夏に溺れる




 紐と小さな面積の布で出来たそれに罪はない。むしろそれ自体は好きだ。ジャンはその布切れに、若い男としての一般的な好意を持っている。
 しかしそれはあくまで観賞する立場としてであり。
 その中身はやわらかな肌の女性であるべきで。
 つまりは。




「いい加減離婚よって言われてもおかしくねえですことよ、ダーリン」

 CR:5の所有である屋敷のプールには水がたっぷりと涼しげに溜められ、夏の暑さからジャンを解放する時を待つばかりだと言うのに。なぜ自分はイイ笑顔のダーリンに、紐パン片手に迫られなきゃならねえのか神様に教えて欲しい──と思いながらジャンは、目の前のベルナルドの額を指先で弾いた。ニヤケ面はそんな衝撃では揺るがない。嬉しそうなベルナルドが寸前と違わずにそこにいる。

「痛いな、ハニー」
「痛くしてんだよ。ったくもう、笑ってんじゃねえか。もう一発いっとく?」
「それは勘弁。で、この水着、おまえのサイズぴったりだと思うんだが──大丈夫、紐だからサイズの調整もきくさ」
「大丈夫じゃねえのはあんたの趣味だけだっての」

 プールサイドで二人してスーツの上着だけ脱いだ姿で座り込み、向かい合ってしているのがこんな会話だと言うことに、ジャンはぐったりと疲労感を覚える。ベルナルドは汗で湿り肌に張り付いたシャツをものともせず、横でキラキラ輝いて魅力するプールに目もくれず、ジャンを見てニコニコしていた。

「水着がないとプールに入れないだろう。……それとも、裸で泳ぐのをご所望ですか、マイロード?」
「……悪いカオしやがって」

 その眼鏡取り上げてプールに放り込んでやんぞ、と呟きながらも、ジャンは紐のついた小さな布を見て、確かな敗北感を味わった。……そんな嬉しそうな顔をするのは、卑怯だ。







 先にプールに入ってろこっち見んな見たら天に帰んぞと散々言って、水着に着替えたベルナルドを水の中に追いやり、ジャンは水に背を向けて乱暴に服を脱ぎ散らかす。
 プールサイドに散らばったシャツや高価な仕立てのコンプレートも、こんなシチュエーションに置かれてしまえば台なし感がひどい。全裸になって溜息を吐き、仕方ねえと小さな布に手をかける。何を考えてこれを支度したのだろうかと思うような、布と紐。これをつけた自分を想像すると情けない笑いしか出てこないのだが、ベルナルドはどうやら、それで興奮するらしい。

「……わっかんねえ」

 不可解さを声にして吐き出し、ジャンはそれを身に着けた。泳いだら零れんぞー、とツッコミを入れながらブツを小さな布に収め、……更に不可解なことにその布の面積はぴったり、ギリギリの大きさでジャンのものを収めた。サイドの紐を結んでみれば、手を離してもきちんと股間の隠れた状態になる。
 ワオワオ、と力なく呟いてジャンはその場で頭を抱えた。自分自身、正視に堪えない。

「ジャン、水に入らないのか?」

 足元から声がして、ビクッと肩を震わせたジャンは、恐る恐る声のした方向を見下ろす。
 プールのふちに肘を置いて体を支え、水に半身浸かった状態で見上げるベルナルドの顔には、プールの中のため眼鏡がなく、見づらそうに眇めた目が鋭く、精悍な印象を強くしていた。鼓動が僅かに速まるのを無視してプールへ向き直り、ベルナルドの横、プールのふちに腰を下ろす。両足を水の中に突っ込むと、ようやく踏み入れることの出来た水の涼しさに、一瞬、自分の格好を忘れて力が抜けた。

 しかし力が抜けたのも一瞬で、ふ、と腰の脇にかかった熱い吐息に全身が強張る。

「ちょ、おとなしくしてろよおじちゃん!」
「大丈夫、この距離なら眼鏡がなくても見えるさ」

 ジャンの腰の脇の、水着が――水着と言う名の小さな布が留められている紐に唇を寄せて、目を細めたベルナルドが笑った。喋ると息が肌にかかって、ジャンはぞわぞわと尻のすわりが悪くなる。

「だから大丈夫じゃねえのはあんたの趣味だけだっての!」
「どうして? 試してみてからでも、悪くないかどうか考えるのは遅くないと思うけど?」
「魔女の甘い言葉聞いてる気がして来るのはどうしてかしらダーリン」
「フフ、甘い菓子で出来た家でも欲しいのか?」

 そう囁くベルナルドの視線と、声の方が、菓子よりよほど甘い。
 甘い声を放つベルナルドの唇は、想像通りにジャンの腰脇の紐を啄ばんで来る。蝶々のような形に結ばれた紐の片端を、そっと口を開いて歯で挟む動きの間、ベルナルドの唇はジャンの肌に近すぎて時折掠めもした。神経を柔らかくなぶるような微かな刺激に、ジャンの膝頭が小さく揺れた。プールの水面が、揺れた足に弾かれて小さな波紋を広げる。
 その反応を裸眼のアップルグリーンの目がチラリと見て、視線でもジャンの肌をなぶる。腿から腰へと、ベルナルドの視線が這い上がっていくのがわかった。熱っぽい、凝視するような眼差しにあてられたように、ジャンの肌がゾクリと総毛立つ。
 ベルナルドの頭がくっと後ろへ引かれ、それにつられて噛んだ紐の先も引っ張られた。その動きだけで頼りない水着の留め具は役目を為さなくなり、ジャンの股間を覆っていた布地は――今の熱を帯びかけた体には少し面積が足りなくなったその布地は、位置をずらして――

「こ、これがやりたかったのかよ、あんたは!!」

 そこで羞恥の限界が来たジャンはベルナルドの頭の上に片手を置き、体重をかける。プールサイドから滑り落ちたジャンに巻き込まれたベルナルドは、二人してざぶんと水の中に、頭まで沈んだ。
 それだけでベルナルドの、そして自分の頭が冷えるとは、到底思えなかったけれども。