イムヌス










※ベル×ジャンルートではありません
※ベル→ジャン的表現があります












 まったくお前は死にたいのかと怒りの滲む声でロゼワインが囁く。そんなことはない、とグラスに応じる。そんなことはないさ。死にたくないと思っている。しかし、この精神は暗闇の中ですっかり傷んでしまった。傷みの染み付いた俺の精神は、記憶を思い出すきっかけさえあれば、深い海の底でいつ来るかわからない暴力に怯えているような錯覚をしつこいほどにいつまでも感じ、肉体はその錯覚で俺の統制下からあっさり外れる。身動きが取れなくなって、赤紫を通り越して黒くなっていた打ち身の痕などとうに消えたのにまだそこがじくじくと痛んで俺に「忘れるな」と囁きかけて来るんだ。俺が望んでいることじゃない。俺が死にたい?死にたいわけなどない。死にたくないさ。納得も出来ずに、生きた証も残せずに死ぬなら、俺は何のために生きたのかわからないだろう。だから、俺はせめてジャンのために死にたい。俺たちのカポのために。俺たちを刑務所から脱獄させてくれたあいつのために。あいつはこんな話をしたら怒るだろうな。ハハ、わかってるよ。でも俺は、生きた証の立て方がそれ以外わからないんだ。それ以外で死にたくない。死にたくないから、死にそうな記憶を忘れるために、どうしようもない時にはこうして酒を飲む。アルコールで麻痺させるのさ。こうしてひとり自分の部屋で、ボトルを開けて胃を少し焼く。血の気が引いた手足に無理やり血を回すために。タイはとっくに外して、ベルトも寛げちまった。革靴?ソファの傍に転がっているだろうが、探さないとわからん。こんな姿を見ているのも、こんな愚痴を聞いているのもグラスくらいだ。ヤクをやっているわけじゃない。誰かのシノギを邪魔しているわけでもない。そこまで喋ったところで、上から手のひらで頭を叩かれた。

「ベルナルド。お前、自分で何を喋ってるかわかってるか?」

 見上げると、そこにはロゼワインのような淡い薔薇色の目をした大男がこちらを見下ろしている。俺と、胃に何も入れずに呑んだのは明白な、ワインボトルだけが転がるテーブルの上を。
 見上げながら、叩いた方が痛そうな顔をするのはおかしい、と指摘すると、眉間に深い皺を刻んだ仲間は、自分の有様もわからんのかと吐き捨てる。隙なく着込んだスーツをタイのノットを指で乱暴に引いて台無しに崩し、しかし伊達男っぷりは台無しになっていない男は、勝手に新しいワインとグラスを持って来て俺の横に座った。ぼやける視界の中でも、ルキーノがこの部屋に置いてある一番の上物を選びやがったことに気付いたが、それを止められるだけの頭も口も回らない。勝手に開けられたイタリアの赤。イエズス・キリストの血のようなそれをルキーノはグラスになみなみと注ぎ、一息にあおる。彼らしからぬ台無しな呑み方だった。その後、俺の手に引っかかっていただけのようなグラスを、ちゃんと持てと促し、濃い赤のアルコールを俺のグラスに注いでくれる。それから、探して来たらしいハムの固まりをナイフで薄く削ぎ、すきっぱらにアルコール入れやがってと呆れながら薄いハムを俺に寄越す。それを、俺は幼い子供のようにためらいなく指で摘んだ。

「こういう場合はパンじゃないのか」
「わけのわからん問答はジャン相手にしておけ。俺は酔っ払いと聖餐を繰り広げる気はねえよ」

 ルキーノは俺より分厚く切ったハムを口に運んでいる。
 薄いハムは、アルコールとダンスを踊っているような俺の胃に存外すんなり落ちた。飲み込んでしまうと、もう一枚薄いハムが俺の手元に来る。
 何度かそれを繰り返した。

「あんたもいい年なんだ、酒の飲み方くらいわかるだろう。楽しめよ。勿体ないことするな」

 説教じみて来た年下の言葉に適当に頷いたつもりだったが、聞いてないなと溜息を吐かれる。聞いてるよ、と応える代わりに乾杯でもしようかとグラスを持った手を動かすと、薄いガラス容器は力の入らない俺の指から滑り落ち、織の密度の高い絨毯にワインをぶちまけながら落ちた。

「あ」
「最悪だな、お前!」

 ワインと絨毯の価値を分かっているルキーノが嘆く。ハハ、と酒に掠れた声で笑うと、カーヴォロ!と嘆きに罵りが混じった。いちいち元気なやつだ。フハハ。と言うかお前、人を年寄り扱いするくせにまったく年上らしい敬い方をしないのはどういうことだね?







2009.11.16/友人のいる人生は楽しい