LD1 Con tenerezza(イヴァン×ジャン)
昨夜、仕切りの店で暴れた酔っ払いを殴った時にイヴァンの爪の端が割れた。それを、俺の頬に引っ掛けた。
たかが爪とは言え、欠けた部分は鋭く尖り、意外に深く俺の頬を裂いた。しかし、爪はあくまで爪だ。ナイフのような深さはないし、縫う必要だってない。数センチの赤い痕が俺の頬に残っただけだ。
ただそれだけのことで、イヴァンはベッドの枕に顔を埋めて、うつ伏せで身動きもしやがらない。
「なーにしてんのけ、イヴァン」
「うるせぇタコ黙れあっち行っとけ」
「どっか行けるほど広い部屋じゃねえだろ、ボケ」
言い返しても、イヴァンからは屍のように返事がない。
やれやれと思いながら膝でベッドに乗り上げると、ぎし、とベッドが軋んだ。俺はイヴァンの背の上へ、亀の甲羅のように乗っかって、被さる。
「なんだよ、イヴァン。落ち込んでんのか?」
「なワケねぇだろ」
「フーン?」
また黙るイヴァンの上で、俺はごろごろごろごろ、寝返りを打ったり乗っかる位置をずらして居心地の良い場所を探したり。
イヴァンの体温があったかくてうとうとし出した頃、イヴァンはようやく枕に顔を埋めたままだが喋り出した。
「……明日はてめぇ、ニューヨークのどっかのボスも出て来る会合に出るんだろ」
「ん? ああ、ベルナルドと一緒に、朝っぱらから向こうさん迎えに出かけて来るわ」
「それなのに、ツラに傷つけて目立つじゃねえか。クソ、ボスが傷つけてるなんざ……」
声が段々小さくなって、聞こえなくなる。俺はうつ伏せるイヴァンの肩を掴み、力をかけてヤツの上半身を上に、俺の方へ向かせた。驚いて見開かれたイヴァンの目の上、眉間にいかにも苦悩したような皺が刻み込まれている。
「イーヴァンちゃん、よく聞いてね。――俺は俳優じゃねえぞ、カポだろカポ! ボス! 傷のひとつふたつで揺れるようなシノギか!?」
「だ、だってよう、嘗められる隙を作るなってルキーノにも散々言われてたじゃねえか……」
「嘗められねえように堂々としてりゃいいんだろ? それとも、幹部が俺にわざと傷つけるなんてプレイに目覚めましたって説明して欲しいのけ? お前がそんなプレイに目覚めっこないことは、俺がよーく知ってるけどな」
「っ、ふざけんな!」
ファックと喚いて、イヴァンはまたうつ伏せになってしまう。今度は不貞寝だ。仕方ねえなぁって気分で俺は、イヴァンの上にまた寝そべった。
「イヴァン。俺が明日は失敗出来ねえって思ってたの、気づいてたんだろ、お前」
ピク、とイヴァンの体が震える。俺はイヴァンの背に頬ずりをしながら、こいつの暖かさのせいで、全身の力が抜けるのを感じていた。
背に触れるたび、頬の傷はちりちりと微かな痛みを俺の神経に届ける。その痛みは、イヴァンのことを思い出させて、俺は正直、悪くない気すらしていた。嗜虐趣味な意味でなく。
「……ウン、なんか、この傷があると、お前がいるような気がしていっそリラックス出来る気がする。サンキュー」
明日のことを考えると眠れる気もしなかったってのに、俺は今、イヴァンの背中にへばりつきながら凄く眠い。
眠いから、イヴァンが何かごにょごにょ言ってた返事もすっかり聞き逃して、遠くに、寝てんじゃねえよこのボケファックと喚くイヴァンの声だけ聞いて寝に落ちた。
LD1 Con amore(ベルナルド×ジャン)
頬を撫でられた。
大きな手のひらはひんやりとしていて、さらりと乾いていて、眠ってて体温の上がった俺には、その温度がちょうどいい。
心地よさに、つい警戒心のない犬猫のように擦り寄る。デスクワークの割に意外と固い手のひら。細い骨ばった指の感触に頬や目蓋を押し付けた。
あんまりにも気持ち良くてそのまま寝ようとすると、ぱちん、と肌と肌のぶつかる乾いた小さい音と共に頬が叩かれる。叩かれたと言っても、痛くもない。目覚めを促す刺激に、俺はのろのろとカタツムリのような速度でベルナルドの手へ押し付けていた目蓋を開き、顔を上げた。
「ん、もう時間か……?」
「すまないね、ジャン。ゆっくり寝かせてやれなくて」
起きてくれと肩を揺すられ、まどろむ時間もあまりないことを知る。きっとベルナルドは、本当にぎりぎりまで俺を寝かせてくれていたんだろう。仮眠の後には、仕事が待っている。ベルナルドが代理を出来ない、俺じゃなきゃ出来ないことは、ある。俺はカポになったんだから。
「お前の方が寝てねえのは知ってるのよ、ダーリン。任せろって」
寝起きから毎度馴染みの軽口を叩き、俺はふかふかのソファから起き上がった。執務室のソファはベッド代わりにもなるような心地良いものをベルナルドが選び、置いてくれたので、一時間の仮眠でも深く深く眠れた。
「おはよう、ハニー。頼りにしてるよ」
ベルナルドが、額にキスくらいして行くもんかと思ったのに、ただ肩を叩いて離れて行く。どうやら今のダーリンの頭はお仕事モードのようだ。
欠伸をして酸素を思い切り取り込むと、コーヒーの香りがした。俺のためのコーヒーだろう。そう感じるのは、思い上がりじゃない。ベルナルドは俺の机に準備されていたコーヒーセットへ向かい、ブラックでいいかい、と俺に尋ねながらカップへコーヒーを注ぎ出す。
端々に、ベルナルドから俺への優しさってもんが見え隠れする。
それはCR:5――ファミーリアへの忠義だけがもたらすものじゃない。俺への、その、愛情が、透けていて。ああ、こいつは結構わかりやすい男なんだ、と俺は再確認する。
「――俺も愛してるぜ、ベルナルド?」
そう言うと、手元をうっかり狂わせたベルナルドがコーヒーカップを取り落とし、足元の絨毯にコーヒーの黒い染みを作った。しまった、唐突過ぎた。部屋には今、「仕事中」の看板を掲げているような空気しか流れていなかったのに。
言うタイミングを間違えたのは、きっと俺が寝ぼけていたからに違いない。
2010.04.20(拍手再録)