キャンディ、チョコレート、シャルキュトリ






※多少流血表現などがあります。



「少々失礼を」
 血みどろの手を凝視しているジャンカルロさんの視線から庇うように、私は背を向けて膝を折り、路地の端の砂で血をあらかた落としてから、最後に上着の裾で血と砂を拭った。ウエスを取り出すため、鞄に触るにもはばかられるような滴る血だったからだ。
 血抜きの時くらいにしか見ないような血の量だった。襲って来た人数は二人、否、三人だった。タイヤがパンクした車のフロントガラスにうつぶせた格好で一人絶命している。
 計画失敗と悟った最後の一人の、自決で切り裂かれた皮膚からしぶいた血液は、その男の体を赤く汚した。上着を剥いで、CR:5の刺青がないか探した私の手も同様に赤く汚す。CR:5の刺青はありませんね、と言った時のジャンカルロさんの、ほっとした溜息と、平静さを保とうとする呼吸を思い出しながら、私は、ベルナルドに状況報告と、迎えの依頼と、組のものではないようですと言うこともあわせて報告をすべく……
「あ」
「え? どうかしたか?」
「すみません、ジャンカルロさん。私の手では血の痕を残してしまうので、ベルナルドに電話をかけて頂けませんか」
「あ、ああ、すまねえ」
 ジャンカルロさんは申し訳なさそうに僅かに眉を寄せ、私としてはまったく申し訳ない気持ちになる理由がないと思うのだが、彼はそんな風にこちらを気遣う素振りを見せながら、すぐ傍の電話ボックスに向かった。私も付いていき、傍で周囲に耳をそばだてて警戒する。
 神経を集中した耳に、ジャンカルロさんとベルナルドとの会話はよく聞こえる。ベルナルドが胃の痛いような声か言葉でも出したのだろう。ジャンカルロさんが力ないながらも、ユーモアを含んだ台詞を投げかけて、そんじゃヨロシクダーリン、などと気やすく遊ぶジャンカルロさんの言葉で締めくくられ、通話は切れた。
「迎えの車は十分で来るとさ」
「さすがベルナルド、手配が早い。では、少し待ちましょうか〜」
「そうだなあ……」
 ジャンカルロさんは電話ボックスに背を凭れ、さきほど目の前で起こった、一分にも満たない嵐のような戦闘への疲労が滲んだような瞼を閉じて──
「腹減った」
 短い呟きは、まるで独り言のようだった。生命力に溢れた言葉に、ふ、と笑うような息が私の口から洩れる。
 ジャンカルロさんの呟きに、私は、懐に入れてあるブリキで出来た薬入れを思い出す。中身はキャンディとチョコレートだ。何かあった時に血糖値を上げるためと思っていたものが、ジャンカルロさんの役に立つとは思わなかった。
「ジャンカルロさん、またお手をわずらわせてしまうのですが」
「ほいほい、なんでも言っちゃって。小便以外なら手伝うぜ」
「僕の上着の、内側にポケットがあるのですが。そこに入れてある缶に、腹の足しになりそうなものが入っています。よろしければどうぞ」
「……触っても、」
 僅かな逡巡のような歯切れの悪さがあった。
「いいのけ? ラグさんの服。中は企業秘密だったり〜?」
「あはは。今日は大丈夫ですよ〜」
「今日は」
 思わず、と言ったように反芻するジャンカルロさんの脳内では、「今日」以外の私の服の中が、どのようになっていると想像されているのだろうか。
 両腕を開き、上着の前を開けやすいようにする。右の内ポケットですよ、と場所を言うと、あんたも右か、となぜか笑われた。
 開いた上着の中に、ジャンカルロさんの手が入って来て探り出す。上着の内側に誰かの手があると言うことは、思いのほか、……なんと言えば良いのだろうか。不可思議だった。久しぶり過ぎて、上手く把握の出来ない距離。
「……なあ、掃除屋。ラグさん」
「はい?」
 僅かな沈黙があり、「その、さ?」と、私の懐からケースを取り出したジャンカルロさんが、怪訝そうに首を捻っている。
「──ああ、中身はキャンディとチョコレートですよ」
 軍で使っている救急箱のケースを使っていたのを思い出した。ジャンカルロさんは、中身がガーゼや、消毒のパウダーや、あるいは何かの新薬とでも思ったのだろう。
「なんかの新しい薬かと思ったわ。それ一粒で腹イッパイーとか、チャイナの仙人が食ってそうな、なんだっけ、仙人のビーンズ? とか、そんな感じの」
 やはり。
 特殊な効果のない、ただのキャンディを取り出したジャンカルロさんは、警戒なく私の懐から出てきたキャンディを口にして、うっめー、と笑った。
「サンキュウ。この飴ちゃんの礼にさ、今度いっしょにメシでも食おうぜ」
 掃除屋にそんな声をかける者はいない。掃除屋は「仕事」の時に呼ぶものだ。
 食事を共に、などと言う理由で呼びだす者はいない。
 だろうな──と、ベルナルドの声が不意に頭に浮かんだ。
 だが、ジャンカルロは呼ぶんだ──と、脳の中の記憶が引き出され、私の耳に、空耳として響く。
 ああ、なるほど。ベルナルド。あなたがやけにうっとりと話していた脳裏に浮かんでいたものは、この、彼か。
 ひどく深く合点がいった心地で、私は、はい、と答えた。






2011.06.26.ComicCityペーパー