「来た来た」
ベルナルドと連れ立って、裏口の門のところで立っていると、門を行き来する部下が時折不思議そうに見ながら、挨拶をして行った。
カポと筆頭幹部が二人揃ってこんなところで何をしているのか不思議なんだろう。筆頭幹部本人だって不思議そうな顔をしている。
その筆頭幹部の顔は、俺がこっちへ自転車に乗ってやって来る男を迎え入れると、不思議そう──と言うよりも戸惑い出す。
マフィアのボスが迎え入れるには、確かに不思議な相手だった。メッセンジャーは。
俺が待っていたのは、この近辺に郵便を配達している男だった。手紙や荷物を入れる大きな鞄の他に、小ぶりの鞄をもう一つ下げている。この男は、ちょうどこの時間、ウチの本部を配達に回るんで、この時間に待ち合わせの約束を取り付けていた。
「やあ、ジャンカルロ」
仕事用の自転車を下り、ベルナルドよりも年上──親父と同じ年くらいの郵便配達は、俺の顔を見て気さくに声をかけて来た。俺も、チャオ、と軽く返し、同じように挨拶をされたベルナルドも戸惑いながらも挨拶を返す。
俺が待っていたメインは、この男の鞄の中身の方だ。待ちかまえて身を屈め、鞄を見やる俺に、男は宝物箱を開くガキみたいにニヤッと笑って持っていた小ぶりの鞄の蓋をめくる。
中から顔を出したのは──ぴんと立った三角の耳。縦長の瞳孔。
「うほっ、デカくなりやがって……!」
久しぶりに見る黒猫は、記憶の中よりも数倍大きくなっていた。艶やかな黒い毛並みに、ひとそろいの青林檎色がきらりときらめく。
綺麗なグリーンの目をした黒猫は、二年前に見た子猫の時も同じように綺麗な緑の目をした猫だった。
更に、母猫につられるようにして鞄から顔を覗かせたのは、良く似た真っ黒な猫だ。こどもだが、俺が初めて母猫を見た時よりもずっと大きい。子猫はきょろきょろ辺りを見回し、にゃあ、と子猫らしい高い声で鳴く。
「ワオワオワオ。なあ、こいつが?」
「レディのこどもだよ」
男は、まるで自分が父親か祖父かとでも言った誇らしげな様子で頷く。
レディ。野良猫の割に随分と気品ある黒い毛並みの子猫を、昔、孤児院のちびどもはそう名付けていた。それを思い出して、貴婦人が使うようなリボンをプレゼントしようと思っていたのだった。昨日まで忘れてたけど。
「ジャン、この猫は?」
俺と黒猫の縁を知らないベルナルドは首を傾げ、俺は指先でちょいちょいと母猫と子猫に挨拶をしながら答える。
「俺がまだチンピラの頃に、マンマの孤児院の裏庭で産まれたんだよ。あそこのちびどもと俺が見つけた時にはもう母親が弱っててさあ。ちょうど配達に通りがかったこのおっちゃんが引き取ってくれたってわけ……お、なんだよ、俺のこと覚えてんのか?」
ベルナルドに昔話をしていると、母猫は鞄から俺の胸を足がかりに肩へ前足をかけ、遠慮なく身を乗り出してくる。抱かれるのが当然だと言わんばかりの懐き方に、二年振りの時間の空白が吹っ飛ぶ。
「こら、レディ。ジャンカルロの服に毛が……」
「いいっていいって。俺の名づけ子だもんな、おまえ」
濃い色のスーツに黒い毛は目立たないが、気にする飼い主をよそに、レディは俺の腕の中におさまってくるくると喉を鳴らし始めた。暖かい重み。
母猫が離れて、いっぴき鞄の中に残った子猫は、にゃあ、とまた鳴いた。
「あ、おまえの紹介しねーとな、ウチの筆頭幹部に。──そんで、今日がこいつの産んだ赤ん坊の輝かしい一歳の誕生日、ってわけ」
「誕生日──まさか、昨日頼まれたプレゼントを受け取るレディは」
「そう言うこった。サンキュー、ベルナルド」
こいつに買って来て貰ったんだ、と上着のポケットからリボンを取り出す。真ん中でカットした、上等なシルクのリボン。色は優しいグリーン。さらさらとした肌触りのリボンを飼い主に渡す。
首にちょこんと結ばれたグリーンのリボンは、親子二匹とも、黒い毛並みによく似合った。飼い主も、これはいいリボンだ、似合うな、かわいいよ、と、でれでれ猫の頭を撫でている。
「キャワイイレディたちだろ?」
「……確かに。素敵なブラックヘアだ、グリーンが良く似合う」
挨拶を、と恭しく鼻先に寄せられたベルナルドの指を、レディはふんふんと興味深げにしばらく嗅ぎ、それから顔を擦り付けた。あっと言う間に懐いた。
「マァ、この女ったらし」
「誤解さ、ジャン」
俺とベルナルド、大の男ふたりのふざけたやり取りに、レディの飼い主が小さく噴いた。レディは、女ったらしの眼鏡の手に顔を擦り寄せて、なぁん、と甘えた鳴き声を上げるのに忙しそうだ。
人に無警戒な様子は、生まれつきの気質もあるだろうが、愛されて育ったのが良くわかる。さっきレディが俺の腕に来たのも、俺のことを覚えてると言うよりただ人懐っこいだけか?
慣れて来た子猫も鞄から出て来て、ベルナルドの腕に収まって遊び始めてから少し──と言っても出会ってからまだ十五分くらいだろう。配達があるから、と飼い主がレディを呼び戻すと、レディと子猫はあっさり飼い主の鞄へ戻って行った。
ワオ、クール。しかし、ちゃんと顔を出して、にゃう、と挨拶めいた鳴き声を上げるのは忘れない辺りが、まったくこの、男転がしめ。
「寄ってくれてサンキュー、ありがとちゃん。孤児院のガキどものとこにも、暇があったらたまに寄ってやってよ」
握手を求めて片手を差し出すと、飼い主は人のよさそうな笑みを浮かべ、俺の右手を握り返した。
「ああ、もちろん。今日はよかったな、レディ・ベル。ゴッドファーザーに会えて」
飼い主が、「俺のつけた名」を呼ぶと、レディは、にゃあう、と甘ったれた特上の声で返事を返す。
──── ベル? と俺の隣でベルナルドがほんの小さく呟く声を、俺は、張り付いた笑顔で聞いた。
「レディ・ベル」
呟くベルナルドの声に、ぴく、と俺の頬は引きつった。
裏口から館内に戻り、俺の部屋までの道中、ベルナルドは急に、考える像か何かのように無口になった。俺が一人べらべら喋る気分でもなく、お互い黙ってたところに、呟かれた一言。ああくそ、ベルなんてどこでもある名前じゃねーか。何で気づくんだこいつは。
適当に誤魔化すか──それも嘘をついているようであまり俺の気分がよろしくない。
気恥ずかしさを唾液と一緒に腹の中へ飲み込んで、俺は、無言のベルナルド相手に話し始める。
「あー、あのおっちゃんに貰われるときに、だな。『レディ』だけだとあんまり名前っぽくないっつーことで、俺が名前つけることになったんだよ。咄嗟に浮かんだのがあんたの名前だけでさ……」
ベルナルドから返事はない。相槌もない。聞いてんのかこの猫ったらし。畜生。
「……おーい、ベルナルド。しょーがねーだろ、あの時は刑期明けで、あんたともしばらく会ってねーからそろそろメシでもオネダリに行こうかって考えて、あんたのことしか浮かばなかったんだって……、……おい」
まるで言い訳のような気分で言葉を並べ立てているうちに、さすがに気がついた。
──こいつが笑ってるってことを、だ!
「ベルナルド!」
「い、いや、悪い、すまん、そうか……フ、フハハ、まさか本当に俺の名前から……取ってくれていたとは、期待しなかったと言ったら嘘になるが……」
「ブラフかよ!」
さっきの名前を呟いたのも、俺の反応を見たんだろう。ベルナルドはとうとう立ち止まって、笑うのを堪えて猫背気味な背中を更に丸めて震わせ始めた。俺はその肩を思い切りどついてやるが、笑いは止まらないどころか更に増して、楽しそうに、嬉しそうに、……幸せそうに、ベルナルドは笑っている。
俺は、名付けの時に思い出したのがこいつだったってのと、あまりに幸せそうなツラで笑うベルナルドが気恥ずかしくて、どうしようもない気分で、笑い続ける男を置いて歩き出す。
「ああもう知るか、このエロバカオヤジ!」
「ジャン、待っておくれよ。ランチは俺の部屋で、にしないか。一時間あれば充分、お前を腹いっぱいにしてやるんだが」
「どういう意味で腹いっぱいになるんだかわかったもんじゃねえよ!」
「ジャン」
甘ったれて追って来る声を背に、俺はずかずかと大股で廊下を渡る。──その声が俺を追わずに消えるなど考えもしないし、足の向かう先がベルナルドの私室の方向になってたりするのは、このエロオヤジの悪影響に違いない。
2010.12.20