幸福の味






「うおお。寒、さむ」

 そう愚痴る声を上げ、本部の中へと寒そうに肩を狭めて入って来たのはアレッサンドロだった。
 黒いスーツの肩には、雪がうっすら積もっている。髪にも吹雪の中をくぐって来たように氷がついて、明かりにきらめいていた。ちょうど近くに居合わせたルキーノが、部下にタオルと着替えの指示を出してから、足早にアレッサンドロへ寄って来る。

「雪ですか。予報では明後日からと聞きましたが、ずいぶん早まりましたね」
「おお、急に来たな」

 アレッサンドロの後ろからは、同じように雪をつけた他の幹部三人が入って来て、玄関先で雪をはたき落としていた。四人とも首にしっかりとマフラーを巻き、コートを着込み、革手袋をつけている。きっちりと防寒しなければ凍える気温だ。
 アレッサンドロはルキーノの部下から渡されたタオルで乱暴にオールバックの髪を拭いた。乱れた髪が、いつもより多少やんちゃ坊主のような印象に――ジャンと少しだけ似た印象になる、と、その場でジュリオだけが気づいていた。

「車からここに来るまででこのざまだ。イヴァンは裏でメルセデスにチェーンをつけて来た。お前の部隊も気をつけたほうがいいぞ、ルキーノ」
「ありがとうございますアレッサンドロ顧問。すぐに雪用の装備を手配します」

 ルキーノが頭を下げ、傍で皆のコートを受け取っていた部下へ視線をやると、心得た部下は頷いてその場を離れた。
 出入り口で気温の低い玄関を離れて、皆で応接室へ向かい、ゆったりとしたソファへそれぞれ腰を下ろす。空調だけでは暖かさが足りずに、部屋の端の暖炉へ火を入れた。ぱちぱちと火の爆ぜる音を立てながら薪を飲み込み、熱を吐き出す家具は、てきめんに部屋を暖かくしてくれる。

「明日、市内のスクールは休みになるな」

 凍死の出る気温だ、とベルナルドが溜息を吐き出す。溜息を受けたコーヒーの表面が湯気を揺らした。窓の外では雪が音もなくただただ降り続けている。石炭でいつもより強く部屋を暖め、凍死者が出ないよう目を配る何日か続くだろう。

「──こういう日の熱いめしは、幸福の味がする──」

 ふと、まるで詩を読むような響きが、ジュリオの唇から室内に零れ落ちた。何だ、と周囲の視線を集めたマッドドッグは、恐れられる殺し手としての印象など微塵もない、薄く赤に染まった頬で呟く。

「ジャンさんが、昨日、一緒に外に出たときに……こんな時期に空腹と寒さが同時に来ると、熱い食事が、幸福そのもののような味に思えたのだと……小さい頃に、誰かと、たぶん母親と食べためしがそんな味をしていたと、話していたので」
「……あいつもそろそろ帰って来るんじゃねーのか?」

 一瞬、皆に訪れた沈黙の後、ぽつりとイヴァンが言った。何か考え込むように眉間に皺を寄せる最年少幹部は、指を鳴らし、部屋の隅にいた自分の部下を呼び寄せる。

「おい、今日はうちの兵隊がめしの当番だろ。ジャンが戻って来たら食えるようにスープ作っとけ、特急で」
「へえ……」

 気を回すイヴァンの様子にルキーノがわざとらしくニヤニヤと視線を送る。イヴァンは唇の端を歪めて犬歯を剥き出す、ひどく嫌そうな顔でそれを睨み返した、そのときだった。

「うおお。さむっ」

 聞き覚えのある言葉にハッとした幹部たちが、声の上がったドアの方に視線を集中させる。子供のように鼻をこすったジャンカルロが入って来て、室内の暖かさに、ほうっと息を吐いた。
 雪の寒さに対して、まったく同じ子供のような反応をする一代目と二代目のカポの姿に、アレッサンドロ以外の全員が笑ってしまった。

「なに笑ってんだよう、おまえら。笑ってはいけないCR:5な日でも作って欲しいのか、こんにゃろ」
「それはご勘弁を、マイ・ロード。イヴァンがさっきお前に飲ませたくて部下に作らせていた、」
「ばっ……余計こと言ってんじゃねえこの冷凍リーキ!」
「ハハ、黙れイヴァン。――熱いスープがすぐに出来上がって来ると思うが、飲むかい?」
「イヴァンちゃんがそんな優しいなんて、ママ感激。グラーチェ、もちろん」

 どかりとソファの開いた席に腰を下ろすジャンは、ふざけたウインクをしてイヴァンをファックと吠えさせた。その横で、アレッサンドロは感慨深いような、珍しく真剣に困ったような顔をしている。

「……まったく。ヘンなところが似るな、こいつも」
「不思議と、親父とジャンは似ていますね。カポと言う座に染みついた何かが、セコンドカポにも伝わっているのでは」

 ルキーノが笑いを堪えながら言うと、ジャンが首を捻った。

「ん? おまいら、親父の加齢臭の話でもしてんのけ」
「あほう。ケツに卵の殻がついてるようなガキに、大人の男の渋みなんぞ分けてたまるか」
「なになに、アレッサンドロ親父ってば渋くて食えたもんじゃねえってどっかのお姉ちゃんにでも言われたの?」
「そんな口の悪いオンナこっちから願い下げだ。だが色っぽい脚したねーちゃんが露出度増し増しで挑発的に言って来るなら逆にお願いしたい。まったく、おまえの減らん口はいったい誰に似たんだ、馬鹿息子」
「馬鹿って言うほうが馬鹿なんだってさ。知ってた? 親父殿」

 ぽんぽんと飛び交う、身のない前カポと現カポの会話に、幹部たちは口を挟まない。口が達者になって来た子供と父親のレクリエーションのようなものだ。

「ってジャン、髪が濡れてるじゃねえか。ちゃんと乾かせ」

 目ざといルキーノの言葉に、ジャンは叱られた子供のように少し肩を竦める。その顔は、笑っていた。嬉しそうに。アレッサンドロが怪訝そうに首を捻る。

「何笑ってるんだ、お前? いいことでもあったのか。ニヤつきやがって、けしからん」
「ン、いや、なんかな」

 ぐるりと室内にいる面子の顔を見回して、ジャンは言う。

「帰って来たら部屋があったかくってさあ、明るくて、すっげー腹減ったーって思ってたら熱いスープがあって、……親父とお前らがいるだろ。シアワセだなって思っちまっただけよ」
「──そこに、美味い酒とボインなねーちゃんくらいつけろ。でかく行け、でかく」

 口を開いたのはアレッサンドロだけだった。皆、笑っていた。そのあとは、運ばれて来たスープに皆で口をつけ、幸福を味わった。





2011.01.03