It's Only A Paper Moon





「お前には本当に敵わないな、ジャン」

 ――さてこいつと何の話をしてたっけ、と休憩に入るなりカポ用の執務机に突っ伏した俺は、まずそこから考え出した。カラカラの喉を潤すためのコーヒーを運んで来てくれたベルナルドの発言が、あまりに唐突だったせいだ。
 マホガニー製のでかくて丈夫な机に顎を乗せ、俺はベルナルドと勝負でもしてたかしらんと首を傾げてみるが、そんな話題思い出せない。

「んー? 何の話け? ダーリンたら、カードでもしたい気分なのかしらん」

 ベルナルドが俺に敵わないこととなると、賭けごとくらいしか思い浮かばなかった。

「そっちもお前には敵わないけどね」

 机にコーヒーを置いてくれたベルナルドは、机の縁に、俺がするような行儀の悪さで寄りかかる。少し体を捻って俺を見下して来るベルナルドが、眩しいものを見る時のように、眼鏡の奥の薄い色の目を細めた。俺はそんなヤツを、突っ伏した机の上から見上げる。
 ベルナルドからハッキリとした答えが来ないのは、謎かけだろうか。どっかの小説か、格言か何かに似たような台詞あったっけ。

 俺に敵わないもの――丁度、執務机の引き出しにはトランプが入っている。ギャンブルが好きなルキーノ辺りへ暇つぶしの誘いをかけるにはもってこいのアイテムだ。ジュリオにはアイスやスタンドで買って来た菓子。イヴァンは、何だかんだからかってるうちに暇が潰れてくれる。
 ちなみにベルナルドは暇があればすぐそういう方向に頭が行きやがるから、暇潰しをする暇そのものが出来やしない。

 俺は机とのランデブーを終了して身を起こし、引き出しからトランプの箱を取り出した。中から52枚のカードを引っ張り出す。ポーカーに1セットでは少ないが、ちょっとした遊びには充分だ。指腹を擦り合わせるようにしてカードを扇形に開かせる。動きにベルナルドが視線を向けているのを確認してから、扇形のトランプカードをひらひらと見せびらかす。

「ジャーン、ラッキードッグと楽しいおゆうぎの時間〜。ポーカーでもやる?」
「いいぜ、何を賭けようか?」

 ノって来たベルナルドに、そうねえ、と首を傾げたら、重要なことを思い出した。

「――あ、俺、今1ドルくらいしかねえや」

 上着のポケットとズボンのポケットを叩いても、ダイムが何枚かぶつかってチャラチャラと音を立てるだけだ。俺はベルナルドに向かって上着の襟を開いて揺らし、無いことをアピールする。おや、と片眉を軽く上げてベルナルドは俺のアピールに応じた。

「財布は部屋だしなァ……ガムでもいいわよネ、ダーリン?」
「お前のいま噛んでるやつなら喜んで」
「アハハハ」
「フフ」
「おいコラ、エロオヤジ、変態」

 笑ってるものの目がマジなので、俺はベルナルドの胸元でふわふわと波打ってる大事な髪を軽く引っ張ると言う教育的指導に入ることにする。いいぜと言った挙句に負けたら、俺の口の中のガムは、ガチでベルナルドに強奪されるだろう。
 柔らかい感触を指に絡めて引くと、いてて、と言いながらベルナルドの頭が引っ張られて来た。腰を屈めたベルナルドと、近い距離で視線が合う。眼鏡の奥でぱちぱちと瞬かれた目が、やっぱり眩しいものを見る時のように細められて、俺を見る。

「痛いぞ、ジャン。冗談だよ」
「冗談っつー言葉の方が、冗談だったり?」
「…………」

 こいつは意外と嘘が下手だ。

「ガムをくれるなら、俺からは飴ちゃんをあげよう」

 ガキのような賭け事のネタを提示して話を誤魔化すベルナルドに、俺は誤魔化されてやることにする。丁度糖分も欲しかったところだ。
 巻き上げる気満々でカードを切り出す俺の前で、ベルナルドは上着のポケットから赤色のセロファンに包まれた飴を取り出した。ころんとした丸っこい形。ベルナルドの長い指がセロファンを剥くと、中からこれまた赤いキャンディが出て来た。それはベルナルドの人差し指と親指に妙に、愛撫じみた優しくいやらしい手つきで摘まれ、俺の唇に――片手はトランプ、片手はベルナルドの髪に塞がっているので口で受け取るしかない俺の唇に、そっと押しつけられる。

「あらん、何のサービスなのかしら?」
「身包み剥がれる前に、な。どうぞカポ?」

 戯けた会話をしてから唇に触れてる飴の表面をぺろんと嘗めると、赤い色で想像した通りのイチゴ味。
 ベルナルドがわざわざ紙を剥がし、指で摘んで、親鳥がするように俺の口へに運んで来たキャンディを、俺は舌先で絡め取る。
 口を開いて舌を伸ばして、ぱくり。親指は退かして、人さし指だけキャンディと一緒に咥えた。口の中にある指とキャンディを舌で転がす。唾液を絡め、甘さに舌を擦りつけ、甘ったるいイチゴの匂いの息を吐いて、キャンディよりも柔らかいベルナルドの指に歯を甘く立てる。ピクリと指先が跳ねた。
 チュ、と音を立てて甘い唾液に濡れた指を吸い上げ、アップルグリーンの目を見上げる。その目はもし飴玉だったら何の味なんだかと思いながら、正解? と視線で伺う。どうやら俺の回答は優等生だったらしい。ベルナルドは嬉しそうに、でれでれと笑っていた。
 あーあー、ダーリン、いい男が台無しよう。しかし、残念なことにいい男はでれでれしていてもいい男だ。

「で、何が敵わねえって? またややこしいこと考えてんのけ? ラッキードッグ株の株価の話か何か?」
「その株ならずっと青でマークしっぱなしさ。このご時世、景気のいいことに」

 マイハニー、とベルナルドの甘い声が俺を呼ぶ。
 眩しいものを見る時のような――そういう、ウットリとしか言い様のないツラで見られると、俺は非常に落ち着かない。

「あんたの株価だって上がってるんじゃねえの? ドン・オルトラーニ」
「お前には敵わないよ、ジャン――どんどん前に進んで行くから俺は追いつくのに必死だ。ハハ、置いて行かないでくれよ」
「あらん、昔っからエリートコースなあんたを見てる俺の気持ちを代弁してくれてるのかしら?」
「まさか」

 ベルナルドは、肩を震わせて笑った。俺の言葉を冗談だと思っているような、可笑しがる笑い方だ。
 俺は飴玉を口の中で転がし、カードを机の上へ配りながら少しだけ型を竦める。冗談だと勘違いしてるベルナルドへの苦笑にも似た意思表示だったが、ベルナルドには、俺がヤツの言葉を受け流してるように見えたらしい。少し真面目な顔が近づいた。頭の位置を更に低くし、俺の顔を覗いて来るので、カードを配る手を止めて俺もベルナルドを見上げる。
 レンズ越しの真剣な目に多少心臓が跳ねたが、生憎、こいつは俺からの気持ちに時々鈍いダメオヤジだ。

「ジャン。冗談に聞こえるかもしれないが、俺は全部本気だぞ?」
「俺もだよ」
「えっ」
「えっ」

 ――ファンクーロ。

「そりゃどういう意味かしらダーリン、その”想像したこともありませんでした”っつう案の定なリアクション!」

 俺はカードをテーブルと絨毯にぶちまけて、ベルナルドの口がこれ以上鈍いことを言い出す前にイチゴ味の甘いキスで塞いだ。あと、俺の口も塞いだ。
 塞いでないとアイシテルだの口走りそうな俺の口の中の、甘ったるいイチゴのキャンディを、ベルナルドの舌が嘗め取り出す。その調子で俺が口走りそうな言葉も飲み込んでくれよ、ダーリン。












2010.02.19.