マスタード、チキンサンド添え



「チャオ。ベルナルド、世間はランチの時間だぜ」
「悪い、仕事が立て込んでいてね。席を外せそうも――」
「だろうな。だから持って来てやった」

 電話の王様の部屋へデリバリー。
 配達人はルキーノ・グレゴレッティ。彼の右手にはチキンサンドとコーヒーの載ったトレー。
 ベルナルドは、ルキーノが執務室へ入って来てからもデスクの上の書類に向けっぱなしだった目を、ようやく配達人役をしている伊達男の顔へと向けた。

「……お前、いつからシノギを変えたんだ?老後にバールの店長でもやるつもりなのか?」
「まさか。俺が店長なんざやってみろ、デイバン中の女の客を奪ったってよその店に恨みを買っちまう。…おい、そこで黙るな」
「フハハ、お前のジョークは本気だかジョークだかわからん」
「コレもいつも通りの仕事だ、ジャンに頼まれたんだよ」

 机の上のファイルをひとつ脇へどけて皿の置き場を作り、ルキーノはベルナルドの右側へサンドイッチを置いた。ベルナルドの左側にならば空いているスペースがあったのだが、ルキーノは、彼の右側へ置いてやってくれと頼まれている。ブロンドのわんこに。

「ジャンが、”腹時計がダメになってるうちの幹部筆頭は、どうせ今が昼だってことも忘れてる”って言ってたが、正解だったな」
「ジャンが?」
「ああ。カポに心配かけてどうする、ほら食え」
「ん……、そうだな、すまないルキーノ」

 ベルナルドは忠義をくすぐられる言葉に一瞬迷って、ペンを置いた。眼鏡を外して、節の目立つ手で疲労した目元を擦り、眼鏡をゆっくり戻し、――そして左手でペンを拾った。ルキーノは眉を顰める。

「俺は食えって言ったぜ?」
「サンドイッチなら片手で食えるさ」
「ったく、食の楽しみってやつを忘れちまったか?うちの幹部筆頭は」

 呆れ半分に言うと、そんなことはないさ、とベルナルドは応じる。食の楽しみを堪能しているとは思えない書類片手の男は、皿へ手を伸ばしかけたが、そこにたっぷりと盛られたチキンサンドを見て躊躇した。

「…おい、こんなに食えない――」
「はぁ?これっぽっちも食えないでどうやって体もたせてんだ?うちの店のレディだってドルチェまで食うぞ」
「レディに甘いものは別腹だろう」
「仕方ないな、少し寄越せ」

 ありがとう、と礼を言われたので、お前も食うんだ、と念を押した。
 相手の皿からサンドイッチをつまんで自分の口へ放り込んでいると、いやに親しげで、ティーンの頃の友人同士のような気がして来て奇妙だった。ジャンの影響だろうな、と思いながらルキーノはあっという間に半分ほどに減らしたサンドイッチの皿をベルナルドへ押しやる。
 今まで勿論頼りにはしていたが、友人と言うと奇妙な気のする間柄だった。今でも幹部たちの繋がりはCR:5であり、ファミーリアであることに変わりはない。しかし、GDとの争いの後には、自分たちでもわかるほどはっきり絆のようなものが出来上がっていた。言葉上だけでないもの。良くも悪くも運命を共にする覚悟の据わった、コーサ・ノストラの兄弟たち――

「ルキーノ」
「なんだ?ベルナルド」
「お前、そのペースで食ってよく太らないな。油断してると三十超えた時に怖いぞ」

 真剣な顔で心配されて、ルキーノは自分が全身でげんなりするのを感じた。

「……I'll take it back」
「ん?何を戻すんだ?」
「お前と違って俺は体動かしてんだよ、いいからさっさと食え」

 自分の内心の呟きを撤回しつつ、ベルナルドには食事のスタートを催促し、ルキーノはデスクの横へ椅子を持って来て自分もコーヒーを飲み出す。ベルナルドは、チキンサンドの端を齧りながら、椅子の背へ凭れるようにしてルキーノへ視線を上げた。

「おや、食事に付き合ってくれるのか?」
「一人で食うのも味気ねえもんだ。しっかり見届けて、ボスに言いつけてやるよ」
「そりゃ怖い」

 肩を揺らしてベルナルドは笑った。
 食事に付き合いながらルキーノは、ひとつふたつ最近の組織について話でもしようと思ったのだ。コミュニケーションは大事だ。

「ベルナルド。お前、最近だいぶ部下に仕事を任せてると思ったが。今日は随分忙しいんだな」
「ああそうだな、俺の部下は優秀でね――優秀過ぎて、俺の振った仕事以外にも頼られることが増えてしまってな。今日は、俺が彼らの手伝いをしている」
「……お前、元も子もないって言葉知ってるか?」
「知ってる。今言われると身に沁みすぎて胃にまで沁みそうだから、遠慮してくれ」

 冗談めかして笑うベルナルドは、昔よりもリラックスして見えた。無駄な力が抜けた。仕事の流れが一人に集中しなくなり、休暇をきちんと取るようになった。多少休暇を取っても、彼の仕事は回るようになった。それは、組織としてはおそらく正しいことだ。
 ベルナルドの、サンドイッチを右から順に食べて行く姿を眺めながらそう思う。……しかし本当に視線は書類から上がらないし、ルキーノと会話をしながらなのに、左手に持ったペンで器用に書類へチェックを入れて行く動作も止まらない。そして、気が書類に向いているだろうに、サンドイッチはきっちり右から順番に食べる。

「ベルナルド、お前の右好きも筋金入りだな。右手にマスタードだけのサンドイッチでも持って来てやろうか?」
「ハハ、生憎辛い物は苦手じゃあない」

 そう言いながらもベルナルドの視線は、ルキーノどころかサンドイッチにも向かない。視界の端にあるサンドイッチの皿から、指で辿って一番右のサンドイッチを摘む。それから口に運ぶ。見ないから時々着地点を間違えて口の端を少し汚す。ナプキンをまた指で辿って取る。汚れた場所を拭う仕草だけ妙に優雅だ。
 ルキーノはその光景を見ていて、むかむかと苛立ちを感じた。見ていて食欲のなくなるほど、食に対しての敬意がない。忙しいのならば仕方がないかもしれないが、どうにもいただけない。食は生きる上で必要なものだ。そして、どうせ必要なものならば楽しむべきだ。
 お前に食われてる胃に入れる寸前まで何なのかさえ認識されない食材に謝れなどと思いながら、ルキーノはサンドイッチに添えられていたマスタードの小瓶の中身をスプーンで取り出し、べったりとチキンサンドの中に詰めてやる。

「まだ残ってるぜ」
「ああ、グラッツェ」

 ベルナルドの右側から、マスタードサンドを差し出す。ベルナルドはルキーノを見もせずに、サンドイッチすら見ずにそれを口に運び――ごふっと変にむせた。

「っ、ファック!ルキーノ、てめぇ、本当にやるか!?」
「食事相手の顔くらい見て食えんのか、お前は!その書類はランチの席で一人って数えるのか!?」

 幹部二人の子供のような喧嘩を、部屋にいた部下たちはそっと見ない振りをし、扉を閉めた。







2009.10.29