Buon giorno




AM6:00



 朝とは、多数の人間にとって目覚める時間だ。人間が一番多数活動しているのが朝から昼間であり、太陽が落ち、暗くなる夜に活動を休止し眠りにつき体を休める。俺――ベルナルド・オルトラーニも、大抵はその多数のうちに入り込む時間に眠りから覚める。
 生きとし生けるものは、眠らなければ生きて行けない。かと言って、全ての人間が朝に目覚める生活ではない。特に俺たちコーサ・ノストラの稼業に関係する酒場や売春などは夜の方が盛んだ。それもある意味娯楽で体を休めていると言うことになるのだろうか。だがね、残念だが娯楽は睡眠の代わりにはならない。夜に動くものは昼間に眠る。誰だって眠らなければ生きて行けない。俺たちCR:5の幹部だろうが、ボス…今は二代目のジャンがボスなので一代目のボスと表現すべきか。我らがCR:5、一代目のボス・アレッサンドロだろうが同じことだ。必要なものは不足していると体に、あるいは精神に不具合を起こす。だがその不具合を補正するよう意識しながら、不足をこらえなければならない時もある。


 そう、不具合は起こるものだ。自然と。例えば一晩中使い続けた俺の脳が、ジャンの肌や体温や感触や声ばかりを、ペンを握る手や部下へ指示を飛ばす口や電話口へ向けた耳に思い出しまくっていたとしてもおそらく自然だ。

 頭の中にジャンのイメージを描くのは正直に言ってしょっちゅうだが、睡眠不足が理性を削っていて、時々脳がそちらに持っていかれる。下手なミスをする前に、俺は脳を補正しなければならない。昨日深夜に連絡のあった列車事故で積荷に破損があった件は、警察に見つかるとまずいものの対処は済んだ、破損した荷物の代理と納品についてもどうにか手配と連絡が終わった。気難しい取引相手だったので肝を冷やした。さて、これからは昼間の仕事だ――ジャンの今日の予定は、何件かイタリア系の有力者へ顔見せに行く予定だったはずだ。護衛として最初の一件はジュリオが付いて行く。それからジュリオと別れて今度はルキーノと。あいつの馴染みの相手なので、心配は要らないだろう。その次はルキーノを連れたまま、新しい店をオープンさせた役員のところへ祝いに。そのままディナーとなるはずで――

 くそ、今日はジャンと昼間の仕事がかぶらないな。一分だけでも顔が見れたら人のいない場所へ連れ込んで、腰が抜けるほどのキスを仕掛けてやるのに。

 ……ああ、駄目だもう少し補正しなければ。睡眠の不足による不具合を修正しなければならない。そんなことしないで済むなら俺だってそうしていたいよ。
 つまり――長々と頭の中で理屈をこねくり回して眠気覚ましをしてみたが、結局は今、俺も別に好き好んで徹夜をしているんじゃないってだけのことなんだけどね。何で好き好んでジャンの添い寝を冷たいシーツに譲らないといけない?





「……ケバッレ」

 徹夜明けの朝陽は忌々しいほどに眩しい。窓の方へ視線をやって、その頭痛をもよおすほどの眩しさに思わず悪態を呟いてしまうことくらい許されるだろう。ファンクーロ。ファック。眉間を揉みながら目を閉じ、忌々しさを言葉に乗せて吐き捨てていると、ドアがノックされ、返事の前に開いた。と同時に、鼻先をコーヒーの香りがくすぐる。

「ボンジョルノ。邪魔するぜぇ」

 悠々とした幹部位No.2の声に、俺は視界を目蓋に閉ざさせたまま、「ルキーノか」と返す。部下ではない。足音からして連れもいないようだ。同じ幹部のルキーノに気を遣うよりも、今は眼球の乾きの方が俺には重要だった。こいつらになら、この程度の気の置けなさを感じていても構わないだろう。

「ボンジョルノ、ルキーノ。これから出かけるのか?もうどこか散歩して来たのか?」
「港を2つばかり回って来た。今日は早起きだな、ベルナルド――て言うか寝てなさそうだな、お前」
「ご名答」

 俺の褒め言葉に、ルキーノは指を鳴らして応じた。その頃になるとようやく涙腺から来る水分が眼球の表面に行き渡ったようなので、目を開ける。
 俺の目前、デスク越しの位置にルキーノが立っていた。きっちりとスーツを着込み、隙のないどこぞの俳優のような姿のルキーノの左手には、デミタスカップの載ったソーサーが指先にひとつ、手首を支えにしてもうひとつ。先ほど鼻先に感じたコーヒーの香りの元は、ルキーノだった。その男のウエイターのような珍しい様子に目を瞬かせると、俺の前に片方のカップが置かれる。

「幹部筆頭へサーヴィスだ。飲むだろ?」
「悪い、助かるよ…」

 デミタスカップの中身は濃い色をしていた。いつも飲んでいるものより濃い、濃縮された色合いだ。気付けにはありがたい、と手を伸ばすと、すかさずルキーノは砂糖の小さい包みの封を切り、中身を俺のカップに落とした。止める間もなく二袋分たっぷりと入れられる。

「おい、俺は何も入れなくていいよ。入れてないお前の方を寄越してくれ――」

 俺がそう言う間にも、もう片方のカップにも砂糖はたっぷりと落とされて、甘苦いカッフェ二つになった。

「雪は海に落ちても雪のままか?もう入れちまった。お前の分だ、飲んじまえ」
「……わざとか、ルキーノ」
「どうせ朝も食ってないんだろ」
「空腹を思い出すのも面倒くさくてな」
「なんだそりゃ。せめて糖分くらい摂らんとブッ倒れるぞ」

 ソーサーの縁を綺麗に切りそろえられたルキーノの爪が叩いて、俺に飲むのを促す。
 昨夜から、空腹よりも他のことに容量を割いて働かせっぱなしの頭は空腹を上手に思い出せない。長時間の待機に慣れ過ぎた体はそういう仕組みにでもなってしまったかのようだと思いながら、カップの中身を、添えられていたスプーンで二度だけ掻き混ぜる。口にした黒く温かい液体は、苦味の中に濃い甘さがあった。いつもの何も入れないコーヒーよりも舌に味が残る。その気にはなれなかったが、飲んでみれば美味かった。
 底に溶け残った砂糖はそのままに、ソーサーへカップを戻そうとすると、

「残すなよ」

 とルキーノが行動を先読みして止めた。
 あきらかに面白がる顔をしている。お前は野菜を食べ残さないか監視をするマンマか、色男は廃業したのか?……と皮肉を言うのも面倒で、俺は無言でカップの中を掬い、スプーンに乗った、コーヒー味のキャンディのようなそれを嘗めた。甘い。特に欲しいとは思っていなかったが、口にしてみると糖分が疲労に沁みる。ルキーノは自分も砂糖をたっぷりと入れたカッフェを口にしながら、その味わいに満足そうに目を細めている。

「グラッツィエ」
「プレーゴ。さて、爽やかな朝の散歩の土産を持って来たぜ、ベルナルド。今週の請求書だ。……おい、仕事を増やすなって顔するな」
「爽やかな朝らしい手土産じゃないものを持って来るヤツには、そういう顔くらいしたくなるさ」

 さあ仕事だ――俺はゆっくりと膝の上で両手の指を組む。ルキーノの差し入れてくれたカフェインと糖分のお陰で、疲労した頭の回転も戻っていた。

「今度のゼロの数はいくつだ?」



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2009.10.19