昼の月、夜の太陽







 風邪を引いた。
 喉をやられたようで声が出ない。気管が腫れているな、と大口開けたジャンの喉を覗き込んで、ベルナルドは顔をしかめた。かわいそうに、と呟く男のグリーンの目は情に満ちている。
 心配性の男の肩を叩いて、ジャンは首を横に振った。声を出さずに、大丈夫だと伝える。肩を叩くために腕を持ち上げることも、だるく、動きづらかったが、その手でジャンはドアの方を指さす。出てっていい。そして自分の喉を指差し、次にベルナルドを指差した。うつるだろ。
 言葉のないジェスチャだったが、ベルナルドは理解したようだ。微笑んで頷き、踵を返して──部屋に備え付けられたデスクから椅子を持って来ると、ベッドの隣に置いて、座った。

「……っ」

 ちがう、と訴えようとしたジャンの喉は熱を持っていて、声が出ない。必死に音を出そうと眉をひそめると、シィ、とベルナルドはジャンの唇に指を一本押しあてた。

「ご心配なく、マイ・ロード。俺は最近睡眠もしっかり取れているし、お前の影響でメシもちゃんと食っている。うつらないさ。今日くらいはキスも我慢出来るしね」
「…………」
「心配なことはなにもないさ」

 ベルナルドの手がずれて、ジャンの頬を撫でた。ゆっくりと優しい撫で方は、甘やかす動きだ。ジャンの、風邪をうつさないために一人で眠ろうとした意思を、甘く擦って、折ろうとする動きだ。

「…………」

 ジャンは目を閉じて、ベルナルドの大きな手へ、甘ったれる犬か猫のように顔を擦りつける。少しざらついた男の手。ジャンにとってすっかり触れられることに慣れた、ベルナルドの手。

「ジャン? 気分でも悪いのか?」

 顔を俯かせたせいか、ベルナルドは、的外れなことを心配そうに尋ねて来る。
 こいつ、アホか? アホか。──ジャンが剣呑な視線を上げ、察しの悪い飼い主の手に噛みついてやろうかと思い出した頃、ようやく気付いたベルナルドは、ああ、と頬を緩めた。反対に、ジャンの頬は悔しげに歪む。
 声が出なくて良かった、とジャンは思う。
 甘えている、などと、口に出して告げられるはずがない。

「……気持ちいい?」

 ベルナルドの優しい声に、ジャンは微かな吐息と、全身の力を抜くことで応じる。ベルナルドの手はジャンの頬からは離れたが、肩へと移動し、腕を辿り、指先に着いた。そして手を握られる。
 繋いだ指先はそのままで、離される気配はない。

「治ったら、もういい、ってくらいに撫でてやるよ。ゆっくりおやすみ」

 撫でる、の言葉に不穏な気配を感じ、一言多いんだよ、と言う代わりに軽く睨むと、ベルナルドはますますやに下がる。

「……弱ってる姿を見ているのはつらいが、甘えてくれるお前の目は……いいな」
「な、……っ……!」

 何言ってんだと声を出そうとしたが、喉がひりつくだけで声が出ない。チュ、と音を立てて唇を封じられ、ジャンはベッドに沈み直す。

「おやすみ、ハニー」

 ベルナルドは、悪戯もせずにベッドの横で微笑んでいる。
 視界にベルナルドがいるのを確認して、目を閉じた。おそらく、次に目を覚ました時も、視界に彼がいるのだろうと思いながら。

 心配など、なにもなかった。







2011.02.21