頬は赤かった。

「イヴァン。なにうさんくさいモンでも見たツラしてるわけ、お前」
「……お前、いつもフェラやりたがらねえじゃねえか…」
「だって、もうすぐお前のおたんじょうびだし?」
「え?」

 またきょとんとイヴァンが呆ける。その表情がやけに幼く、無防備で、ジャンは思わず笑った。後頭部に回した手で頭を撫でながら、ジャンはイヴァンと額を重ねる。

「時間、てっぺん回るぜ。もう23日だ。ハッピーバースデイ、マイ、…ディア?」
「ジャン――」

 何か言おうとしたイヴァンの唇を、ジャンはすかさず自分の唇で塞いだ。







2009.12.11