見覚えのある美しい金髪は、キィサイド店内の照明に輝きながら俺の目に映った。
「バーニィ、名前だけでも先に紹介しておこう。我がグレイヴディガーとCR:5の交渉の場には、次回から彼も出席させて貰う」
デイヴが手のひらで指し示した横の男を、紹介されるまでもなく、俺は、その場に現れた瞬間からずっと見つめていた。
男のシャツの襟元できちんと歪みなく結んだネクタイは、黒いシャツにも溶け込みそうな黒。彼はいつも、ネクタイをきっちり締めることを嫌がっていたはずだ。息苦しさが嫌いで、風呂も面倒くさがって、仕事で必要な時以外にはいつもノットを緩めて結んでいた。
シャツに包まれた鎖骨の上には、皮膚を焼いた痕があるのかもしれない。刺青は消すことが出来ない。引き裂くだけだ。ジャンが味わったかもしれないその痛みを考えるだけで胸がぎしりと痛んだ。
「――交渉役補佐の、ジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテだ」
見つめる先にいる男の名を、デイヴが口にする。そんなことは知っている、と言い返しそうになったが堪えた。すっと俺に差し出されたジャンの手は、握手を求めてのものだ。昔、ドン・カヴァッリに引き合わされた時に、俺がした行動と同じもの。その頃とは違う冷静な笑顔で、ジャンは俺の顔を見ていた。
「初めまして、ミスタ・オルトラーニ」
「……どうも」
握った手指は、ひんやりとしていた。あまり長時間触れていたくなくて、俺は、握り返して来たジャンの手を振りほどくように握手を終わらせる。
ジャンはすぐに離された自分の手を見下ろし、またすぐに俺の顔を見た。俺の顔を見ながらジャンは、ほんの僅かに首を傾げ、笑みを深める。
「…俺も、あんたをバーニィと呼んでも?」
「折角の申し出だが、御免こうむる」
跳ね付けるような拒否は、咄嗟のことだった。猫のような薄い金色の目が驚きに一瞬見開かれる。傷ついたような顔をなぜお前がするんだと問いただしたくなった俺は、爆発するように声を上げて笑い出したデイヴのお陰で、はっと我に返った。
「ははは!そりゃ仕方ない、ジャンカルロ、俺とバーニィは特別な仲だ。付き合いも長い。なあ、バーニィ?」
気安いデイヴの言葉と共に、まるで旧友めいた仕草で肩を叩かれる。ジャンの目は、笑んだ時のように細められて、俺を見ていた。
その時、俺は自分が笑っているのか泣いているのかわからなかったし、その後も、一向にその時の自分がどうだったかのか思い出せない。
ただ、そこに怒りはなかった。
裏切られてまで彼に怒りを感じられない自分に、多少の絶望を覚えた。それだけだ。
2009.12.14
バーニィ、と、デイヴィッドは店にいた先客を、ひどく親しげに呼ぶ。
「名前だけでも先に紹介しておこう。我がグレイヴディガーとCR:5の交渉の場には、次回から彼も出席させて貰う」
デイヴィッドが俺を手のひらで指し示して、目の前の男に紹介する。目の前の男は――ベルナルドは、俺がこの店、キィサイドに足を踏み入れた瞬間から、ずっと俺を見ていた。
裏切り者を殺すような殺気のこもる目でもなく。憎しみを向けることもなく。ただ、驚いたような顔で。
鎖骨のCR:5の刺青があった場所がじくりと痛んでも、俺は愛想良く笑っていた。痛むのは、焼いて消したそこが傷になっているからだ。シャツの下では、まだ消毒の軟膏の塗りたくられたガーゼが傷口に張り付いている。ガーゼを隠すためには、嫌でもネクタイをきっちり締めなくてはならない。
「――交渉役補佐の、ジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテだ」
デイヴィッドの言葉が終わると同時に、痛みを堪えながら俺は握手のため、ベルナルドに手を差し出した。
「初めまして、…ミスタ・オルトラーニ」
「どうも」
緊張で冷えた手を、ベルナルドの手が握る。暖かさが伝わり、その温度をもう少し味わっていたいと思った俺の手は、すぐにベルナルドに離された。触れていたくもないって? まあそりゃ、当たり前だ。
ベルナルドは――デイヴィッドには、俺が呼んだことのないようなバーニィと言う気安い呼び方をされるベルナルドは、俺にずっと視線を向けている。でも、憎しみも嫌悪も何もない。露骨な感情が何もない。いつも通りの、ずっと俺に向けて来た、壁のある表情だ。デイヴィッドにはあんな気安くバーニィなんて呼ばれてるくせに、この野郎。
内心奇妙な苛立ちを感じながら、俺は思わず口走っていた。
「…俺も、あんたをバーニィと呼んでも?」
「折角の申し出だが、御免こうむる」
すぐさま跳ね付けるような拒否があった。デイヴィッドは良くて、俺は駄目だって? そう考えるとずきりと胸が痛む。違う、これは胸ではなく――鎖骨にある傷が痛いんだとどうにか思い直した俺の耳に、デイヴィッドの大笑いする声が飛び込んで来た。
「そりゃ仕方ない、ジャンカルロ、俺とバーニィは特別な仲だ。付き合いも長い。なあ、バーニィ?」
親友のようにベルナルドの肩を抱くデイヴィッドの野郎を殺してやりたいと、俺は思った。
2009.12.14
「……お前、俺を殺す気か?」
初めて服を脱ぎあった時にジャンが真顔でそう言った凶器は、今は根元まで深々とジャンの中に納まっている。
俺の腰にまたがって、汗を滴らせ、表情に色を滲ませて歪ませ、ぐちゃぐちゃと俺と交わる。ジャンは細い腰の奥で、時には口でも俺のものを咥え、俺もジャンのものを舌で味わった。
彼がGDへ行っても、憎むことも嫌うことも出来なかった。
裏切られても、期待外れだと思えない。そう考える思考が俺の中から消え失せていることに、こうなってみて初めて気がついた。
俺はジャンを愛している。例え彼がCR:5を裏切り、カポに、アレッサンドロに背き、GDの刺青を腰に彫り入れたとしても。彼が彼の肉体と魂を持つ限り、彼は、俺にとってのジャンカルロだ。世界でただ一人の、出会う前から焦がれて来た俺の、運命の男――。
気がつけば互いに達していた。荒い息をつくジャンが、萎えた俺のものを抜くと、俺はお互いに嵌めていたスキンを取り払って屑篭へ。ティッシュで体液を拭い終えると、ジャンは俺の体をベッドにするように覆いかぶさってくる。俺はそれを受け止めて、欲しがられるままにキスをした。
汗をかいた肌が冷えてしまいそうで、毛布を引き寄せる。それを、ジャンは頭まで引き上げた。二人してすっぽりと毛布に覆われて、枕元のライトが遮断され、暗くなる。毛布の隙間からほんの少し入って来る明かりで、目が慣れて来ると、ジャンの顔がどうにか見えた。
暗い場所は恐ろしい。それでもジャンがいれば、俺の心臓はおとなしいものだった。
こうして二人で毛布の中にいる所を誰かに見られてしまったら、言い訳など出来ない。審問も必要ないだろう。どう見ても俺はCR:5を裏切っているように見えるし、ジャンも、GDを裏切っているように見える。
「朝になる前に起こすよ、ハニー。見つからないように帰ってくれ」
「はあい、了解。…三十分だけでいいんだ。ここで寝かせてちょうだい、ダーリン」
自分の立場など素知らぬ顔のジャンは、俺の腕から肩にかけてを枕にすべく擦り寄ってきた。こんな男だったのかと、つい物珍しげな目でジャンの顔を見ていると、閉じかけていた蜂蜜色の目が開いて俺を見上げる。
「何かさー…ロミオとジュリエットみたいね、ダーリン?」
ファミーリアに見つからないように重ねる逢瀬のことを、ジャンはそう言って笑った。ならば、俺たちは死ななくてはならない。
「ハニー、墓の前で俺の死を嘆いてくれるのはお前の役じゃないさ。お前は、墓掘りだ」
「じゃあ墓を掘った後で、あんたの後を追って死んでやるよ。嬉しいだろ? ベルナルド」
「ハハ。ジャン、嘘だとしても死にそうに幸福だ、この悪魔め」
抱いているのはジュリエットでなく、悪魔だ。
俺は、お前のために死ぬことは出来ない。
2009.12.14