ハニーカム




 ぐったりとベッドに寝そべるジャンが水を求めると、ベルナルドは持って来てはくれたが、グラスを受け取ろうとしたらひょいとジャンの手の届かない場所に持って行く。
 なんだよう、と身を起こして手を更に伸ばすと、ベルナルドの指がジャンの伸ばした指に絡まる。それから彼は舌先をちらりと覗かせて自分の唇を嘗め、ジャン、と甘く呼んだ。

「なにかしら、ダーリン」
「飲ませてあげるよ、ハニー」
「……ダーリン、まさか口移しするって言い出すんじゃ…」

 眼鏡のガラス一枚を通さずに、アップルグリーンの目が欲深く微笑んだ。返事はなく、実行される。
 ジャンの後頭部を撫でた大きな手はそのまま首の裏へと辿り着き、項を押してあおのくように促した。促されるままに上を向き、男の唇から水を受け取る。ゆっくりと注がれる水を喉を鳴らして飲み終わると、ベルナルドは体ごと覆いかぶさって来た。押し付けられる体に寝転がる事をねだられ、ジャンはまたベッドへ寝そべる。
 寝そべる間も、唇は離れなかった。すり合わせてじゃれて、啄ばんで、ジャンの頭が枕の上へ落ちて安定すると舌が入り込む。

 水で冷えた舌が咥内を蹂躙して行く感覚に溺れた後、ジャンは再度ぐったりとベッドに沈んだ。息が上がる。
 うますぎんだよ、と回らない舌をもつれさせながら訴えると、

「お褒めにあずかり光栄ですよ、ボス」

 などと戯れた答えがにやけ面から返って来るので、ジャンは、力の入っていない手でその頬をはたいてやった。
 はたいたところで、今の力では撫でられたくらいにしか感じないだろう。ベルナルドは平然と笑い、頬に触れたジャンの指先を掌に握りこむと、そこへついさっきまで触れ合わせていた薄い唇を近づけてキスを落とす。触れるだけでは終わらない。掌底の薄い肉を噛み、手のひらの厚みぶんだけ唇を開いて、親指側の端を齧る。しゃぶるように舌を添わせ、ぬるっとした感触のそれをジャンの親指の先まで滑らせた。指紋でも探るように、尖らせた舌先で指腹を嘗められ、ジャンは何度も指先をびくつかせる。

「っ……ぅ」

 声を思わず洩らしそうになるとベルナルドに嬉しそうに笑われるので、ジャンは唇を引き結び、自分の手を嘗める男を睨むように見上げた。
 大きなベルナルドの手に握り込まれた手がどうしようもなくびくびくと震えてしまう。体は疲労で重いのに、腰は興奮で重苦しい。まだ出来るつもりらしい自分の体にジャンは自分で感心する。すでに収まらせようと出来るものではない。なんせ、ベルナルドはキスが上手い。それに愛情とやらのボーナスポイントが付いている。腰くらい、ジャンの言う事を聞かなくなる。思考回路くらい、とろけて使い物にならなくなる。

「ベルナルドぉ…」

 このとろけたアタマをどうにかする遊びへ誘うべく甘えた声で呼んだジャンに、ベルナルドはくっと目を細め、額に額を重ねて来た。

「……そういう声で呼ばれると、それだけで俺は、けっこう本気でイっちまいそうだよ」

 ベルナルドが甘ったるい声で囁くとそれだけでイっちまうかもって少しくらいは思っちゃう俺もまあ似たよーなもんだなと思いながら、ジャンは、ベルナルドの後頭部に回した片手でぐっと彼の頭を引き寄せた。









 散々ベッドでもつれ合った後、もう無理、タマ空っぽだしあんたので腹いっぱいだし、と口走ったジャンに、ベルナルドは、

「……俺の理性もまだ捨てたもんじゃないな」

 などと、この上ないほどの真顔で呟きながら、バスタブに湯を溜めてくれた。下着はかろうじて履き、脱ぎ捨てていたシャツを一枚羽織っただけで動くベルナルドの姿を、ジャンはベッドに突っ伏し、顔だけ横へ向けて視線で追う。
 細い男は足まで細い。白い足は細いが、筋肉で引き締まった真っ直ぐでいい形をしていた。まあ男の足の審美眼なんかねえけどネ、とジャンは自分の感想にツッコミを入れる。むしろ男の足なんか愛でる趣味はないけど。そんなことを考えていたら、体力の消耗のせいで、一瞬意識が飛んでいたようだ。
 ふっと宙に浮く感覚がしてビクッと身を震わせると、ベルナルドの顔が間近にあった。驚いて目を見開くと間近の唇は、ふ、と笑うような声を洩らす。何もまとわない肌にベルナルドの腕やシャツが触れていることをジャンが認識した頃、横抱きにジャンを抱き上げたベルナルドは、すでにバスルームへ足を踏み入れていた。

「さて、おねむなのはわかるが、もう少し我慢してくれよ、ハニー」

 中も外もどろどろだろ、とやけに嬉しそうな顔で言うベルナルドにこのエロオヤジと呟きながら、ジャンはバスルームの床へ下ろして貰う。グラッツェ、と頬をキスも贈ると、エロオヤジの顔はますます嬉しそうになる。

「ヘーキ、へーき……」

 欠伸で眠気を吐き出しながら、シャワーのコックを捻る。温かい湯を確認すると頭からかぶってびしょ濡れになり、ジャンは、着ていた服を外へ脱ぎ落として来たベルナルドの顔へシャワーヘッドを向けた。二人してあっという間にずぶ濡れになり、ひどいな、と笑うベルナルドは自分の顔を手のひらで拭うと、ジャンの頬へ張り付く濡れた前髪も後ろへ流してくれた。

「サンキュー。っつーか、俺なんか抱っこして重くねーのかよ、ダーリン?腰は大丈夫?」
「大丈夫だよ。お前は羽のように軽いからね、ハニー。……羽はちょっと言いすぎだけど」
「ちょっとじゃねーだろ、ちょっとじゃ」

 ツッコミに、鳥くらいになら軽いかも、などと返して来るベルナルドは、ジャンの両脇に手をやり、ラインに沿って肋骨から腰骨へと撫で下ろす。いつものようにねちっこい性感帯をなぞって行くような手つきでなく、色気のない撫で方だった。なぜか何度もラインを確認するように、やはり色気のないただ「触っている」だけの触り方で撫でて来るので、ひとまずジャンは脇腹を這い回る手を好きにさせて、手のひらで石鹸を泡立てる。汗やその他のものでべたつく腹や腕を泡まみれにしているジャンの腰脇に両方の手を添えたベルナルドは、検分するように目を眇めてじいっとジャンの腰を見つめた。エロい雰囲気がしないので放ったまま、ジャンは自分の体を洗って行く。

「なぁに、ベルナルドおじさん。視姦?」
「いや、違うよ…ああ、そういうプレイも悪くない」
「ちょっ、おい、ベルナルド!」
「いや、ハハ、アハハ、もうちょっと肉がついても良いと思うよ」

 湯に濡れた鼻先にちょんと誤魔化すキスをしたベルナルドが、ようやくジャンの腰から手を離す。その言葉あんたにそのまんま返すよと言いたくなりながら、ジャンはにやりと口端を上げ、下側からベルナルドの顔を見上げた。ジャンの目に悪戯の色を見て取ったのか、ベルナルドが怪訝そうに目を瞬かせる。

「――なあ、ベルナルド?さっきの抱き方、今度あんたにもしてやろっか?俺だって、ベルナルドをお姫様みたいに扱ってやるぜ?」
「え、ああ、いや、ハハハ」
「そんな顔するならちゃんと食えよ」

 困ったように笑うベルナルドの顎先ににやついた唇を押し付けながら、ジャンはシャボンまみれになった肌を、正面からベルナルドの胸へ正面から摺り寄せた。摩擦のないぬるっとした感触に背筋が粟立ったが、気にせず胸や腹でベルナルドの体にシャボンを塗りつけてやるとぐっと言葉に詰まられる。詰まったのは、ちゃんと食えと言われた言葉に対してか、肌の接触のせいか――ジャンは身を離すと、そ知らぬ顔で鼻歌を歌いながらシャワーで自分の泡だけ流し、バスタブへ身を落とす。ベルナルドは困ったように笑って、ジャンの鼻歌が響くバスルームで体を洗った。

「ジャン、少し詰めてくれ」
「アイヨ」

 バスタブを独り占めしていたジャンが端に身を寄せると、バスタブに入って来たベルナルドはジャンの腕を引き寄せて来た。足の間に腰を引き寄せられ、ベルナルドに背を包み込まれるような体勢で湯に浸かる。背もたれのようにベルナルドへ凭れたジャンは、ほうっと心地よさに思わず息を洩らす。

「よさそうだね、ハニー」
「ベルナルドが言うと、何かエロいな…」
「フハハ」

 笑うだけで否定はされなかった。楽しそうに笑ったベルナルドの顔がジャンの肩に寄せられ、次に、かたいものが掠めるように肩の皮膚に当たる。――齧られている。

「おーい?ベルナルドー、食ーうーなー」
「じゃあ、嘗めるだけ…」

 くすぐったさにジャンが笑うと、濡れた肩を嘗められた。ジャンは首を捻って後ろを向き、ベルナルドの濡れた鼻筋を嘗め返す。

「――んで、どうだよ? ボスのお味は…?」
「エクセレンテ」

 ふざけながらもうっとりと見つめられて、ジャンは気恥ずかしさに前を向くと湯を片手で掻き回した。揺れて出来た波紋が、ベルナルドの立てた膝にぶつかって消える。膝から伸びたベルナルドの足先に、湯の中で自分の足先を重ねると、摺り寄せ返すようにベルナルドの爪先が動いて擦れ、ジャンは、そのどう考えてもイチャイチャしている状況に余計気恥ずかしくなる。
 ベルナルドに気恥ずかしさを気取られないようばしゃばしゃと湯を跳ねさせるジャンに、ベルナルドは、子供の水遊びを見るようにのんびりと笑ってから、勿体無い事をしたな、と呟いた。

「何が勿体ねえって?ベルナルド」
「いや、本当に、もっと早く味わっておくんだったな……と思ってね。二十五歳より前のお前を知らないなんて、勿体ない事をした」
「俺が下っ端の頃から知ってんだろ?」
「そういう意味じゃない意味で、だよ、マイダーリン」

 一瞬の間の後、

「…うわー、このエロ眼鏡」

 とジャンが呟くと、否定出来ないなとベルナルドが笑った。笑う振動が、ぴったりと触れたベルナルドの胸から、ジャンの背へ伝わって来て、ジャンは爪先から這い上がるようなじわじわとした甘くくすぐったい感覚に浸る。全身の力を抜けさせてしまうような、事後の名残めいた感覚。

「マジで美少年趣味とは知らなかったわ、ダーリン」
「誤解さ、ハニー。……おいジャン、今のは本当に冗談だろうな。何だその目」

 振り返ってわざと胡散臭げに見てやると、少し慌てたベルナルドが、誤解だ、とまた言って来るのが可笑しい。

「……でも、大きくなったな。ジャン」

 その後いやにしみじみと呟く声も、いやに年長者じみていて可笑しい。しみじみとしながらベルナルドはジャンの肘を持ち上げ、そのまま先へと手を滑らせると、軽く手を繋ぎ合わせて来た。なに、と顔だけ振り返ったまま問うジャンに、ベルナルドは目を細めて微笑み、うん、と返事にもなっていない相槌を打つ。
 ジャンの手のひらからなぞって行ったベルナルドの指先は、ジャンの腕の内側の血管を辿って遊び始めた。手首を撫で、皮膚の下の薄い青を迷いながら辿り、肘裏の浅い窪みを擽る。ジャンは、タトゥの刻まれたベルナルドの左手が自分の腕の上で踊り、湯の粒をまとわせているのを、湯の温かさにうっとりと眼を細めながら眺めた。

「会った頃は、お前の腕はもう少し細かったかな……大きくなった」
「マジで爺様たちみてえなこと言うなよ、ベルナルド」
「残念ながら、コンシリエーレのお歴々のようにまだ達観は出来てなくてね。」
「ほー。つまり、妄想が?」
「はかどって仕方がない」

 ジャンの言葉にノって来たベルナルドが、いかにも困ったような声で溜息までわざとつけるものだから、ジャンは笑いながらベルナルドの膝を軽くはたく。

「こンのオヤジめ……ダメな幹部筆頭の頭に入ってる妄想を、ちょっくらボスの顔を見て言ってごらん?叶えてやれるかもよ?」
「全部?フフ、全部片っ端から話していたら、確実にジャンが湯あたりで倒れるな」
「お前、どんだけ……」

 本気交じりのジョークに笑おうとしたジャンは、ふとある事に気が付いて真顔になった。

「…………ベルナルドおじさん?ねえ、今、お前の頭の中で俺が色々凄いことされちゃってない?あの、なんか、当たるんだけど。尻の方に神経がものっすごい向くんだけどってオイ」
「……フハハ。言っていいなら言うけど、ハニー、お前も、」
「あーああああ待ってやめて言わないでダーリン実は俺も自覚があったりして」

 やべえ、俺も勃ってる、と自覚しながら背を丸め、ベルナルドの視線から自分の股間を庇う。背を丸めた動きにつられてバスタブの底を尻がずり下がり、ベルナルドに押し付けてしまうことに、なってからジャンは気づいた。

「――俺たちダメじゃん、今更だけどさ!」
「ああ、その通りだ!否定のしようがないな」

 開き直って笑うと、ベルナルドも笑って頷いた。ジャンは丸めた背を伸ばして、ベルナルドの胸を背もたれにし直す。

「勃っちまってるし?」
「そりゃあ、お互いにね、ハニー」
「男って悲しい生き物なのね」
「ザッツライト」

 二人でわざと哀愁を帯びてみる。ふざけ半分の会話の後、ベルナルドが後ろからジャンの肩へ顎を乗せ、ちゅ、と音を立てて首にキスをした。

「男は悲しい生き物だが、お前を愛してると俺は幸せだよ、ジャン」
「わーかってるよ、ダーリン」

 二人してげらげら大笑いして、それでもなぜだか萎えないので、とりあえず口と口でキスをした。







2009.11.02