ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー





「間に合うの? ダーリン」
「正直言って、間に合う気がしないな……」

 ハニー、と返す余裕もないベルナルドと並んで俺は走っている。体力ない癖に変な持久力のあるベルナルドのスピードは緩まず、俺の方はちょっくら……息が切れていた。くやしい。

 時刻はほぼ夕方。護衛もなしに二人で裏道を疾走の理由は、単純な話だ。同行していた部下たちは、襲撃して来た連中の掃討に勤しんでるから。
 掃討ってのは、残念ながらこっちにはジュリオも掃除屋ラグさんも同行してたから。ジュリオが片付ける端からラグトリフに一体誰なんだか判別つかなくさせられて行く光景を視界の端に入れてから、俺とベルナルドはタイヤを撃たれた車を捨て、足で予定の場所へ向かっていた。

 約束の相手は、よりによってトランプの王様。ご機嫌を損ねたくないナンバーワン。しかも今回はなぜかしつこいくらいに時間厳守の御達しつきと来た。いつから時計の王様になったの、あのひと?

 王様の所に向かうための新しい車を待つより、走った方がまだ間に合う可能性があると判断して、俺とベルナルドは足を緩めず走っている。

「……クソ、襲撃に時間を食われすぎたな」

 走りながら腕の武骨な時計を見たベルナルドが、反射的に荒っぽい舌打ちをした。
 ああ、間に合わねえか――ベルナルドの舌打ちの理由を理解し、脳裏に諦めの気持ちが浮かぶのを感じながら、それでも俺の足もベルナルドの足も諦めずにガキの頃から馴染みのリトルイタリーの中を駆ける。日が随分落ちた。ずっと何度も見て来た、夕陽に赤く染まる町並み――パチッと頭の中で火花が散ったように、それはいきなり閃いた。

「ベルナルド、こっちだ!」

 鋭く声をかけて、俺は更に細い路地へ向かって急カーブする。急すぎて立ち止まれず数歩行き過ぎたベルナルドも、慌てて止まると、方向を変えて付いてくる。俺は振り返る余裕もなく、喘ぐように呼吸しながら、走った。

「……ジャン! そっちは線路だぞ!? 乗り込める駅はないだろう!」
「今の時間、そこで急行が貨物列車を追い抜くんだよ!」

 俺を追いながらも焦った声で尋ねるベルナルドに、俺は大声で答える。

「急行と入れ違うために、ポイント切り替えでデイバン駅まで行くやつが待機するはずだ! そいつに無理矢理乗り込めば……」
「――エクセレンテ。駅から指定のホテルまでは、すぐだ」

 言いたかった言葉の残りを引き受けたベルナルドの声に、喜色が浮いた。ベルナルドが俺の横に追いついて来て、チラと横目で見ると、表情にも喜色が浮かんでいる。俺もつられるようにして笑う。走りっぱなしで息は苦しい。けど、笑う。

「ジャン、運転手への説明はお任せあれ。何事もなく運行しているかは、お前のラッキーを頼らせて貰うよ」
「アイヨ、任せとけって。お前らを守るために俺のラッキーは、あるんだからな!」

 叫ぶように答えた頃、リトルイタリーの外れにあるポイント切り替えの場所が見えて来た。まだ列車はいない。線路の側まで行って立ち止まり、肺を大きく膨らましては萎めるのを繰り返し、全身に足りない酸素をまわすため息を切らしながら俺はこういう時に呟く呪文のように、――勝負――と――

「っ、うわ!?」

 呟きかけた声は、ベルナルドに額に音を立ててキスをされたことで止まった。目を丸く見開いて見上げた先で、俺と同じようにぜえぜえと息の切れたベルナルドが、なぜだかひどく嬉しそうにしている。

「なっ……そんなことしてる場合か!?」
「本当は抱きしめたいくらいだが――」
「はあ!?」
「愛してる、マイボス。心から」

 にっこり笑ったベルナルドの背後から、紫色に暮れゆく空気を裂くような列車の眩しいライトが近づいて来た――










「間に合いそう?」
「ああ、何とか」

 腕時計を確かめるベルナルドに声をかけると、しっかりと頷かれた。その様子を見て、俺はようやくほうっと息を吐く。
 ベルナルドの丁重かつ短い交渉と十ドル札の結果、貨物列車の中にまんまと入り込んだ俺達は、デイバンへ運ばれる果物や野菜が入った箱の山の隙間で落ち着いていた。甘いオレンジの匂いや林檎の匂いのする空気の中、タイを緩めたくなるけど、きっと駅に着いてからタイを締め直す時間の余裕はないだろうしそのままにしておこうかしらん。

「ベニヤミン氏の良き日に水を差さずに済みそうだ」

 そう言って、ベルナルドもほっと溜息を吐く。
 がたんごとんと体と鼓膜に響く列車の音の中、何となく視線を流し、これまた何となく俺に視線を向けて来たベルナルドと、じっと見つめあった。ベルナルドの唇に視線が行って、目に戻す。今ここで、キス、したいような、まだ取って置きたいような――

「ダーリン、チューでもする?」
「いや、」

 俺の質問に一瞬躊躇う素振りを見せて、ベルナルドは首を横に振る。何となく、俺と同じ気持ちなんだなって気がした。 

「仕事が終わった後の祝杯代わりにしよう」
「だな。……しっかしあんたに我慢って単語があったのか。新鮮だわ〜」
「心外だな、ハニー。仕事の後の一杯のうまみを、俺は知ってるつもりだけど?」

 ベルナルドはしれっと応じると、唇の端を嘗めて、わざとらしくタイを締め直す。人差し指がタイの結び目を撫でる動きまで、何だかいやらしい。呆れた眼差しで俺はそれを見てやった。頬が熱いのは気のせいにしておく。

「ワーオ。前言撤回。全然新鮮じゃねえ、いつも通りの俺のダーリンよ。……で、何であのトランプの王様は、今日に限って何っ回も時間厳守時間厳守って言ってたわけ? 良き日って何ぞ?」
「ジャン、お前、知らなかったのか? すまない、まさか誰も言ってなかったか……」
「ベルナルド、知ってんのけ?」
「今日はトランプの王様の、お誕生日会だよ」

 あの顔と「お誕生日会」なんて可愛らしい単語が結び付かず、俺はどう反応して良いもんかわからなくて――つまり固まった。ベルナルドは眼鏡の奥の目を細めて笑う。

「王様の生まれた時刻が、誕生日会の開始――生まれた時刻をどうしてもお前に祝って欲しいなんて、ベニヤミン氏がそんな可愛らしい方だとは思ってなかった」

 このジジイ転がしめ、と笑ったままのベルナルドが俺の頬のラインを親指でなぞる。
 そのまま耳朶から耳のふちをなぞり、俺の金髪に差し込まれるベルナルドの指に、多少の所有表現と嫉妬が混ざっていたように感じたのは俺の気のせい? って、俺はトランプの王様のお誕生日会が終わったらコイツに訊いてやろうと思った。












2010.03.03.