あなたとワルツを



「無理」
「せめて最後まで言わせてくれないか、ジャン」
「無理だって!お前だって無理だって思ってんだろ、ベルナルド!?」
「…………」

 返答の代わりに返って来た沈黙が証拠だ。ほら! と追撃をすればベルナルドの視線は逸れて行く。
 
「いや、そんなことは…」
「そんなことはあるってマジで! だいたい、何でヤクザがワルツ踊れなきゃならねーんだっつーの!」
「……お偉い方はそういうのがお好きでね」

 若干、と言うには派手な溜息をベルナルドは零し、ジャンの執務室にある来客用ソファに背を沈ませる。一応俺も回避しようとはしたんだ、と呟きを足す辺り、回避のためにそれなりの労力を使ったのだろう。

「諦めろ、ジャン。うちと繋がりのある連中のパーティーは、先延ばしにしたってまた誘いが来る。今のうちに覚えておいて損はねえよ」

 ベルナルドの向かいのソファに座ったルキーノが、ここにいるのはジャンと幹部だけなので、他の人間がいる時よりもずっと砕けた口調で言った。ルキーノの横にはイヴァンが面白くなさそうな顔で煙草をふかし、ベルナルドの横ではジュリオが大人しい犬のように行儀良くじっとしている。
 ジャンは自分の執務机に尻を置いて行儀悪く凭れながら、我が身に訪れた困難に、うう、と唸った。その困難の名は、イタリア系有力者たちが集まる夜会へのお誘い、と言う。

「……なあ、ベルナルドは?踊れんの?」
「まあ、一応はね。外交上」
「そっか……な、ルキーノは?」
「カーヴォロ。俺がレディの相手も出来ないような男に見えるか?」
「あーハイハイあんたはベッドの上のダンスもお上手なんですよね。ジュリオ――は、悪ぃ、そりゃ踊れるよな」
「はい、すみません…」
「だよなー……そんじゃイヴァンと俺だけかよ」
「は? 一緒にすんな」

 噛み切りそうな勢いで煙草の吸い口へ犬歯を立て、イヴァンがジャンを睨む。
 即座に、全員の視線がイヴァンへ集中した。

「見栄張らなくていいのよ、イヴァンくん?」
「で、俺たちは大笑いしてウケていいのか?」
「おい、今のは何のジョークだ? 説明しろ」
「……今度こそやっぱり火星人に改造されて」
「ジュリオ、その本好きだなー」

 ジュリオの表情がどこかいきいきとしているのを見てジャンが笑うと、ジャンさんの方が好きです、と躊躇いもないマッドドッグは言い出した。そのうち俺、ウチのコ自慢大会とかに出れるかもー、と尻尾があれば確実に振っていそうなジュリオを眺めながら、ジャンの思考が妙な方向に逸れる。
 そんなことをしていたらイヴァンがキレた。

「だからこのクソッタレども!聞・け・よ!」
「あ、ごめんごめん、想像ん中で俺ものすっごい親バカになりそうだった」
「おめーはただのバカだ!話思い出せ、バカ!」
「バカにバカって言われたくないだろ常識的に考えて!イヴァンのバカ!」

 一通りボケたり罵り合ったりのコミュニケーションを行ってから――周囲からは「兄弟喧嘩は程ほどにしてくれよ」「本当にお前らいつもうるさいな」「ジャンさんに、お前…」など許容と呆れと殺気を向けられつつ――、ジャンとイヴァンは、睨み合う勢いの目つきで見詰め合った。互いに探るように、視線を繋ぐ。

「……マジでイヴァン、踊れんの?」
「ったりめーだろ」
「いや、その当たり前って言うのがおかしいしお前のキャラ的に考えて」

 ジャンの言葉にまたファックと言い掛けたイヴァンの口は、Fの音を出しかけて、どうにか留まる。フン、と鼻先で笑ったイヴァンは両腕を組み、どこか得意げな――と、あからさまに周囲から見てわかるニヤつき方をした。
「昔、護衛やってた頃に、あのチビに教えてくれって言われてよ、覚えたんだよ」

 ああ、と全員が納得する。ロザーリアならカヴァッリに蝶よ花よと扱われ、お嬢様学校へ通い、幼いうちからダンスに接する機会もあるだろう。習い出すほどでもない年のころに、ダンスに憧れて、当時身近なイヴァンに教えてくれとねだるのも自然だ。
 と、そこまで考えたジャンの頭に、はっとある疑問が浮かぶ。

「イヴァン!ロザーリアのお嬢と踊れたのか!?お嬢の足も踏まずに!!?」
「踊るわけねえだろ、ボケ。あのチビが何歳の時だと思ってんだ。俺もガキだったけど十五やそこらのガキくらいにはカラダも育ってたから、背も合わねえしよ」
「じゃあどうしたんだよ、教えんの」
「俺ぁ教師じゃねえし、あんなの理屈より体で覚えるもんだろ」

 そなのけ? とジャンがベルナルドを見ると、間違ってはいないかな、と肩を竦めている。

「だから爪先の上に足乗っけさせて、足さばきとリズムだけ教えてやった」

 イヴァンの意外な面倒見の良い言葉に、ほう、とベルナルドとルキーノの口から感心したような声が洩れた。ジュリオも目を何度か瞬かせ、意外に思っているようだった。

 
 今よりも幼いイヴァンの爪先の上に小さな足を乗せたロザーリアが、イヴァンに手を取られ、リズムに乗ってくるくる回る姿がジャンの頭に浮かぶ。
 きっとロザーリアは頬を嬉しさに赤く染めて、もっと! とイヴァンにおねだりをしたのだろう。イヴァンは、渋々ながらもリクエストに応えたのだろう。
 子供に意外と優しいイヴァンは、ロザーリアが嬉しそうに見上げた先で、ちょっとくらい笑ったのかもしれない。そして、ロザーリアの目にはそんなイヴァンが王子様にでも見えたのかもしれない。

 
「あーあ、お前はどーしてそうお嬢に好かれるおにいちゃまをやっちゃうんだろうね……しかも素で」

 ジャンは心底しみじみと呟き、吐息した。イヴァンの方は、お前意外に女たらしだな、と横からルキーノにからかわれて、シットだのファックだの苛々と返している。

「――あ、そうだ。俺にも教えてくれよ、イヴァン」
「はぁ?」
「なあ、いーだろ。教えた経験あるヤツのが教えるの上手そうだし。お前、明日休みだろ?」

 我ながら名案だと思った。イヴァン相手なら堅苦しい社交ダンスと言えども随分と気楽だし、足を踏んでもさほど気がとがめない。ダンスを習うことへの敷居の高さが、随分と下がってくれる。
 な? とねだるようにジャンが言うと、イヴァンはやはり面白くなさそうな顔をしていて、それでも「このアホ」だの「ふざけんな」だのの言葉はなかった。ごにょごにょと、口の中で呟くように、おう、と応じ、

「お、おめーがそこまで言うなら教えてや…」
「いや、それは駄目だ」

 イヴァンが頷くのを、ベルナルドが鋭く遮る。答えを邪魔されたイヴァンがまた面白くなさそうな顔で、なんでだよ、とベルナルドに問うと、問われたベルナルドでなく、ルキーノの方が重々しく口を開いた。

「いいか、お前には問題がひとつある、イヴァン」
「なんだよ、何か文句でもあるってのか?」
「――ジャンはロザーリアお嬢様と違って、男性パートを覚えなきゃならん」

 あ、と間の抜けた声がジャンとイヴァンの口から零れた。

「それくらい気づけ、このばかども」

 ルキーノに呆れたように言われ、ジャンは少し肩身の狭い思いを味わう。言われてみれば当たり前のことだ。ジャンが覚えなくてならないダンスは、男女ペアでなくては踊れないのだ。

「……カヴァッリ顧問に、ロザーリアお嬢様に教師を願えるか聞いてみるか」

 両腕を組み、暫く考える素振りを見せていたベルナルドが、ぽつりと言った。

「俺、おじいちゃんに怒られない?」
「そりゃ、そこはジジイ受けの良さを発揮しろよ、ジャン?」

 女ならくらっと来そうなウインクをぱちんとひとつつけて、ルキーノが無茶を言う。

「カヴァッリ爺様相手に無茶言うな!」
「――さて、俺はパーティーのお誘いにオーケイを出して来るよ。どう断るか考えずに済んだ、グラッツェ、ハニー、マイ・ボス」
「じゃあ俺は、ジャンの着る服を選んで来るか。急げば仕立て上がるだろ。ああ、靴も要るな。シャツもタキシードも新しいものを作らせよう」
「ジュリオ、お前も護衛でジャンについて行ってくれ。ルキーノ、ジュリオの服も見繕ってくれないか」
「任せろ。行くぞ、ジュリオ」
「わかった。ジャンさん、じゃあ、俺はこれで…」



 反論を許さない勢いで話を進めた年上二人と、おりこうなマッドドッグが部屋から出て行くと、必然的にぽつんとジャンとイヴァンが取り残される。
 二人きりになると、ジャンはイヴァンが座っているソファへ移動し、ルキーノが座っていた隣の席に腰を下ろした。どん、とイヴァンの肩を自分の肩で押す。

「……なんだよ、ジャン?」
「オンナノコとくっついて踊っても浮気なんかしねえから、ヤキモチ妬くなよ、イヴァンくん?」
「妬いてねえ」

 ずっと面白くなさそうな顔をしていたのを思い出して囁くと、噛み付くようなキスが返って来る。思わずジャンが笑うと、イヴァンの指が柔らかく擽るような動きで耳を弄って来るので、強引に笑いを止められた。







2009.11.17